- 糸井
- (絵本を見ながら)
ぼくは特にエンディングが好きなんです。
- 田中
- 「自転」しているシーンですよね。
- 糸井
- うん。無言だからこそ成り立つ。
- 田中
- 室外機を描かれたのもいいですよね。
- キューライス
- 裏にあって見られたくないものと言えば、室外機かなと。
涼しい顔で風を出しているけど、
実は裏でこんなに頑張ってる、というところが
ちきゅうちゃんと重なるなあと。
- 田中
- 自分のことを抱きしめながら
回っているのもいいですね。
フィギュアの回転みたいに。
- キューライス
- ぼく自身がちきゅうちゃんだと仮定したときに、
自転をするとなったら、
両手を広げて回ると風の抵抗があるから、
こうしたんです。
- 田中
- あぁ、なるほど。
健気だし、かわいいし。
社内でも、最後のシーンに
すごくウケている人がいました。
ぜひみなさんにも絵本で見てほしいです。
- 糸井
- しみじみするんですよね。
で、同時に笑うんです。
悲しみが裏打ちされてないものはつまんないんですよ。
だから笑ってもらってよかった。
そして、笑っている人も、
ただ笑うだけじゃない何かを感じているんですよね。
ちょっと、つげ義春さんの
終わり方に近いなと思っています。
『海辺の叙景』みたいな。
- キューライス
- ああ、わかります。
余韻の残し方がそうですね。
- 田中
- ところで、今日は、
昔の『小学一年生』もお持ちしました。
1983年のものです。
- キューライス
- すごい!
ぼくが生まれる2年前ですね。
- 田中
- 1991年のものもあります。
しかも、両方ともに
糸井さんが書いた詩が載っていまして。
(糸井が書いた詩を見せる)
- 糸井
- ああ、ほんとだ。
- 田中
- やっぱり糸井さんの言葉って普遍的で、
時代を超えても、
スッと入ってくるものだなぁと思っています。
今回、30年近くぶりに、
『小学一年生』に書いていただいたんですけど、
時代の違いみたいなことって意識されましたか?
- 糸井
- ぼくは、そういうことをあまり考えないんです。
そのくらいの年代の子が感じそうなことを、
一緒に考えるような気持ちで書きます。
まあ、もし仮に電話のことを書くとしたら、
ガチャンって受話器を置く電話じゃなくて、
「携帯」になるだろうな、くらいの感じはありますけど。
- 田中
- 子どもの基本的な部分というのは
変わらないということでしょうか。
- 糸井
- 子ども観みたいなものを
そんなに整理して考えているわけじゃないけど、
大人のほうが自由だと思っているんです。
子どものときというのは不自由で、
与えられたものしかなくて、
そのなかで自分の自由をこじ開けるようにして、
なにかを得ていますよね。
子どもって、あかるくたのしいものなんだけど、
同時に、せつなくかなしいものなんです。
だから、子どもには「これからたのしいぞ」
「大人になるのはいいぞ」みたいなことを、
言ってあげたいなあと思っています。
- 田中
- 子どもは、せつなくてかなしい。
- 糸井
- かなしいですよ、子どもって。
思ったようにならないことばっかりなんです。
ごまかされてたのしそうにしているけど、
根っこのところでは、
やっぱり閉じ込められてるし、
管理されているわけです。
じゃあ広場で浮浪児として育てばいいかといったら、
それはそれでせつないわけで。
子どもは、いろんなことが足りないですよね。
自分が子どものときに
いつもそう思っていたので、
その気持ちが出ちゃうんじゃないですかね、
あの、キューライスさんの描く、あの子もそうですよね。
- 田中
- 砂奈子ちゃんですか?
- 糸井
- そう。砂奈子は、
すっごくかなしくなさそうに表現されているんですよ。
お父さんがいろんなことを思ったり
慮ったりしているんだけど、砂奈子は、
いつも自由にわがまま放題を言っている。
だけど、たぶん、
砂奈子をあんなに大事にしている
お父さん側にかなしみが表現されているんです。
放っておいたら、砂奈子はかなしいから、
お父さんは、すっごく砂奈子のことを
守ろうとしているんです。
その関係のなかにお母さんがいないことの
秘密が隠れているわけで、
お父さんのいろんな表情が、
実は砂奈子の心を反映している。
これはすごい傑作ですよ。
- キューライス
- ありがとうございます。
ちきゅうちゃんもしゃべらないですもんね。
- 糸井
- うん、この良さがちきゅうちゃんにもあると思います。
同じように黙っているし。
ぼくなんて、自分がしゃべりすぎだと思ってるんで(笑)。
- キューライス
- (笑)
- 糸井
- しゃべるのが商売になっちゃってますからね。
家にいるときは、しゃべる必要がないから黙ってる。
- キューライス
- ぼくもまったくしゃべらないですよ。
友達がいないから。
だから、カラオケとか行くと
たった1曲歌うだけですぐに声が枯れちゃって。
たぶん声帯まで弱くなっちゃってるんです。
- 糸井
- (笑)見事です。
ひとりはいいですよ、本当にね。
ひとりでいないと、
育たない想いもいっぱいありますからね。
- 田中
- 最後になりますが、
このころの『小学一年生』と現在の『小学一年生』は、
雑誌も全然違いますし、
子どもを取り巻く環境も昔とは違いますけれど、
今の親御さんたちに、
「こんなふうにしたらいいんじゃないか」
みたいなアドバイスをいただけますか。
- 糸井
- 変わっているところを見ないで、
変わってないところを見たほうがいいんじゃないかな。
社内で子どもがどんどん生まれていたり、
大きくなったりしているのを見てると、
今も昔もあんまり変わらないような気がします。
粉ミルクであるにせよ、母乳であるにせよ、
ミルクは絶対飲むし、はいはいするし、立ち上がるし、
「縄文時代とか弥生時代の人が
やっていたようなことをやってるんだよ」
と思ったほうがいいと思いますね。
「これからの時代は英語が大切だ」
みたいなことは、数え上げたら山ほどあるから、
あまり気にしなくていいんじゃないかなと思います。
- 田中
- 「うしろあたま」を見ながら。
- 糸井
- そうそう。
子どもの「うしろあたま」を見ることですね。
キューライスさんはおとなしい子でした?
- キューライス
- いえ、活発な子でした。
- 糸井
- 活発だったの?
「友達がいない」と言うようになったのは、
いつからですか(笑)?
- キューライス
- えぇとですね、高校まではいたんですよ。
でも、大学生になってアニメを作りはじめてから、
パタッといなくなりましたね。
アニメを一緒に作るための集まりとかはありましたし、
恋人ができたりもしたんですけど、
現在に至っては、まったく友達がいないです。
ずーっとひとりで、朝起きて、
自分にお弁当作って、お昼になったらそれを食べて、
原稿描いて、お散歩行って、お風呂入って、
原稿描いて、終わる、というのが、
毎日毎日続いている感じです(笑)。
- 糸井
- なんかよろずやのオヤジみたいですね。
それほど描いてる時間が好きなんじゃない?
- キューライス
- そうですね。描く以外やることなくて。
で、ときどきひとりで
ディズニーランドに行ったりとか。
- 糸井
- (笑)
きっとキューライスさんは、
いまは幼虫、さなぎ、というふうに
変態しているんだと思うんですけど、
いずれ誰かと暮らしたりして、
元に戻って普通の人になりますよ。
普通の人の描くものがいちばん強いんです。
ぼくは何回も若い人に言ってますけど、
「ぼくは才能がある」みたいな人って、
ちゃんと飯食って、ちゃんと風呂入って、
ちゃんと寝ている人に、
みんな追い抜かれるんですよ。
キューライスさんも、そういう意味で
普通の人になっていくんだと思います。
- キューライス
- ああ、なるといいなあ。
- 糸井
- まぁ、そんなこと言ってるぼく自身が
ちゃんとしてるかと言ったら、
それはわかんないですけどね(笑)。
ということで、今日はありがとうございました。
- キューライス
- こちらこそ、ありがとうございました。
ぜひとも子どもが読んでいるのを見たいですね。
終わりがあんなだし、
意外と最後まで真顔だったりして(笑)。
- 田中
- (笑)子どもって、たのしんでいても、
案外あまり顔に出ないことがありますからね。
- 糸井
- そうですよね。
なんか、バッグとかに放り込んであって、
何度か読み返してくれたりするようなことがあったら
うれしいですね。
(おわります)
2018-11-01-THU