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社長に学べ!<おとなの勉強は、終わらない。>


第8回 いそがしい場所に身をおく。



HAL研究所が山梨にいるということの
有利とか不利というのはあったんですか?
今から考えると、
山梨にいなかったら、開発チームが初期に
「草刈場」に、なっていたかもしれません。
つまり、優秀な人たちがつぎつぎと
ひっこぬかれて別の会社にいってしまうという。

わたしにさえ、社長になる前に
スカウトの電話がきましたから。
それから明らかに、
ちょっと外からコンタクトがありそうだな
という人も見えましたし。

会社との信頼関係があれば
人は残ってくれますけど、
「ここにいても芽が出ない」とか
「ここにいても不幸になる」と思ったら、
誰でも出ていくじゃないですか。

もしくは
「明日から給料出ないよ」となったら、
みんなそれは他の仕事探しますからね。
だから草刈場にならないで済んだというのは、
山梨にいたからだなとはちょっと思いますね。
山梨にいて、
他の似たような会社もなければ、
情報源もない。

HAL研の場所は山梨といっても
町のなかではないわけで。
まぁ、ちょっとはずれていますからね。

あの環境は逆に、ものを作るのに
集中するにはとてもいい場所なんですよ。
当時はまだインターネットも
使われていないからよかったですよね。
世の中のへんな噂がきこえてきたりしない。

一方では任天堂が京都にあって、
もう一方では山梨の山の中にHAL研があって、
たまたま東京じゃない場所どうしのつながりが、
ラッキーな物語を生んでくれていた、
というのもあったのでしょうね。
東京にあったら、
会社がぎくしゃくして、
いくら誰が旗をふっても
つづかなかったかもしれません。
わからないですけどね。
「いま、なにをするべきか?」
についても、もしも東京にいたら、
岩田さんという三十二歳の若い社長に
ご親切にいろいろ教えてくれちゃう人が、
いたかもしれません。

でも山梨と京都を往復しているかぎりでは、
なんていうか……「平凡な野心」は、
持たなくて済むじゃないですか、たぶん。
ものを作ることに集中できていたな、
ということはなんとなくおぼえていますね。
ずっと合宿してるみたいなものですよね……
きっといまこの話を文字で読んでいる人は、
HAL研究所の場所を
ぼんやり想像しているとは思うんですけど、
「その想像よりもすごい場所だよ!」
とぼくは言いたいです。
まずは、坂をのぼっていくんですよね。
そこから甲府盆地が一望できます。
甲府盆地の向こう側に富士山が見えるんです。
すごい眺めですよ。
(笑)そうそう!
『MOTHER2』のなかに、
「ふじさんのみえるソフトハウス」
という看板を立てましたけど
ほんとにそうで、
観光地にいるような気分になるんです。
観光地の展望台でも、
あんなに景色のいいところは、
あんまりありません(笑)。
ぼくがHAL研究所とつきあうようになって、
チームの人たちがつぎつぎに
HAL研で合宿的に仕事をするときになると、
いつも「どこに温泉があって」とかいっていて。
はい、石和温泉です。
「温泉とか夜景がどうとか、
 おまえらどこに行ってんだ!
 ほかにはなにかないの?」

「ほかには、ないんです」

マダガスカル島じゃないですけど、
血が混ざらないおかげで、
実験をずっとつづけることが
できた場所、ですよね。

岩田さんはそのときに、
開発のエースをやりながら
社長をやってたわけで、
これはよく、両方もできましたよね……。
開発専業の会社で
作っているものの数が少ないから、
やるべきことという点では
開発のエースであるということと
社長であることのかさなりが
すごく、おおきかったんです。

一生懸命にプログラムをして、
それから会社のいろんなことを決めて、
現場でいざこざが起これば
両方の話をきいて、
両方が納得できるように説明して、
半年に一回全員と面談して、
みんながなにがハッピーで
なにがアンハッピーで
これからどうなりたいのかをきいて、
そのためには
どうしたらいいのかをいって……
ということをずっとくりかえすわけです。

わたしはそのとき、
自分を常にいちばん忙しいところにおくと
決めていたんですよ。
なんかいま、太字なことをいいましたね。
社内にチームはいくつかあって
いそがしさのピークはズレているわけですが、
わたしはいちばんいそがしいチームに
応援しにいくことにしていました。


そうしたのは、まずは、
「そのときにどんな課題があるのかを
 見つけて分析して解決する力」が、
当時、わたしが社内の開発者としては
いちばんあると思っていたんです。

いちばんたいへんなところに
自分がいくのが、会社の生産性にとって
もっとも合理的であると……それと同時に、
「岩田にものを決められること」
に会社の人たちが納得するためには、
問題解決の姿を目の前で見せることが、
いちばんいいじゃないですか。

「あの人が決めてもオッケー」
「あの人が決めるならまあ納得しよう」
といってもらうのに、
こんなにいい方法はないんですよ。
行動の中で、
ボス猿がボス猿になっていくわけだ?
そうです。
なるほど、
開発の会社だということが
ものすごくあらわになったがゆえに
とれた方針だったんですね。
最初に開発の会社って決めましたからね。
そこが、ものすごく大事だったんだ……。
バブルが終わったあとに、
選択と集中という言葉が
よくいわれるようになるんですけど、
一九九一年の時点で、
わたしたちは選択と集中を決断しているんです。
してますねぇ。ぼくも教わりました。
経営についてきいたら
「あんまり教えることはないんです。
 ぼくが長年やってわかったことは、
 なにが得意でなにが不得意かを知ることと、
 得意なことに向けてひた走ることの
 ふたつなんですよね」

とおっしゃったんです。
ええ、
糸井さんが「ほぼ日」をはじめるころに、
その話をしてるんですけど。
「ほかにもあるといえばあるんですが
 あえていうとすれば、それだけです」
みたいにおっしゃったんですけど、
たしかにゲームを作っているときに
横で見てると、
岩田さんはいつでもそうしているんです。
ここで重要なのは
「いつでも」というところだと思うんですが。
はい。

わたしはそうしていないと
気が済まないんです。
いろんなことを見ますと、なるべく
「なぜそうなるのか」がわかりたいんです。

なぜこういうことが起こるのか、
なぜこの人はこんなことをいって
こんなことをするのか、
なぜ世の中がこうなっているのか……

自分のなかで、なるべく
「これはこうだからこうなんだよ」
とわかりたいんですね。
岩田さんは、
仮説を、絶えず立てたがりますよね。
事実を見たら、
常になぜそうなるのかの仮説を立てるんです。

仮説をたてては検証してみて……
当然人間がやっていますから
しょっちゅうまちがうんですけどね。

でも仮説を立てては検証して、
とくりかえしているうちに、
やっぱり、より遠くが見えるようになったり、
前には見られなかった角度で
ものが見られるようになったりするんです。


これはわたしが
糸井さんに学んだことなのですが、
わたしは糸井さんに
「なんでこれが流行ることが
 半年前にわかったんですか」
と何度もきいているんですよね。

そしたらいつもおっしゃるのは
「ぼくは未来を予言していないよ。
 世の中が変わったことに、
 人より先に気づいているだけなんだよ」
ということでした。
それをきいて、わたしは
自分がそれをできるようにするには
どうすればいいのかと思ったんですね。

それで仮説を立てては
検証をするというくりかえしをしてきました。
人がまだ変化を感じていないうちに
気づくということは、わたしは
あの当時よりもずっと今はできていると思います。
ものすごくできていますよ!


第8回おしまい。明日に、つづきます
2005-03-10-THU