「ポンペイに学べ」 青柳正規教授と、鼠穴で対談しました。 |
第6回 本を買い集めたって、しょうがない。 青柳 ぼくが古代ローマの文化を勉強しはじめたのが 大学の3年生ころからなんですけれども、 その頃は、そういったことを研究しようとしても、 例えば東大でいろいろ本を探しても、 本当に読みごたえのあるのは、数冊しかないんです。 しようがないから、最初は その数冊を一生懸命読み込みました。 しかしイタリアに留学してみると、 これが何万冊何十万冊と、 その関連の本が見つかるわけですね。 だから、 最初のうちは一生懸命それを買い集めていましたよ。 それこそもう、あらゆる財団に 研究費を申請したりしながら、その当時は、 そうやって本のストックを増やしていけば、 自分の知識のストックになると 勘違いしていたんですね。 糸井 ああ、なるほど。 ……大学生の頃ですか。 青柳 大学から大学院のはじめの頃です。 それで、おそらくわれわれの世代のころまでの いわゆる「学者」が外国へ留学して帰るというのは、 ちょうど桃太郎さんが鬼ケ島から 本という宝物を持って帰ってくるようなところがありました。 以前は、つまりヨーロッパに行って、 本という宝物を持ち帰って、 そしてそのストックを切り売りしていけば、 だいたい、学者としてやっていけたんです。 糸井 なんか、リアリティのある話ですね(笑)。 青柳 ふふふ。 ぼくも最初の段階では 向こうの蓄積のすごさに幻惑されて、 そうなりそうになっていましたから。 「あの膨大な本の一部をストックしていけば、 どうにかなるんじゃないか。 日本に持って帰ればいいんじゃないか」 ……だけれども、 本を買い集めている途中で気づいたんです。 それらが「もう書かれている本」だということに。 つまり、いくらそれを日本で紹介しても 2次的なものでしかない。 そんなものは、本当の情報でも、 あるいは本当の知識でも何でもないじゃないか……。 もちろん、先人の積み重ねてきた 本の知識の蓄積の中に入りこむ必要はあります。 でも、いっぽうでやはり、 「自分のほうからも、オリジナルな知識や情報を 発信していかないと、いつまでも エピゴーネン(模倣者)と言うか、 うしろのほうをチョロチョロくっついていく学者に 過ぎなくなってしまうのではないか」 と思いまして。 糸井 そのままだと、知の貿易商みたいなものですからね。 青柳 そうです、まさにそうです。 だから、どうにかして自分で オリジナルな情報を、知識を得たかった。 そのためにはどうすればいいのか、 考えればいろいろな方法があると思うんです。 だから、できれば自分で オリジナルな情報と資料を獲得してそれを解釈する、 つまり、ストックというよりも、新しい資料を共有して、 その共有した情報で競争していきたい……。 そう考えるようになりましたね。 だから、だんだんフローに近づいていくという そういう過程が、研究の過程でしたね。 (つづきます) |
2001-10-22-MON
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