第1回 極限状態で見えてくるもの。



岩田さん、こんにちは。
こんにちは。
今日は、よろしくおねがいします。
よろしくおねがいします。
岩田さんとはつきあいは長いですけど、
こういう「社長に学ぶ」とかいうことで
会うのは、はじめてですね。
ほんとですよ。
今までも、糸井さんとは、
きっと、似たような話は、
いっぱいしてるんですけど。
いっぱいしてる、いっぱいしてる。
こういうかたちで、
改まってやりとりするのは、
はじめてですね。
はい。
ただ、ぼくが「社長に学ぶ」という
シリーズ企画を考えたのは
じつは岩田さんがきっかけともいえて……
なんだか、いつも
いろいろなことを教わっていましたから。
あぁ、それはたぶん、
わたしが糸井さんに
「そのときの自分に興味があって
 おもしろいこと」
をお伝えしていたんだと思うんです。

糸井さんは自分がおもしろいと感じることを
人に教えて「へぇー」と言われると、
すごくうれしいという人じゃないですか。
うん。
わたしもそれとまったくおんなじなんです。
自分でやってみてわかったことで
糸井さんのお役にたつかもしれない、
というお話をすると、
糸井さんがそのつど
妙に反応してくださったんですよね。
いちいち、うれしかったんです。
「あ、そうか!」って思ったもの。
ちょうど「ほぼ日」が
できるときでしたね。
そのころが、いちばん濃く、
そういうことを
お伝えしていたような気がします。
うん、ちょうどそのころです。
そのときの自分には、
今のような人生があるとは、
わかっていなかったのですが。
うん、うん。

ただ、ぼくから見ると、
岩田さんは、最初から
ずっと「社長」だったんです。

知りあったときには
もうHAL研究所という
ゲームソフト会社の社長でしたし、
社長である人生が長いという
めずらしい人ですよね。
三十代のころから社長でしょう?
社長になったのは三十二歳で、
いま四十五歳ですから、
社会人生活の半分以上は社長ですね。
もっとも任天堂に来た直後は
社長ではありませんでした。
ああ、そこに短い時間があるんですね。
そこに、二年間のブランクがあります。
社長業のブランクがあるにしても、
ずっと社長だったというのはめずらしいし、
そもそも岩田さんは、社長になりたいと思って
生きてこなかったのになったという人だから……
たぶん、世間の社長が
ふつうに知っているようなことを
知らないところからはじまっているんですよね?
そうでしょうね。
どちらかというとゲームを極めて、
もっとおもしろいプログラムを
書けるようになりたいとか、
そういうことのほうが興味の中心でしたから。
HAL研究所の社長になる
三十二歳の頃は、誰も先生がいない状態で、
野放しで、社長になったわけですよね?
HAL研の時はそうです。
そのころの話をともだちにすると、
みんなが、苦笑まじりに
「すごいですよね」っていうんです。
そうですか、三十二歳からでしたか。
はい。

三十一歳の時に、
会社が経営危機になるんですね。
新聞記事になったようなことですから、
ある意味では大事件ですよね。
「HAL研究所という
 ゲームソフトをつくる会社は、
 山梨にコンピューター村的なものが
 できていくときに
 リーダーシップをとっていたのに
 倒産したらしい」
みたいに報道されたのをおぼえていますから。

岩田さんは当時、
技術者としては部長ぐらいだったんですか。
取締役開発部長ですね。
まぁ、開発の責任者をしていたんです。
じゃあ、つまりその、
「取り締まる」ほうの部分については……。
どちらかというと、あまり
考えていなかったといっても過言ではないです。
経営会議みたいなものには出ていたんですよね?
まぁ、そういうものはありますから。
でもその時には、
開発の代表としてしゃべっていましたから。
「君の立場からはどうかね?」
「それをされると困っちゃいますね」
みたいな答えかたをしていればいいんですよね。
はい。
つまり、
「社長になった」というめでたさではなくて……。
はい、ぜんぜんめでたくはなかったんですよ。
会社が広い意味で倒産して、
借金からはじまるわけです。
そのときの負債総額は、何十億円もありまして。
あいたたた!
結果的には十五億円を
六年間で返すことになりました。
つまりそれは、
「全額返せというのは無理かもしれないけど、
 ちょっとでもとれたほうがいいだろう」
ということですよね?
そうです。
その意味では、そのときいろいろな人に
ご迷惑をかけていますから、
そんなに胸を張って
いえるようなことではないんですよ。

ただ、和議できる会社というのは
世の中にはあまりないそうです。
実際には、
「借金の十分の一を二十年かけて返します」
というような会社が
ほとんどなんだそうですが……
とりあえずは、マイナス十五億円というのが
わたしのスタートでした。
年に二億五千万円ずつ、六年で返す。
しかも、
社員の給料も払っていくわけでしょう?
もちろん会社の維持費がかかり、
当時土地や建物は担保つきで別にあったので、
その借金は別の借金として返しました。

もちろん社内の仲間や周囲の協力に
恵まれていたからこそできたことですが、
とにかく大きなマイナスから
はじまったとはいえます。
もしも借金の額が五千万円ときいても
「そうかぁ」というだけだけど、
つまり、個人としては途方に暮れる数字が、
目の前にあったということですよね。
はい。日本の社会には
「銀行がお金を貸したときは
 経営者が個人で保証しなさい」
という仕組みがあります。

大企業の社長には
そういうことは
要求されていないみたいですけど、
中小の企業の会社では、要するに
「会社が倒産したら、
 個人が一生かかってつぐなうんだ」
という約束をさせるならわしがあるんです。
まぁ、そうしないとまた
悪いことして逃げちゃう人がいるのでしょう。

法人とは責任を有限にするために
作られた発明ですが、有限責任だからといって
会社を切り捨てて逃げて太っていく人が
いないようにするための仕組みなのでしょうね。

会社が建物を担保に借りた借金は、
もし会社が立ちゆかなくなったら、
わたしが個人補填をしなければいけない
状況になっていました。
いま途中で、
「ほぼ日」読者のために
解説を加えたくなってきました。

岩田さんはいまの説明を、
基本的には銀行の立場からしているんです。


何十億の借金を抱えた企業の
後継経営者でありながら
全体のルールを解説しているという、
これはすごくめずらしいケースだと思う。

講談本でいえば、いまは
「苦境に立たされた社長が苦労したんやでぇ!」
というところだから、銀行を鬼にしたほうが
「敵はそういうことをしやがるんですか!」
と、話はおもしろくなるんですけど、
岩田さんは相手側の解説をしているわけです。

このへんも、
岩田さんのキャラクターとして、
お伝えしておきたいところですね。
なるほど。

でも、そういう極限状態の時には、
ほんとに、いろんなものが見えるんです。

「そういうときに、
 銀行の人はどんな接しかたをしたのか」とか。

たとえばわたしがあたらしい社長として
あいさつにいきますよね?
はい。
三十二歳の若造ですね。
向こうには
「こんな若造が……ほんとに返せるのか?」
という気持ちがないはずはないですよね。
ええ、その三十二歳の若造が
「わたしが社長になって
 がんばって借金をお返しします」
といいにいきます。

するとそのときには
「がんばってくださいね」
とおっしゃる銀行さんと、
「ちゃんと返してくれないと困るんだからな!」
と、すごく高圧的な態度に出られる
銀行さんとがいらっしゃるんですね。
こちらはどちらのタイプでも、
なにかいい返せるような立場じゃないですよね。
はい。
ただ非常におもしろいことに、
そのとき高圧的だった銀行さんほど、
その後にはやく名前が変わりました。
あら!
それだけ、あちらも深刻だったんでしょうね。
(笑)
ほら、また、相手側の解説をしてます!
「悪いやつはやっぱり滅びるんですね」
とはいわないで、
「苦しかったから、高圧的だったんですね」
と考える……
これが岩田さんのキャラなんだよなぁ。

人はなにに対しても
白黒や善悪や紅白の色をつけて
物語を編むものだと思うんです。

ドラマを見ては
「ありゃあ、悪そうだねぇ」
と感情移入していくものなんだけど、
岩田さんは
「相手側にもこちら側と同じように
 ふつうの人間がいて暮らしている」
という認識がいつも崩れないんです。


第1回おしまい。明日に、つづきます
 
2005-03-01-TUE