会社がうまくいかなくなる過程は、 最初はちいさな予感ですよね。
「勝つかなぁ、負けるかな」 「もしかしたらアウトかな」 なんて思っていて、次第に 「もう敵が自分の陣地に 入りこんで攻めてくる」と、 はっきりわかる日が あるのでしょうけど、 その日のことは、おぼえていますか?
もちろんです。 もうぜんぶの記憶がクリアです。
ぼくはある日から、 人と話したことは ぜんぶメモを取っていますし、 すべてのやりとりを 議事録に残すようにしています。
その方針は、 そのときの痛手が 生かされたんですか?
はい。
本質をつかまないと おなじことをやってしまうから、 本質をつかむために 事実はすべて残すようにしたんです。
どこでどんな意思決定をして、 誰とどんな話をした結果、 どうしたこうしたという記録は、 すべて保存してあります。 そこは「鬼」ですね。
二〇〇億円を借金して 倒れてしまえば 「ぜんぶ」なくなるんですから。 殺されるんですから。
二〜三年、 あったんじゃないかと思います。 春夏秋冬、ずっとです。
そうです。 だけどある時期から 「もう無理だ」とあきらめたんです。 もう、わかっちゃったんです。
「もうこれは 立てなおすことはできない…… 自分はまちがった道に 入ってしまったんだ」 まわりが平面に見えてしまったのは、 そう覚悟して ギブアップした時からだと思います。
仕事のパートナーとは何でも話しあうし、 期待もするし、愛情も注ぐという それまでの自分のスタイルとは 相容れない人たちがやってきて、 ぼくの肉をズバズバと切っては 持っていってしまう。
そこで「おまえ、やめろよ!」と ケンカをすることもできたのですが、 当時は 「人間って、そんなもんかなぁ」 という絶望感が、 ぼくをいちばん悩ませました。
「人間ってそんなもんかなぁ」 は、ぼくには、心底、こたえました──。
そういう時に、 心を許せる場所というのは持てるんですか?
それはもう、家族ですね。
家族といる時だけは、 風景に、立体感が出る?
もしも二〇〇億円の借金をして倒れたら、 生きていけません。
家族も親戚も仲間も会社も、 それまで築きあげてきたものを、 すべて失ってしまうじゃない?
そのころぼくは 渋谷のハチ公前に TSUTAYAを作っていました。
それに加えて 上場のための動きをやっていて…… だから、けっこうイケていたんです。
ただ自分がしていたことを ふりかえると、なんというかもう、 早い話が「わけわからん」!(笑)
これほどまでに 論理的な社長のクチから 「わけわからん」が!
実際にわけがわからんわけです。 だからもうあとは無我の境地です。
ぼくは 「無我夢中」という言葉が すごく好きなんです。
「我」がなくなるぐらいに 夢のなかにいるということで、 まさに二〇〇億円の借金の時には そんな状態でした。
自分のことなんか ひとつも考えることができません。 会社の上場も渋谷の出店も リアリティのないまま進みます。
おかげで一九九九年の大晦日には 渋谷のTSUTAYAが オープンして成功しましたし、 二〇〇〇年の四月には 上場することができました。
それでお金が多少は入ってきますけど、 それだけでは 百億円には追いつきませんよね。 税金がとられますから、 百億の借金を返そうと思ったら 二〇〇億ぐらいは要ります。
ただ、その時にたまたま ぼくは楽天に出資していたから、 それが何百億になりまして、 それで借金をぜんぶ返したんです。
三木谷くんから相談があって 「じゃあ、いいよ」 とポンと出資したというのは、 自分のかつてのスタイルでしたから 「タライの水が返ってきた。 俺の生き方はまちがっていなかった」 と思えまして……そう思えたことが、 いちばん大きかったのです。