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わたしは、お客さんに対しても、
うちに仕事をくれる別の会社に対しても、
相手が期待した以上のものを
いつも返してきたつもりなんです。
HAL研究所がたいへんになったときは、
そのリピーターだった人たちが
「ぼくらがなにか
お手伝いできることがあったら、
なんでもしますよ」といってくださって、
実は一社も
切ろうとしたところがなかったんです。
いまから考えると、
自分が困難だったときに、
わたしはそれに
ものすごく救われているんです。 |
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ふつうはそういうことになると
「信用不安のある会社には
仕事を頼んだらあかん」となるんですね。
だけどそうならなかった。
任天堂がいろいろなかたちで
助けてくれたのですが、
「信頼関係でやっている仕事は
そのままおやりなさい」
といってもらえました。 |
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そのときには、
岩田さんは、もう結婚をしていたんですか。 |
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してました。
新婚でもないですけど、
下の子はまだちいさかったですね。 |
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もちろん家族がいるから
つらいっていうところもあるけど、
いたことが逆に
よかったということもあったり……。 |
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わたしは嫁にも感謝しています。
それに関して
一度も責められなかったですから。
世間体も決してよろしくないし、
すごいリスクを取っているわけなんですね。
「なんでそんなことをしなきゃいけないんだ」
といわれたって、
ぜんぜん不思議ではないんです。
それは、ほんとうに、ありがたかったですね。 |
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そこでなにも責めない人がひとりいるだけで、
へっちゃらな顔をしている人が
ひとりいるだけで、ものすごくおおきいですね。 |
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さっきもいいましたが、
わたしが「次もあいつとやりたい」と
いわせたいと思っていたまわりの人たちが、
誰も自分のまわりから
いなくならなかったし、むしろ全員が
「ぼくらができることはなんでもしますから」
といってくれたことに、
ものすごく救われています。
それがなければ
やれていないかもしれませんし
揺らいでいたでしょうから。
やはりさっきの話に戻りますが、
銀行さんたちが、
むちゃくちゃいうわけじゃないですか。 |
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九割が支持してくれても、一割が
「岩田さんカンベンしてくださいよ、
常識でしょう?」
という捨てゼリフを残して去っていったら、
急に目の前に寒風が見えてきますよね。 |
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しかし当然なのですが、社内では
最初から全員がポジティブではないんです。 |
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やっぱり修羅場だったんだなぁ。
あとできくから整理できる話でしょうけど、
そのときに
もしもその話をきいていたとしたら、
やっぱりぼくも、
「岩田さん、ぼくがなにをするのが
いちばんうれしいですか?」
としかいえなかったと思います。
でものちのためとしては、
結果的に最高の教科書になったんですね。
「獄中で読める本はぜんぶ読んだ」
という話がよくあって
それを刑務所学校というように、
倒産学校という言葉さえあるんじゃないかと、
岩田さんのお話をきいていると思うんです。
つまり服役も倒産も、
どちらも前に進むしか道はないし、
逃げるという選択肢がないところにいる人の
話なんですけれども。 |
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逃げるという選択肢は
いちばん最初にあったんだけど、
まずそれを捨てたんです。
「もし逃げたら自分は一生後悔する」
最終的に決断した理由は
それしかないと思います。 |
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それを岩田さんの倫理と見るか、
岩田さんの美学と見るか……
いちがいに、理科系で論理で
つきつめるタイプの人はそう決めます、
というような決断ではないですから。 |
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わたしは
「理科系の人はみんなこうだ」
とは思えないです。
むしろ、理科系的に期待値を計算して
なにがトクかと考えたら、
あの選択肢はないんです。ですから、
美学か倫理かわかりませんけど、
そういうものです。 |
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つまり、HAL研究所というのは
ずっと自分が暮らしていた場所で、
仲間がいっぱいいるわけで、
そこはおおきかったんでしょうね、きっと。 |
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一緒に汗をかいた仲間がいるのに、
どうして逃げられるかというのが
いちばんおおきい要素でした。 |
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当時のHAL研究所で、
岩田さんは年齢的には
どのぐらいの場所にいたんですか。 |
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開発でわたしより
年上の人は四人ぐらいかな?
それから営業や本社機能でいえば
もう年上の人ばかりですよ。 |
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年上の人でリーダー役のできる人を
探るようなことはなかったのですか。 |
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開発は自分がやっていましたし、
会社全体についても
「この会社のなにが強みか」
を考えたときには、
開発を軸に立てなおす以外に
ないだろうとすぐにわかりましたから。
それは頭の中で
十秒でわかるこたえといっても
いいかもしれません。 |
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つまりその場合の開発というのは
「ゲーム」ということですよね? |
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そうです。
それは見えやすかったですね。
特に当時は、ゲームというものは
ちゃんと作れば打率の高いものだったんです。 |
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そうかそうか、当時のほうが、
今よりヒットの出やすい環境があったんだ。 |
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はい。
スーパーファミコンの全盛時代です。
わたしが社長になってから、
最初に『星のカービィ』を作るんです。 |
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カービィ、おぼえています。
『ティンクルポポ』
というタイトルだったんですよね。 |
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あのタイトルで
ゲームボーイのソフトとして
出す予定でしたが、
「もったいない」と
宮本茂さんがおっしゃって、
調整して、任天堂発売の
『星のカービィ』に変わるんですね。 |
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じつはそのシーン、
ぼくは見てるんです。
宮本さんが
「『ティンクルポポ』っていうのが
あるんですけどね……
ちょっといじるだけで、ものすごく
おもしろくなるやつがあるんです。
あれ発売を中止して
作りなおしていいですか?」
というところからはじまってるんですよね。
HAL研究所側は、
あれを作ってがんばろうとしてたんだけど。 |
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まぁそうですね。
ただ、そのころのわたしはやはり、
ものの名前とか
売りかたとかいうことに関しては
ほんとに無頓着だったと思うんです。
そういうものは
「自分が考えることではない」
という認識でした。
かといってほかに
そういうことを考える誰かが
いたかというといないんです。
いないからああいうものに
なったんですけど。
自分の守備範囲として、
興味を持って世の中の流れを見て
分析して……
みたいなことをしていなかったんです。
ずっと前から、もう
次から次へあたらしいものを作っていって、
自転車操業のようにそれをまわさないと
会社がたちゆかなくなっていましたから。
ものの名前や売りかたについてはもう
「みんながそれでいいというなら
それでいいんじゃないの?」
というぐらいの雑さでした。 |
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もう、広告も出ていたんですよね、
『ティンクルポポ』は。 |
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注文も取っていたんです。
注文数が二万六千本でした。
『星のカービィ』ゲームボーイ版は、
結局五百万本以上売れることになる……
二百倍売れることになったんです。 |
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注文取っているものを
やめさせるというのは、
ものすごい乱暴なことだと思うんですよ。
それをさせちゃったんだ! |
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たしかそのときは、
会社のなかで大激論がありましたよ。 |
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ええ。
だって営業の人からしたら
もう、メンツ丸潰れもいいところですから。 |
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しかもその二万六千の予約が、
いまきくと少なそうな数字に
聞こえていますけど、
現場からするとでかいですよね。
でもそのおかげで
先の先に五百万本が待っていたんだ? |
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あの開発中止がなければ
今のカービィはないんですね。
カービィは今までのシリーズ
累計ぜんぶでいったら、
世界中で二千万本以上売れていますし、
カービィが登場するスマブラを含めたら、
累計三千万本を大きく超えていますから、
本当に大きな転機でしたね。 |
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笑っちゃうよね、もう。
ぼくは宮本さんにそのことについて
きいたことがあるんですけど、
そんなことをするのは
しょっちゅうではないそうなんです。
宮本さんがそこまで
乱暴なことをするということは、
ほんとにゲームのおもしろさを
信じられるものだったんでしょう。 |
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