青柳 |
シーザーという人は、
その時代に求められていた大変な事業を
実現させる方向で
社会システムをつくればいいんだ、
と信じていたんでしょうね。
そのためには、王様になって実現させて
そうすれば民衆もよろこぶし……と、
彼はその自信を持っていたと思います。
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糸井 |
聞いてると、シーザーはかっこいいなあ。
やっぱ、『シーザー』って名前だけあるよ!
……そんなヤツぁ、
どうやって作られたんでしょう?
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青柳 |
すごい社会混乱のなかで、
政治的決断をその都度要求されますよね。
そういうなかで
身につけていったんでしょうねえ。
だから彼のあたまのなかでは、
自分が王様になって、えらくなって
好き放題のことをやるぞっていうのは
やりたいことのうちの、
ごくわずかなことでしょうね。
本来の目的は、
ローマのような世界に
住んでいる人たちが、幸せになって
豊かな生活を送りたいということで。
それを実現するためには、
自分が王になるのが
いちばんいいだろうと。
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糸井 |
そのシーザーの倫理って、
キリスト教の倫理ではないですよね。
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青柳 |
そうではないですね、その時はまだ。
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糸井 |
シーザーがそうやって願うのは、
なんでだったんでしょうねぇ……。
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青柳 |
地中海世界は、
エジプト人も住んでいれば、
北アフリカには
ベドゥウィンみたいな人も住んでいますし、
いろいろな文化が接している
濃密な空間なんですよねえ、全体が。
濃密な空間で、
ギリギリの折衝をしたり
ギリギリの戦争を
したりしてきていますから。
われわれだと例えば
貧しい国があれば
食料を送ればいいやとか
言いますけれども、食料を送れば
一部の人たちが受けて、貧富の差が
拡大するおそれもあるわけです。
だから、善意が悪意になりうるわけです。
世界中に通じる善意なんてないんです。
それが国際社会ですよね。
そういった濃密な空間が、
地中海という地域には、
昔からあったわけで、
そのなかで、単純に、
「みんなで平和に暮らしましょうよ」
なんて言っても、
バカって言われますよね。
そうしたら、権力によって
自分の描く
社会の到来の実現を夢見る……。
そのためには権謀をつかってという。
そういうのが、個人のなかに
いちばん凝縮されているのが、
シーザーでしょうね。
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糸井 |
かっこいいなぁ。
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青柳 |
かっこいいですよ。
とんでもない色男。
きれいな
プロポーションだったらしいですし。
崩れた着方をして、ほとんどの女性が
コロッといったらしいですね。
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糸井 |
そういうことは、
なんでわかるんですか?(笑)
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青柳 |
(笑)ははは。
文献に書いてあるんです。
非常にシャープな感じの。
いま、アメリカのインテリ系で
かなりかっこいいと言われている
エリートたちがいますよね。
でも、シーザーは、
それよりもっとかっこよくて、
もっと優しさに満ちた感じがあって、
慈愛の目があって、それでいて、
非常に人を吸いつけるような魅力が、
あったと思いますねえ……。
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糸井 |
(笑)それを語っている
青柳先生が、もうほれてますよ!
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青柳 |
あははははは。
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糸井 |
ぼくは最近、
「学ぼうと思えば犬のくそからでも学べる」
と思っているんですよ。
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青柳 |
ハハハ。
それ、いいですねえ。
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糸井 |
「学ぶって、いったいどういうことなのか」
と考えてまして……
それでいろいろな本を、この
「ほぼ日」から出しているんですけれども。
つまり、本と言うと
すごく大事な美術品のように
扱われがちだし、読みにくくても
無理して読むような先入観があるけど、
何かを伝えるとか、読むとか、
学ぶとかいうのは、
ほんとうにそういうものなのかなあ?
という疑問がありまして。
今の人が生きていくために
必要な道具を次々に出していく気持ちで
読みやすくて、
しかも大切なことが書かれていて、
読んだ途端に実際に使えるような本を、
作ってみたかったんですよ。
そういう本なら、自分でも読みたいんです。
もちろん、保存するための本ではなくて、
遊んだり、楽しんだり、
使ったりするための本だから、
買ったとたんに
読み捨てられても構わない、という。
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青柳 |
それは、おもしろいですね。
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糸井 |
「学ぶ」っていうのは、
「すでにある知識を得ること」じゃなくて、
「学ぶ方法を理解すること」だと思うんですよ。
やっぱり、どこの世界でも
どういう人材がいちばん欲しいかと言うと、
環境が変わっても
そのつどやっていけるヤツだし、
「こういう場所なら、
こういうことを俺はしたい」
と、素手で何かを
つかみ取ることのできる人ですよね。
だから、教科書を読んで
何かの知識を得るというよりは、
いまおもしろい仕事を
実際にしている人の横で
その人のやっていることを
見たり聞いたりするほうが、
ものすごく、
「学ぶ」ことになると思うんです。
ぼくはこの本を、そんなようにして
作りたいと考えています。
青柳先生のそばで、多少のムダ話も含めて、
じっくりと会話をしているような本って、
あとあと何かのヒントになるんじゃないか、
とぼくは考えているんですよ。
素晴らしいアイデアなり業績なりを残すのは、
やはり人間ですから、それならいっそ、
現役で何かをしている人の
話し方の個性まで出てしまう本のほうが、
丁稚奉公に近い学び方をできると思うんです。
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青柳 |
いいですねえ。
学び方を学ぶことについては、
エリザベス1世が
おもしろいことを言ってますよ。
彼女は、60歳を超えてから、
12番目か13番目の
外国語の勉強をはじめたんですよ。
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糸井 |
うわ、すげえ。
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青柳 |
すでに10何カ国語は
きちんと習得していたわけです。
だけどもうひとつをやりだした。
それでまわりの重臣たちが
「どうしてそんなにやれるんですか」
と尋ねたらしいんですが、彼女は
「わたしは自分で勉強してきて、
2番目か3番目の
外国語を身につけた時から
外国語を学ぶ方法を会得しました。
だから、今からやる言語に関しても、
時間さえあれば、何の苦もなくできるのです」
と……。
学ぶ方法を知っている、というのは、
そういうことですよね?
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糸井 |
まったくそうです。
結局、
昔の人が言っているように、
子どもに魚を与えるよりは、
釣り針と糸を渡すべきだ、
みたいなことですよ。
そのほうが、自分でいくらでも取って
食べれるようになるよと。
釣り針と糸のような道具こそが、
これからの時代に、
いちばん必要ですよね。
その釣り針と糸のようなものとして、
考える基盤みたいなものに、
この会話がなっていればいいなぁ、
と思うんです。
あとはそれぞれ、
誰か読んでくれる人がいるなら、
これをもとにしながら、
実地でリスクを負って、がんばれよと。
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青柳 |
ハハハ。
そうですそうです。
ギリギリの現実で
必死になるということは
とても大事ですよね。
ぼくの高校の一年先輩の
井出さんという人は、
東大の野球部からプロ野球に入ったんです。
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糸井 |
あ、ぼくの年齢で
野球を好きな人なら知ってるんですけど、
中日の井出コーチ(当時)ですよね?
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青柳 |
そうです。
同じ年に東大に入学したら、
彼は才能を見込まれて
野球部から声をかかってました。
……ぼくも声がかかるかと思ったら、
全然かからないんですよ。
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糸井 |
(笑)青柳先生、野球をやっていたんですか。
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青柳 |
……やってた(笑)。
それで、誘われないから
ひねくれて、山岳部に入ったんです。
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糸井 |
わはははは。ひねくれたんだ(笑)。
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青柳 |
その井出さんが、10年か20年前に
中日の選手をやめる時に、
つくづくと言っていたんです。
それが、おもしろかった。
「自分は、筋力や瞬発力では、
まわりの選手にも劣らないことはわかった。
でも自分がプロ野球で成功できなったのは、
ほかのヤツらが、野球エリートとして、
小学校くらいから全国大会とか県大会とかの
修羅場ばかりくぐってきたからなんだろうなあ」
井出さんには、幼少の頃からの
野球の修羅場の体験は、なかったですから。
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糸井 |
(笑)修羅場。大事ですね。
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青柳 |
それこそ、プロになる人はみんな、
小学校の頃から、
お山の大将でやってるわけでしょう。
しかもだいたいが、
ギリギリの決勝戦をむかえたりして(笑)。
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糸井 |
10歳くらいから、
カツカツでしょうね(笑)。
小さいときから一国一城のあるじなんだ。
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青柳 |
「その経験があまりにもなかったから
自分は成功しなかったんだ」
というのを、
井出さんは、つくづく言っていました。
本当かどうか知りませんが、
なるほどと思いましたね。
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糸井 |
それ、リアリティーがありますよね。
「俺がやらなければだれがやる」
という経験を、
小学校のときからやっているかどうかは、
大きな差につながるでしょうから。
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青柳 |
ですよねえ。
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糸井 |
それはすごい経験ですよね。
その意味ではやっぱりこう、
給料を必ずもらえる
社会というのに対して
新しいデザインで
対抗するといいかもしれない。
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青柳 |
失敗したら
給料を下げるんじゃなくて、
指を1本切るとか?(笑)
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糸井 |
(笑)そりゃ、確かに
ギリギリのたたかいですけど。
まぁ、
とにかくリスクがあっての勝負だから、
リスクのない仕事をいくらやっても、
人の器は、育たないですよね?
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青柳 |
はい。そう思います。
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