#14 マネージャーという仕事(その2)。
※前回につづき、ギターウルフのマネージャー、
通称「はっちゃく」さんに、お話を伺っています。
----アーティストのマネージャーという仕事について、
うかがいたいんですけれども、もともと、
どんな経緯でマネージャーになられたんですか。
はっちゃく
「ぼくは、ずっとブラブラしてたんです。
研究生に在籍して、お金は収めてはいたものの、
大学にはほとんど行ってなくって。
大学生の頃から自分でバンドをやっていたので、
だいたい、週に4回くらいは、
ライブハウスに行ってたんですよ。
ともだちのバンドに入れさせてもらったり、
自分のバンドのライブだったりとか・・・。
仕送りと奨学金を、ぜんぶそれにつぎこんで、
バイトは週に1回、深夜で、みたいな生活。
ごはんたいて、100円のひじきとか納豆で食う。
あとは、酒で消えてっちゃうっていうか。
その頃、ライブのあとのうちあげとかで
知りあった、ZKレーベルというレーベルの
オーナーをやっていたひとから、
『ちょっと、バイトで来ない?』
って言われて、ちょうどお金がなかったから、
バイト代がもらえるならいいな、と思って、
ふつうにはたらいていました。
そのZKレーベルのオーナーさんですけど、
当時、いまぼくのいる会社の
マネージャーも兼ねてて、
レーベルとマネジメントという
職種の違う仕事の両立で、かなり忙しくて
まあ、つまり、まわらなくなってしまって。
で、ツアー先の広島から
会社のぼくに電話がかかってきたんですよ。
『ちょっと、明日、荷物まとめて、広島に来て』
え? 広島?
はい、わかりました、って言って。
へえ、新幹線で遠出なんてひさしぶりだなあ・・・。
で、うきうきしながら、
パンツ2枚にTシャツ2枚とかリュックにつめて、
旅行気分で広島に行きました。
でギターウルフがバーンっていて。
かっこいいから、ぼくも大学時代から
ウルフのライブには、行ってたんですよ。
『おお』とか思ってたら、そこでその
レーベルのオーナーのかたが、
その場で東京に帰っちゃったんですよ。
『じゃ、オマエあと頼むな!』っつって」
----え?(笑)その日からマネージャーなんすか?
はっちゃく
「モロにそうですよ」
----1泊か2泊の軽い気持ちだったのに(笑)。
はっちゃく
「リュックひとつで、
いきなり狼の群れの中に放りこまれた、
みたいなもんです。
そこそこ狼に噛みつかれたりしながら、
『じゃ、次のライブ、あっちです』
とか一緒に電車に乗ったり、
ライブ会場でのグッズの物販やったり。
誰も教えてくれないのに、いきなり
手続き関係ぜんぶやることになって、
『・・・うお! あり得ねえ展開だよ!』
とか思いながら、ツアー先で枕ぬらしたり」
----泣きぬれて(笑)。
はっちゃく
「もう、ほんとのたたきあげみたいなもんで(笑)。
ツアーが終わる頃には、ボロボロになりながら
でも、何となくやる仕事はつかめてきて。
もともと自分でバンドをやっていたから、
ライブのサポートはできたんです。
アンプはこうしたらいい、とか、
中音、外音、とかはわかっていたので。
で、そうこうしてるうちに、レコード会社と
『おまえ、マネージャーやんない?』
『いやあ、ぼくはいいですよいいですよ』
とか言いあったりしてて。
ほら、『マネージャー』って言うと、
サザビーの革の厚い手帳を持ってウフフ、とか、
アルミのパカッて開けるアタッシュケース、とか、
ピンポーン、起きてくださいよ、とか。
クルマは一応ベンツで、フジテレビに入って、
『おはようございまーす(夜なのに)』みたいな。
・・・『マネージャー』っていう言葉には、
そんな限られたイメージしか持っていなかったから、
そういうのになったら、イヤだなあ、って」
----あはははは。
はっちゃく
「だから、最初は、断っていたんですよ。
でも、その頃はツアーファイナルで
お客さんもガッチリ入って大成功で、
打ち上げでも偉い人達から
『オマエのおかげだよ!』
『やっぱ、はっちゃくしか、いないね!』
『どうぞよろしくおねがいしまーす』
とか、さんざん言われて、グラついて。
ちょうどその頃、自分のバンドで
ケンカしちゃって、脱退してた時期だったんですよ。
バンドもなくなったから・・・と思って、
『じゃ、次にバンドをやって、
がんばっていく時に、メジャーのシステムとかを
あらかじめ、かいま見ていると、おもしろいかな?
勉強もいいかな』
とか、考えたんですよ。
『じゃあ、1年だけやりますよ!1年ですよ!』
打ち上げの席では、結局そう言いました。
みんなにほめられながら、
『ういーっす! やりまーす! カンパーイ!』
『わはははは。カンパーイ!』って、飲んで。
ああ、楽しい打ち上げだったなあ、って。
それで次の日に、
レコード会社から電話がかかってきたんですよ。
『あ、おはよう。
オマエ、昨日、カンパイしたよな?
じゃあ、あの件についてなんだけど・・・』
もう、いきなりぜんぶビジネストークの電話。
・・・え?って。
コワイ世界だなあ、と(笑)」
----(笑)急に、正式なマネージャーになったんですね。
はっちゃく
「ぼくは、そんな感じだから、
クチのききかたからはじまって、
メーカーのルールとか、イベンターさんとの交渉とか、
お金の流れとか、ぜんぶぜんぜん見えてないんです。
ほんとにど素人ですから、
『オマエは違う!』って会社から怒られたり、で、
『シロウトだから、無理っすよ!』
とか言って反発したり。
ラルクアンシエルのもとマネージャーさんだった
すごい『業界人!』みたいなかたを紹介されて、
毎週月曜の朝9時から、マネージャー講座を
開いてもらったりもしていました。
・・・っつっても、ぼくはコピー用紙の
余ってる裏紙に、ボールペンで、
『マネージャーのこころえ』とか書いてて」
----かなり、ざっくり学んでたわけですか。
はっちゃく
「ぼく自身メチャメチャ
インディーな人間だったので、
『でも、そのやりかたは、
ギターウルフには、合わないっす!』
とか言ってたんですけど、その方は
百戦錬磨のマネージャーさんなので、
ぼくが反発したことも笑って聞き流してて。
ただ、ほほえみながら言うことには、
一理ありました。
『アーティストは、
メジャーもマイナーも関係なく、
アーティストだからさー。
彼らが仕事をするための最適な環境を
つくってあげればいいだけなんだよ』
そう聞くと、確かにそうだなあと思いました。
スケジュールの組みかただとか、
メンバーとの今後の仕事の計画立てとか、
信頼関係の築きかただとか、
参考になったんですよね。
こちらも、もちろん
ただ売ろうとしているだけじゃなくて、
バンドのためを思ってやっているわけですから、
その姿勢はきちんと示さないといけないんだ、とか。
マネージャーっていうのはサービス業なんだ、
ということが、よくわかりました。
・・・で、気がついたら、ぼく、
もう今年でマネージャー4年目なんですけど(笑)」
----1年のはずが(笑)。
はっちゃく
「忙しいし、あっという間で。
ぼくも、2年経った時に気づいて、
レコード会社に、ちょっと言ってみたんですよ。
『ぼく、もう2年経ったんですね。
最初は1年って言ってましたよね?』
『うん。・・・で?』
うわあ、『で?』って。
業界ってこわいなあとか思って(笑)。
『ああ、そんなこと言ってたっけ。
じゃ、次のレコーディングだけど・・・』
って、ふつうに、話、流されて」
----ふふふ。
(つづきます)
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