青柳 |
ポンペイでは貧しいひとも金持ちも、自分の家を
壁画できれいに装飾する気持ちが顕著なのですが、
貧しいひとは絵の具をあんまり使わなかったり、
画家も普通は10日かかるのを1日で仕上げちゃう。
さっささっさした筆づかいで。私たちはそれを見て
「あ、これは古代の印象画だ」なんて言ってます。
一方金持ちはそれこそ最高級の絵の具を使わせて
画家に丁寧に描かせて素晴らしいものにする。
何て言うか、レンジがべらぼうにあるんですね。
それをみんなが楽しんでいたと思うんです。 |
糸井 |
あのばらばらさに感動した。
いいものは今見ても明らかにいいわけです。
それで、風呂屋のペンキ絵に近いものもある。
教養主義者はそこまでのレベルのものも含めて
「古いからいい」って言っちゃうけど、俺は
そのペンキ絵は低いと思う。高さがあるとすれば。
でも、低いとしても、住んでいたひとにとっては
きっと感じとるものがあったんだろうから、
素晴らしいと思うんですね。 |
青柳 |
自分の神様への信心を示そうとしたら、
「こういう人間のおごりたかぶりが
このような神罰を与えるんだ」
というのばかり描かせて、それで
自分が信心深い人間だとお客さんに言うとか、
あるいは自分はもうそんなのどうでもいいから、
すけべだと思われてもいいから、壁には
ゼウスが女神に言い寄っている場面だけを描く。 |
糸井 |
あれ、気持ちよかったでしょうね。 |
青柳 |
ええ。一歩距離を持って
「芸術は崇高である」「芸術のための芸術」
というのではなくて、彼らにとっては
もっともっと身近なものでしたからね。
あそこの家の壁画は好きだとか嫌いだとか、
「金がないからあの程度しか描けない」
という批評をお互いにやっていたと思うんです。 |
糸井 |
それぞれ趣味を細分化させていたに違いないし、
クラスチェンジがあったかもしれない。 |
青柳 |
もちろん。 |
糸井 |
そこらへんは遺跡ではわからないものだし、
想像でおぎなっていると愉快なんですよ。
趣味も転換するでしょうね。未来ですよね。
おもしろいなあ。 |
青柳 |
さきほど自然食のひとについておっしゃったけど、
当時はやはり生薬と健康法しかない。
長生きするためにはそのふたつをやる。
病気になると瀉血とかいろいろ方法があって、
成功する場合もあるし失敗する場合もある。
そこで「弱い人間」を認識するから
その頃のひとたちはどうしても信心深くなる。
われわれ現代人と古代人の一番の違いは、
神をどれだけ信じたか信じてないかという
やはりこのへんだと思いますね。
天変地異の起きる原理を知らなかったので、
彼らはそれらが起きたときにはすべてを
神の怒りか喜びがひきおこしたとみなします。 |
糸井 |
人間にコントロールできない領域が広いほうが、
ああいう豊かさっていうのは生みやすいのかな?
うーん、大きい問題ですね。
新聞をこのところ注意してみてると、
宗教観について宗教学者的なひとが
一生懸命に警鐘を鳴らす文章がよくあるんです。
オウム真理教以来、宗教全体に対して、
宗教と言えばある種の精神病理だ、
うさんくさい、とみんなが思っている。
今はようやく学者のかたたちが、
科学以外の引き出しが小さくなる状態に
「それはどうだろうか?」
と言えるようになってきた。
オウム事件の頃にもしそういうのを書いたら
大変なことになってましたよね。
最近そういう記事を見つけると、
「これみんな読んでるかなあ」と思いますけど、
ぼくは気になっていたから読んでいますけど、
気にならないひとはいまだに読まないんですよ。
例えば新しい宗教なんかに入っちゃったひとは
それこそ十把一からげで、
「科学やお金で買えないものを信じる変なひと」
という風に心の村八分にしますよね。
それはまずい、と新聞みたいなマスメディアが
最近ではちゃんと載せるようになってきたので、
このゆり戻しをもうちょっとやってくれると
いいのになあ、という気がするんですよね。
宗教そのものを語ることじゃなくて
文化を語ることで自然に出てくると思うんです。 |
青柳 |
われわれの世代でおわりかもしれないけど、
ここに天皇の写真がかかってるとすると、
ぼくはその写真を足で踏むことはできないんです。
この感覚は、いろいろしゃべってみると、
どうも欧米人にはあんまりないようですね。
その意味でわれわれは宗教に転化できるかどうか
わからないけど、一種のアニミズムとかを
持っているのではないか?と思うんです。 |
糸井 |
日本を航空写真で見ると
神社仏閣の面積がすごいっていうんですよ。
こんなに信心深い国ってないんだって。 |
青柳 |
ああ、そうかもしれないですね。 |
糸井 |
余談的に言うと漁港の数の多さもすごいらしい。
これは利権がからんでるからだけど(笑)。
漁港と神社仏閣の面積がすごいんですね。
でもいちおう宗教はないことにして
全部タブーになっちゃってますよね。
子供のときに遊んだな、と神社をイメージで
語るぶんにはいいけど、信心を積極的に出すと
変わったひとになってしまうという。 |
青柳 |
そうですね。 |
糸井 |
趣味についていくら語ってもよくなったのは
ここ最近のことですよ。おたく文化があって。
これも宗教のかけらだとおもうんですけどね。
その意味では日本には宗教的な土壌が
たくさんある。カルト宗教を生む土壌なんかも
全部そのへんから来てると思うんですけど。 |
青柳 |
ただひとつ、これは日本の特殊事情か
たまたまなのかわからないんですけど、
人口あたりの美術をやっているひとの数、
スキーをやるひとの数、神社仏閣の数などなど、
そういったものはそれだけ多いわけですよね。
それだけすそ野が広くなっていれば、
峰も本来は高くなっていてもいいですよね。
それがなかなかならない。これはなぜですかね? |
糸井 |
そのへん、おもしろいですね。
前に話に出た「飽き」っていうことと
関わりがあるのかもしれないですね。 |