本の勉強。
『Say Hello!』をツールに出版を学ぼう。


■第2回■
  いい写真って、
なんだろう?

柳瀬 ぼく、じつは、自分でも
写真を撮っているんですが、
いい写真ってなにか? っていうのが、
ぜんっぜんわかんないんですよ。
横里 ああ、ぼくもわかりません。
柳瀬 写真評論的世界の「いい写真」って、
あるじゃないですか。
いろんな難しいことをおっしゃってて
ぼく、あれがモヤモヤわかんなくて。
逆に、なんか、素直に、なんかこの写真、
いい写真だなっていうものっていうのは、
ぜんぜん独立していて。
活字が好きだから、
活字の人の言うことに左右されて
写真を見ちゃったり
するんですよね(笑)。
『Say Hello!』を見ると素直に、
ああ、いいなーって言うんだけど、
ぼくにはこれを語る言葉は、ない。
でも自信を持って勧められるんです。
そうすると、今まで
写真を語ってきた言葉って
なんだったんだろう?
糸井 荒木さんになぞらえて語ることが、
たぶんこれから多くなると思うんです。
つまり、デジタル写真以後っていうのは、
荒木さんが何してたんだろう?
っていうことを
考えることでわかってくる、
みたいなところがあって。
荒木さんについてひとつ、
「ああ、その言い方はすごいな」
と思ったのは、
橋爪大三郎さんが、
「荒木さんは、たとえて言えば、
 手にカメラがついてるんですね」と。
つまり、この手を向けたら、
そこが写ってるっていうかたちで、
要するにカメラが
肉体化してるっていうことを
言いたかったんだと思うんだけど。
脳から手って
離れてるじゃないですか。
手には触覚の意味があって、
そこにカメラがついてるっていうふうな
言い方をしたときに、
ああ、それは時代として、
もう違っちゃってるんだなと思ったんです。
横里 あぁ‥‥。
糸井 『センチメンタルな旅‥‥』でも、
写真を撮ってるんじゃなくて、
陽子さんを撮ってるんだって
言いたいってとこあるじゃないですか。
「おれは写真を撮ってるんじゃない」って、
いっつでもあの人は
そういうところがあるんだけど、
ほんっとにそうだと思うんですよね。
その二重性がね、あるんだと思う。
『Say Hello!』だと、
荒木さんほど手になってる
わけじゃないかもしれないけれど、
おれは好きな犬を撮ってるんだ、
っていうところで、
荒木さんの息子さんに
なってるんじゃないか。
横里 なるほどねぇー。
糸井 写真を撮ってるんじゃない。
でも、撮ってるんだよなぁ。
そこが、だから、残るんですよね。
写真を撮るっていうことをしなかったら
見なかったっていうのも、
さっきの、荒木さんの、
撮んないと忘れちゃうって話と
同じですよね。
柳瀬 うん、ですよね。
糸井 あとね、陽子さんが亡くなって
わりとすぐのパーティーで、
荒木さんを励ます、みたいな会があって。
みんなで励まそう、悲しんでないで、
とか言っていたんだけど、
「そういうことはやめてくれ」
と、荒木さんが言うんだよ。
「今、せっかく、
 この悲しい気持ちを
 いい気持ちで
 味わってるんだから、
 励まさないでくれ。
 悲しくなくさせないでくれ」。
ざわめくパーティーの狭い会場で、
壇上から、荒木さん、
威張って言ってたんだけど、
ほんっとに感心した。
それと写真の話と、おんなじだよね。
横里 そうですね。
糸井 ぼくね、そのセリフのおかげで、
いっぱい習ったもの。
その気持ちでいるときにしか、
できないことがあるって。
横里 『Say Hello!』って、
‥‥どんどんこういうものが
出てくるんでしょうかね。
糸井 出てくると思うんですよね、きっと。
『Say Hello!』って、すごく、
誘(いざな)ってる本に
なったと思うんですよ。
つまり、誰かをよく見るっていうことへの
いざないだったり、もっと気軽に、
バリバリ写真を撮っちゃうことへの
いざないだったり、
犬を飼うっていうことへのいざないだったり。
もっと言えば、ぼくらの仕事も含めて、
どんどん本にしちゃうことへの
いざないだったり(笑)。
なんか、ものすごくいざなってると思う(笑)。
横里 そうですね。
柳瀬 なんかこう、さまざまな
ハードルみたいなのが、ポーンと、
とれちゃったみたいだ。
これでいいんだー! って。

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2005-04-06-WED


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