糸井 |
2001年の7月に、大発見をされたそうですね!
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青柳 |
ええ。2002年から、ちゃんとやるんですが、
たぶん、ローマの初代皇帝、アウグストゥスが
死んだ場所なんじゃないかと考えられるんです。
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糸井 |
それって、すごいことなんでしょう?
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青柳 |
そうだと思います。もし証明されたら、
来年から世界中の話題になるんじゃないですか。
特にヨーロッパでは。
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糸井 |
アウグストゥスの死んだ場所だという
証拠のようなものは、すでにあるんですか。
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青柳 |
1932年に、70平米ぐらい発掘されて、
その時にとんでもない玄関が出てきたんです。
これがとんでもなく立派な玄関で、
しかもあのあたり全体が
アウグストゥスの代々の領地ですから、
そんなところに
たいそうな玄関が出土したということは、
そこでアウグストゥスが死んで、
死んだ後に後継者たちが記念ホールとか、
あるいは神殿にしたんじゃないか、
と推測できます。
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糸井 |
よくそれが、今ごろまで出なかったですね。
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青柳 |
そうですね。
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糸井 |
と言うことは、例えば、よっぽど
地層が下だったとかということなんですか。
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青柳 |
そうなんです。
来年からわれわれが掘るその場所は、
ポンペイから、ヴェスビオス山を挟んで
ちょうど反対側にあって、
土石流で覆われたと考えられます。
ボーリングで約10メートルの地下に入れても、
まだ、ローマ時代の地表にたどり着かない。
要するに、ぜんぶ埋まっているわけですよ。
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糸井 |
すごいなあ。
ある意味では、保存状態、安心ですよね。
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青柳 |
そう!完壁です。
ふつうそういうものがあるところには、
地表に土器などが散らばっていますよね。
……一切、散らばっていないんです。
だから、完壁に保存されています。
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糸井 |
かっこいい。
もともと、
当たりがついていたところを
掘られてたんですか。
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青柳 |
ええ。
1932年に試掘をした時に、
そこに小屋を作るだとかそういうきっかけで
たまたま、見つかったんですけどね。
当時にも、いろいろな人が
「アウグストゥスの別荘じゃないか」
とかいろいろ盛んに言っていたんですよ。
ムッソリーニの時代だったので、
政府に言えば掘るためのお金が入って、
発掘できそうではあったのですが、
結局は反対意見もあって、つぶれちゃったんです。
ぼくはその時の資料を細かく調べたんですけど、
どうも、アウグストゥスの別荘で、
ほとんど間違いないだろうな、ということが
わかってきました。
もともと、この発掘は
とんでもなくお金もかかるんです。
だから、ほかのチームが手をつけようとしても、
なかなか、手がつけられないという現実もあります。
日本は、いま、景気はもちろん悪いですけれども、
いまでも経済のボリュームとしては
世界で第2位ですよね?
だから、発掘には15億か20億くらい
かかるんですけれども、それくらいだったら、
どうにかなるんです。
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糸井 |
へええ〜。
想像はつかないんだけれども、
発見って、うれしいものでしょうねえ(笑)。
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青柳 |
(笑)そりゃ、うれしいですよ。
だから、うちの女房なんか最近、
「だんなが舞いあがってる」って、
そこらじゅうに言っています。
「ばかがまた舞い上がって」とか(笑)。
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糸井 |
だって、顔が笑ってるもん(笑)。
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青柳 |
ワハハハハ(笑)。
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糸井 |
うれしい気持ちは、ちょっとわかるんです。
いろいろな意味での
価値のあるものを発見したわけですから。
単に、ぼくが前にTBSの番組で
赤城山の埋蔵金を掘ったりしてた時なら、
あれは、最高によくっても、せいぜい
出るのは「金」にすぎないわけです。
正直なところ、
それ以上いかない、
というつまらなさは、あるんです。
それに、一方で例えば
恐竜の化石を発見したというのも、
「自然物の発見」ですよね。
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青柳 |
うん、そうですね。
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糸井 |
アウグストゥスの別荘なら、
両方にかかっていますよねえ。
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青柳 |
そうなんです。
ですから、見事な彫刻とか、
細工のすばらしいブロンズの壷とか、
それから壁画とか
さまざまなものが出てきます。
一応私有地ですから、イタリア政府が
そういった美術品を買い上げるのですが、
その金額は、すごいお金になるでしょうね。
いろいろなものをあわせると、
金鉱以上の価値があるということも、ありえます。
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糸井 |
発掘する時に、地下水は出ないんですか?
何せ、掘るとなるといちばん悩まされるのが、
地下水の問題ですよね。
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青柳 |
ずっと火山の堆積物になっていますから、
さいわいなことに、水の心配はないんです。
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糸井 |
うらやましいなあ。
それそのものが巨大な美術館であり、
博物館であるというところでしょ?
しかも、保存もいいわけですから。
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青柳 |
そうなんですそうなんです。
ですから、発掘そのものは5年か10年か、
どれだけかかるかわかりませんが、
終わったらそこを
フィールド・ミュージアムにして
そのまま博物館にしようと思っています。
「アウグストゥスの別荘」の発掘を
やる時には、テレビカメラをつけて、
インターネットで
日本でもアクセスできるようにしたいなあ、
と考えている最中です。
その下で我々は
汗水たらしながら働いている。
常に映像に残していれば、
われわれがどこかから何かを持ってきて
発掘現場に埋めたりしていない
証明にもなるわけです。
大学院の頃、
留学している時からのイタリアの人脈とか、
あらゆるものをトータルに駆使して、
ぼくは来年からの発掘を、
最後の仕事にしようと思っているんです。
何年かかるかわかりませんが。
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糸井 |
かっこいいなあ。
遺跡を見つけないままでも
充分におもしろい人生だったでしょうが、
見つけてからが、またワクワクですね。
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青柳 |
そうなんです(笑)。
もう来年からは大変ですよ。
向こうの学者からは、よく
「現地の学者から
嫉妬を買わないようにうまくやれ」
と注意されていますね。
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糸井 |
嫉妬は当然ありますよねえ。
まずは、
馬券当てたみたいに思われますもんね。
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青柳 |
そうそう。
だから、そういうこともあって、
新しい資料でも何でも、
情報公開性を高めてやろうと思っています。
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糸井 |
いよいよ堀りはじめるのは、いつですか?
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青柳 |
2002年の6月ごろからです。
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糸井 |
それまでにいろいろ済ませておく?
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青柳 |
なるべく向こうに、のんびりいます。
500平米の宿舎も、今、整備中なんです。
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糸井 |
何年計画なんですか。
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青柳 |
いちばん短くても5年はかかりますね。
ちょっと延びると7年ぐらい。
それからあとは、
修復とか何とかで、3年かかるのかな?
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糸井 |
青柳先生に最初にお会いした時に、
いちばん驚いたのは、
「豊かさとは何か」という問題を
ずっと考えていらっしゃるんだと
わかったからなんです。
これは、人間が生きるって、
いったい何だろうという、ちょっと
青臭いもの言いともつながることなんですけど。
つまり、価値をどこに置くか?
という話になってくると思うんです。
文化財としての価値のお話なんかも
いま、自然に出ましたけれども、
まだまだ今は価値というものが、いわば
量であらわされてしまっていますよね。
だけども、計量化したうえで
数字がたくさんあがるほうが、
価値が高いとでも言わんばかりの状況は、
ストック中心の考えかたにすぎないわけです。
工業社会から情報社会に移ったと言われるのに、
まだ工業的なものさしで見てしまうことになる。
ストックの考えかたを
はずしてものを考えたほうが、
これからの時代をよくわかる気がします。
まず、その「ストックではない豊かさ」を、
ローマ時代の人々の暮らしを通して、
ぼくは青柳先生に学んで、うれしかったんです。
日本で言うと、何時代でしたっけ?
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青柳 |
ちょうど、弥生ぐらいです。
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糸井 |
そんな昔に、
あそこまで豪華で装飾に満ちた文化がある。
もう、いまぼくたちの持っているような要素が、
すでにぜんぶ、あるじゃないか、と思えたんです。
だったら、
最近の出来事を見てあくせく考えるよりも、
いま起こっていることにしても、
「すごい昔に、すでにあったものだ」
というように考えてみるほうが、
これからの生き方のヒントになるような……。
以前に、青柳先生に
「いまのコンピュータが、
ローマ時代の奴隷にあたるわけですね」
と訊いてみたら、
「いえいえ、いまのサラリーマンが、
ローマ時代の奴隷にあたるんですよ」
と言われて、それがまったく当たっていたから
すごくおもしろかったんです。
いったん古い時代の何にあてはまるかを考えて、
「ああ、奴隷なんだ」
と一度きちんととらえてみることが、
次のステップを探る時には、
とても重要じゃないかとも思いますから。
そういう、青柳先生が
昔のことを調べたうえで現在を見るとわかる
いろいろなことっていうのは、
この本を読んでくれる人には、
生きていく上でのヒントになるんじゃないかなあ。
どこからお話を進めようかなと思うのですが、
「豊かさ」ということについて、
青柳先生ご本人とくっつけて考えると
おもしろいんじゃないでしょうか。
つまり、青柳先生も、実は以前は
ストック式の考えかたを、当然お持ちに
なっていた時期があったと思うんです。
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青柳 |
ああ、ありましたね。
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糸井 |
けれどもおそらく、いまやっているような
お仕事をなさっているプロセスで、
研究が進むにつれて、自分の中にも
豊かさをどうとらえるかについて、
変化がおありになったんじゃないかと思うので、
そのあたりのお話から伺えたら、
いいんじゃないかなあと考えました。
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青柳 |
はい、わかりました。
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青柳 |
ぼくが
古代ローマの文化を勉強しはじめたのが
大学の3年生ころからなんですけれども、
その頃は、
そういったことを研究しようとしても、
例えば東大でいろいろ本を探しても、
本当に読みごたえのあるのは、
数冊しかないんです。
しようがないから、最初は
その数冊を一生懸命読み込みました。
しかしイタリアに留学してみると、
これが何万冊何十万冊と、
その関連の本が見つかるわけですね。
だから、
最初のうちは
一生懸命それを買い集めていましたよ。
それこそもう、あらゆる財団に
研究費を申請したりしながら、その当時は、
そうやって本のストックを増やしていけば、
自分の知識のストックになると
勘違いしていたんですね。
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糸井 |
ああ、なるほど。
……大学生の頃ですか。
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青柳 |
大学から大学院のはじめの頃です。
それで、おそらくわれわれの世代のころまでの
いわゆる「学者」が外国へ留学して帰るというのは、
ちょうど桃太郎さんが鬼ケ島から
本という宝物を持って
帰ってくるようなところがありました。
以前は、つまりヨーロッパに行って、
本という宝物を持ち帰って、
そしてそのストックを切り売りしていけば、
だいたい、学者としてやっていけたんです。
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糸井 |
なんか、リアリティのある話。
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青柳 |
ふふふ。
ぼくも最初の段階では
向こうの蓄積のすごさに幻惑されて、
そうなりそうになっていましたから。
「あの膨大な本の一部をストックしていけば、
どうにかなるんじゃないか。
日本に持って帰ればいいんじゃないか」
……だけれども、
本を買い集めている途中で気づいたんです。
それらが
「もう書かれている本」だということに。
つまり、いくらそれを日本で紹介しても
2次的なものでしかない。
そんなものは、本当の情報でも、あるいは
本当の知識でも何でもないじゃないか……。
もちろん、先人の積み重ねてきた
本の知識の蓄積の中に
入りこむ必要はあります。
でも、いっぽうでやはり、
「自分のほうからも、
オリジナルな知識や情報を
発信していかないと、いつまでも
エピゴーネン(模倣者)と言うか、
うしろのほうを
チョロチョロくっついていく学者に
過ぎなくなってしまうのではないか」
と思いまして。
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糸井 |
そのままだと、
知の貿易商みたいなものですからね。
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青柳 |
そうです、まさにそうです。
だから、どうにかして自分で
オリジナルな情報を、知識を得たかった。
そのためにはどうすればいいのか、
考えればいろいろな方法があると思うんです。
だから、できれば自分で
オリジナルな情報と資料を獲得して
それを解釈する、つまり、
ストックというよりも、新しい資料を共有して、
その共有した情報で競争していきたい……。
そう考えるようになりましたね。
だから、だんだんフローに近づいていくという
そういう過程が、研究の過程でしたね。
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