ボクの祖父はとてもシアワセな人でした。

祖母と二人で商売をはじめ、
若い頃はそれでも苦労した人だった。
けれど経営していた鰻の専門店も軌道にのって、
いつしか名店と呼ばれるようになると
修行をかねて働きたいという若い人が
次々お店にやってきて、祖父の仕事はどんどん減った。
ボクが小学校にあがる頃には、
出汁の塩梅や今日の仕入れの状態をみるのが
仕事のほとんどで、
爺さんの焼くウナギでなければ食べないという
ワガママな常連客が来ない限りは、
これといって仕事はなくなっていた。

おしながきを毎日書いたり、
若い衆の面倒をみたりと
店に出ずとも仕事はあった。
それに手慰みの絵を描いてみたり本を読んだりと、
暇をたのしくつぶすコトに苦労をするような人でもなく、
特に「近所付き合い」と称して
馴染みの店を歩いてまわる。
今日は寿司屋、明日は天ぷらと、
お店に入ってはいっぱいひっかけ、
小一時間ででてくる「おいしいご近所付き合い」に、
シンイチロウ、ついてくるかと誘われるのが
うれしかったなぁ‥‥。
職人気質で頑固でちょっとぶっきらぼうで、
けれどお酒がちょっと入ると、
あれやこれやとたのしい話をしてくれる。
しかもおいしいモノのコトをよく知っていて、
粋な食べ物、食べ方を
子供のボクを子供扱いしないでよく、教えてくれた。

気まぐれな人。
その日にならないと暇ができるかどうかわからない
というようなこともあったのでしょう。
予約することなんてなく、
その日の気分で食べたい店を選んでは、
フラッと訪れ「空いてるかい?」とのれんをくぐる。
食べて歩いたお店は5軒くらいでしたか、
40年以上も前の日本には、
それほど多くの食べるところの選択肢が
なかったのでしょう。
いきおいどこに行っても、
そこには顔見知りの人がいてメニューはなくて、
お客様とお店の人はあうんの呼吸でつながっていた。
オモシロイのがどこもボクらが座るところはカウンター。
座敷やテーブル。
宴会場があるような大きな店もありはしたけど、
いつもカウンター。
フラッと入ったお店のカウンターが一杯で、
でもテーブル席は空いている。
そんなときでも祖父は一言。
「またくるわ‥‥」
とお店を後に、他の店にむかってく。





当時、カウンターの席は予約をとらぬ席。
繁盛店であればあるほど、
ふらっとやって来る人のため、カウンターをあけておき、
お店に来た順番に座っていただくようにするのが
普通でした。
今でも割烹料理店や、
あるいはワインバーのようなお店で
「カウンターなら、早めにお越しいただければ
 お座りになれるかもしれません」と、
予約のときに言われることがときにある。
どんな人気のあるレストランも、
最初から人気があった訳じゃない。
無名で歴史も人気もなかった頃から、
ずっと贔屓にしてくれた人がいて
人気店になっていくのです。
当然、最初は予約をしなくても
いつもふらっと立ち寄れる。
そのうち徐々に予約が必要になってきて、
そのうち予約もなかなか取れないお店になって、
結果、有名にしてくれた人が気軽にこれないお店になる。
それじゃぁ、あまりに申し訳ない。
だから例えばカウンターだけ、
予約をとらないというような店。
やさしいお店と思いませんか。

「ファースト・カム、ファースト・シーテッド
 (First come, first seated)」。
ご予約はおとりいたしておりませんので、
お越しいただいたお客様から
席にご案内もうしあげます‥‥、というポリシー。
海外の有名店にもそうしたお店が結構あって、
実は祖父が祖母と二人でしていたお店は
そうしたカウンターだけの店だった。
死ぬまで祖父は
「吉田茂が来たときも、並んでお待ちくださいな」
とオレは言ってやったんだ‥‥、と自慢していた。
自分の作る料理には、
それだけの価値があるんだという自負。
それ以上に、どんな人も差別せず、
同じように向き合いもてなす。
それが立派な料理人のすることだから‥‥、
と、思ってそれを実践していた証しなのでしょう。




人は予約が取れぬお店のコトをスゴイというけれど、
実は、予約をとらぬお店がもっとスゴイ。
飲食店につける序列にもさまざまあって、
例えばこんな序列もある。

1.予約をするだけの価値のない店
2.予約をしなくてもいいお店
3.予約をした方がいいお店
4.予約がなかなかとれないお店
5.予約をとろうとしないお店

香港に一軒。
朝の飲茶がおいしいと
名前が世界中に轟いたお店があった。
評判が評判を呼び、お店がどんどん大きくなって、
それでもときに「満席です」と
お客様を追い返してしまうようなコトがおこってしまう。
予約をとってくれませんか?
と、そうお願いしても、
それはお断りいたします‥‥、と。
お金と名誉を手に入れた人にとって一番悔しいことは、
自分の思い通りにならぬコトがこの世にあること。
お金を積んでも駄目だと無碍に断られること。
何人ものお金持ちが何度も、何度も交渉をして、
あまりにそれがうるさくてお店の人がこう言った。

「予約をお受けすることはできませんが、
 朝食時間の1テーブルを買っていただけるのであれば、
 お売りすることもできますが」‥‥、と。

さすがにそういえばあきらめるだろう、
と思ったオファーに、
なんと10人近くのお大尽が応じて、
結果、ほとんどいつも「reseved」と
プレートの立つテーブルが
10個近くも出現することになったのですね。
そのうちそれらのテーブルは、
まるで稀少な宝石や
一等地の不動産をもっているような価値を持ち、
使用権が取引されるようにまでなる。
ボクの香港の友人が、
一年間だけそのテーブルを
もっていたことがあったのですね。
「明日の朝、ボクは朝食会があるので、
 よければ、そこで朝食をとってみたら?」
と、言われて一度、その店に言ったこともある。
料理は上等。
お茶は最高。
ほどよいサービスと、明るい雰囲気も心地良く、
けれどなによりすばらしいのが、
レストランにはいろうと居並ぶ
何十人もの行列をおしのけ、
お待ちしておりましたと案内されること。
このワガママな贅沢に、君はいったいいくら払ったの?
と聞けば、ロールスロイス一台分くらいかな‥‥、と。
さすがに今、こうしたコストをかけてまで
朝の贅沢を手に入れようという無駄遣いが
流行らぬ時代になったのでしょう‥‥、
その店も予約をとってくれるお店になりはした。
不思議なもので、予約をすればいいんだと思うと
そこの「ありがたみ」が
ちょっと翳って思えるのでしょう。
昔ほどの人気はなくした。
人の気持ちとは複雑なもの。





さて、ボクたちのレストラン。
いくらなんでも「予約はとらない、お並びなさい」
と言えるようなお店じゃなかった。
予約をいただけることはありがたいコト。
毎晩、予約で一杯になればいい、とそう思いながらも、
いつも予約をしないでやってくる、
あのご近所さんがいらっしゃったらどうしよう。
悩んでボクらは、こんなルールを作ることにした‥‥、
さて、来週のおたのしみ。


2011-05-26-THU


© HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN