サエキ |
1980年に始まるニューウェイヴ、
テクノブームといえば、
アーティストのキャラが立ってました!
僕は個人的にオードリーの春日さんは
巻上さんの系譜を引いてるな〜と思ってます。
お笑いはご覧になられないと思いますが、
若い子達は、そんなキャラ立ちで
物事を語ることが多いんです。
クラスの中の位置づけも「キャラ」で決めたりする。
ニューウェイヴ時に「ヘン」とか「トンガリ」とか
「ほとんどビョーキ!」が流行っててました。
我々のしてたことは、
どんなつもりだったんでしょうね。
あえてヘンになろうというか、
自分を演出しようとしていたのか? |
▲ハルメンズ『ハルメンズの20世紀』(1981)ジャケット。 |
巻上 |
今と同じ同じ。ケガもしてないのにギブスしたり。
眼帯したり。なんだよって(笑)。
ぼくはしてないけどね。
実際に社会から阻害される人たちは、
今でもいるじゃないですか。
あと、アウトサイダーになりたいという人が
いるじゃないですか。
大体、ヒーロー的なものは
アウトサイダーなんだよね。 |
サエキ |
そこがね、実は今と違う。
今の若者は、アウトサイダーって言葉、
辞書にないんですよ。
アウトサイドなんていきたくないんですよ。
インサイドにいないと怖い。
群れの中でヘンになりたいんですよ。
ボッチ状態とかが恐ろしい。 |
巻上 |
そうなの? そんな簡単に決めつけられないでしょ。
ぼくはやっぱりアウトサイダー、よかったんだよね。
ヒッピーでもロックでも
アウトサイダーしか目に入らなかった。
追いやられた感情、相手にされないテーマを
いまも追いかけている。 |
サエキ |
いや、サエキはアウトサイダーに
なりたいとかって特に。気づいたら近いかな?
でも、尊敬するロックのジョン・レノンとか
デヴィット・ボウイとかは、
アウトサイダー的資質が高い。 |
巻上 |
70年代初頭は社会全体がそうだったよ。
ベトナム戦争があって僕は中高くらいだけど、
あの頃の反戦運動もすごかったよ。
アメリカの文化、フォークだとか、
ロックだとか多くは反戦を標榜していた。 |
サエキ |
そうしたカウンター(対抗)文化はいいとして、
でもニューウェイヴの「ヘン」ってのは
反戦とかとはちょっと違う気がして。
「ヘン」になろうという
気合いもヤケに入ってて。 |
巻上 |
ハンパなく入ってたと思うよ。
気合いいれないとできないもん(笑)。
でもね、60年代からはじまった
ヒッピー文化とかの影響は本当に強いんですよ。 |
サエキ |
どういうふうに影響をうけたんですか? |
巻上 |
チャールズ・A・ライクの『緑色革命』とか、
アレン・ギンズバーグの『吠える』の
日本語訳を読んだり、
自分の意識もぐんと変革しつつあった。
ロックはもちろんのこと
文学やハプニングなど花盛りだったし。
特にぼくは寺山修司の影響を
とても受けてるんだよね。
『家出のすすめ』
『書を捨てよ、街に出よう』とか。
そういえば当時、寺山修司は、
結局上演はされなかったミュージカル
『ヘアー』の台本を書いたんですよ。
それは原作の黒人問題を朝鮮問題をに代えて、
より日本の状況に照らしたものだった。
そのために上演されなかったんだよ。 |
サエキ |
そうか。今のアウトサイダーっぽい人って、
ただキレてヘンなことやるけど、
昔のアウトサイダーは
タブーを犯そうとしてましたね。
ニューウェイヴのスター、
P−モデルやプラスチックスにも、
根底にどこかアナーキズムがありました。
今の若い子たちがニューウェイヴを真似しても、
全然似てこないのは
「タブーを侵す」という意識は
全くないからかもしれない。 |
巻上 |
そうなの?
ぼくの中には時代でまとめる感覚って、
ないんだけどね。 |
サエキ |
僕は絵画で描きだすように
言葉で状況を説明したいんですよ。
1980年当時は、特に激流のように
状況が変化していたから。
その結果、ハルメンズの場合は、
ほとんどコミュ障に近い感覚だった。
プロデューサーの鈴木慶一さんからは
「話しができない」「扱いずらい」って思われて。
話をできるのはサエキだけだってことで、
僕がハルメンズのスポークスマン的になってたり。 |
巻上 |
メンバーが何しゃべってんのか
わからないって感覚はよくわかる(笑)。 |
サエキ |
あんな感じ、とか、こんな感じとか、
時代の変化と共にイメージが押し寄せてきた。
ハルメンズに限らず、友人も言ってました。そ
れまでもイメージはあったんでしょうけど、
ニューウェイブは独特の、ヒネて複雑な
「ポップ」というイメージがあった。 |
巻上 |
ニューウェイブの登場は、
ペル・ウヴ(PERE UBU、ポストパンクの
米アヴァンギャルド)の
デビッド・トーマスにいわせると
アメリカ文学でいうところの
フォークナーに近づいたみたいだって言うんだ。
重層的な立ち位置、実験的手法、
意識の流れといった文学性にも、
劣らない表現を獲得しつつあったんだと。 |
サエキ |
文学をたとえにするのは、わかりやすいと思う。
実は、今いい詞を書く子が出て来てる。
アーバンギャルドや女王蜂とか。
言葉使いがすごくスリリング。
やるせない心情もよく書けてるし。
ニューウェイヴの頃も詩人、多かったですね〜 |
巻上 |
テレビジョンの
トム・ヴァーライン(Tom Verlaine)とか、
ベルレーヌ(Paul Verlaine)から
名前とってるからね。
パティ・スミスとか、
ニューウェイブはじめた連中って
みんな詩人なんだ。
あとリディア・ランチとか。 |
サエキ |
巻上さんも詩人ですからね。
ヒカシューのデビューシングル
『20世紀の終りに』とか、
どういう時に書いたんですか? |
▲ヒカシュー『20世紀の終わりに』(1979)ジャケット。 |
巻上 |
小田急線の中(笑)。
コード進行と歌メロができたので、
詩はよく移動しているときに浮かんだね。
バンドをやるということで、
歌をとにかくたくさん
作んなきゃいけないってなったから。 |
サエキ |
世紀末感あらわしてるんですよね。
ニューウェイヴは世紀末感覚に影響された。
それまでの人たちと違うことをやろうって
意識はありました? |
巻上 |
もちろん。発明を目指していたし、
実験が失敗したようなものを作ろうとしていた。
それでトーキングヘッズ、ディーヴォ、
テレビジョンとかにも影響を受けて、
いいな! バンドにしちゃおう! と。
ディーヴォは演劇的で、変わった映画作ってたし。
一番影響受けたと思うよ。 |
サエキ |
その前はビートルズとか好きだったわけだけど、
価値観がリセットされた。 |
巻上 |
ははは。でも、ビートルズは全部はいってるからね。
ロックの歴史的なものが。 |
サエキ |
そうですよ。ニューウェイヴもはいってますからね。 |
巻上 |
ぼくも中学生の時『レットイットビー』を
演奏したことあるよ。
ビートルズは実験をかなりしていて、
やっぱりハンパなくすごいよ。 |
サエキ |
ニューウェイブの場合、
ビートルズと違って深刻そうなポーズとったり、
病気だってヤバそうな態度
とったりするじゃないですか。
それまでのロックはわりと政治性がありましたよね。
ヒカシューは政治的にはどうなんだろう? |
巻上 |
ぼくは、ダダが大好き。
つまり基本的にはアナーキストなんだね。
既存の政治的世界がすべて壊れればいいって思う。
国家なんてなくなってしまえと
思ってたしね、フフフ。
ひとつの理想郷だけれども。 |
サエキ |
すっごい真顔で笑ってる! コワイ!
デビューした時とおんなじ!
‥‥ずっとそうやって生きてるんですか?
ニューウェイヴのアナーキズムって
ディーボとかで語られます。
前の時代とは違っていて、
リセット感があったんです。 |
巻上 |
何か境界があった。
いわゆるオールドスクールなロックとは違う。 |
サエキ |
『レトリックス&ロジックス』で
「その手にゃのらないよ
買わされるのはいつもガラクタばかり」
とか歌ってますよね。
そうした反抗精神がニューウェイヴの骨頂と思う。 |
▲ヒカシュー『ヒカシュー』(1980)ジャケット。
1曲目が『レトリックス&ロジックス』。 |
巻上 |
あれはポール・グッドマン
(米国の社会・文学評論家、詩人)からきている。
『ことば・そして文学』という作品があって、
彼はどうしたら「いきがい」を持てるか、
自由に生きられるかを考えていた
アナーキストなんだよね。
そして、市民として生きる方法を
考えてたわけだけど。
それをヒントに詩をつくろう、と考えて、
作ったんだ。
これは初めていったかな? |
サエキ |
「レトリックス&ロジックス?
さっぱりわからないよ??」(*)って
何がわからないですか?
(*)「レトリックス&ロジックス」の歌詞。 |
巻上 |
違和感を捉えること。そして人間にとっては
「いきがい」がとても大事。
社会との感覚とのズレとか、
言葉のズレを表現するのが大切なこと。
そういう居心地の悪さの感覚を表現した。
『プヨプヨ』という曲もそうなんだけど、
基本的には世界の居心地の悪さだね。 |
サエキ |
1980年当時、それはすごくあった。
生きることの居心地の悪さだ。
あれ、なんだったんでしょうね。 |
巻上 |
別に解消を目的にして作ったんじゃなくて。
その現象、意識の変化を綴る。
あまり歌われることのない歌を作る。
それに、まあ人生って、
うまくいかないじゃない、いろいろ。 |
サエキ |
僕は『昆虫軍』(*)って曲で
朝、千葉の団地からすごい量のサラリーマンが
排出されてくるのを目撃したことを描きました。
凄い光景で、その違和感、居心地の悪さを。
文明の目指す方向がどう考えても
居心地のいいもんじゃなかったっていうのが、
僕の動機です。
(*)『ハルメンズの近代体操』収録。 |
▲ハルメンズ『ハルメンズの近代体操』(1980)ジャケット。 |
巻上 |
今はもう世界は滅亡に向かってるからね。
フフフ(嬉しそうに微笑む)。
完全に向かってるよ。加速してるもん。
みんな死ぬんじゃない? レミングみたいに。 |
サエキ |
みなさん、滅亡に向かってく感じに
適応しちゃったんですかね。 |
巻上 |
流れにのってるからね。
降りればいいだけの話なんだけど、
降りられないんだ。
よほどの知恵をださなくては。
優秀な人が政治家をしないので、
頭の悪い人しか政治家やらないからね、
この乗り物の行き先は「死」しかない。 |
サエキ |
すごく嬉しそう。さすがアナーキスト!
久しぶりに思ったことを
心の底からうれしそうにいう。
今はみんな表面的な表情ばっかりするから。
それにしても、こうやって美味しい物食べて
滅亡の話するとかって、
これはブルジョワジーの楽しみなんですよ。
みんな死ぬとか思いながら
美食してるわけじゃないですか。
これうめえなあ、とかいいながら。
ヒカシューは面白みを持って終末を語る。 |
巻上 |
別に嬉しいわけじゃないよ。
常にここからの脱出を試みなくてはね。
ヒカシューの『幼虫の危機』(*)とか、
たった4行しかないけど。
「楽しいな、人間が死ぬ なんて」って。
これはどこか楽天的でしょ。
(*)アルバム『ヒカシュー』収録。 |
サエキ |
今の若い子はひっくりかえっても書かない! |
巻上 |
そういえばかつて夢野久作の
『ドグラ・マグラ』に影響を受けたとか、
そういうのもあったよね。 |
サエキ |
太田螢一さん(アーティスト)は
そういう感じです。
今回、ハルメンズX『35世紀』で
ジャケット書いてもらいました。
僕なんかは「ああ、またコワイのできちゃった!」
って思うんですけど、
若者は「かわいい」っていうんです。
こういう感覚って昔は、親がイヤがったでしょ? |
▲ヒカシュー『うわさの人類』(1981)ジャケット。
太田螢一さんの画。 |
▲ハルメンズX『35世紀』裏ジャケット。
こちらも太田螢一さんによる画。 |
巻上 |
イヤに決まってる。
オヤジはわりと好きだったんだけど、
母親はいまいちダメで。 |
サエキ |
いまって、こういうヘンなものだって、
親が晴れ姿だ! って見に来ちゃう。
それは、さっきいったアウトサイダー論と
関係ありますね。 |
巻上 |
親との対立ってのがもちろんあったからね。
親との軋轢の中で、やりたいことを探した。
それから、前の世代との違いは、
あっけらかんにポップにやろうと思った。
アングラ世代とは違うのを
やる必要があったわけだし。
日本のシーンが
どこか幼稚でおかしいと考えていた。
デヴィット・ボウイは、
どんなにアヴァンギャルドにやっても、
メジャーな立ち位置。素晴らしかったよね。
歌は歌を伝えるというのが本当に大事なんで
そこにフォーカスする。
アングラすぎるとそこがおろそかになる。
ま、それはそれでもいいのだけど。 |
サエキ |
そこらへんがニューウェイヴの特徴。
ポップを意識する。
商業主義とか、そういうことじゃなくて、
表現伝達の純粋性としてのポップ。
その流儀にあわせると、アングラにならない。 |
巻上 |
重いテーマをもってきても、
軽く表現できるっていうか醒めた視線。
20世紀が終ってしまう話でも
曲調はメジャーコードでメロディアスにするとか。
僕らがはじめた頃にサンプリングっていう考え方が
出て来て。アンダーグラウンドな精神も、
すべて「素材である」っていう。
すべてはコピーされるものだっていう感じだった。 |
サエキ |
プラスチックスは『COPY』って歌ってるし、
サンプラーという機械もでてきた。
そうした「情報の流通感覚」が
ポップな客観性に通じてたのかもしれない。
一方で現在の若者は、それこそコピーの洪水の中で
育っているというのに、自意識が強くなりすぎて、
自分を相対化する、
客観性が侵されてるかもしれない。
うーん、これは発見。
わざわざ湯河原まで来たかいがあった。 |
▲プラスチックス『COPY』シングルジャケット。 |
巻上 |
ふふふ。バスに乗ってね。
温泉場のさらに奥まで、水上勉が小説書いていた
「加萬田旅館」のそばまで来ていただいて、
嵐山光三郎さんが原稿取りに来た近くまで、
御足労いただきました。 |
サエキ |
でも巻上さんは、
当時「見られている」ということを
過剰に意識する、
自意識の強さはあったんですよね。 |
巻上 |
そうねえ。じゃなきゃわざわざパジャマ姿で、
コタツ持って交差点の真ん中で
写真撮らないよね(笑)。
あれはカメラマンの滝本淳助と
共同で作った傑作でしょ。
高揚感があって、どこか頭いかれてるんだね。 |
サエキ |
それ、どんな気持なんですか?
ハプニングみたいなもの? |
巻上 |
演劇の延長にある。
ハプナーとはまたちょっと違う。
重要なことは、どういう効果を与えてるかを
意識してますよ。 |
サエキ |
今の若い子がパフォーマンスしてるときには、
どう機能してるかを考えた方がいいと。 |
巻上 |
ぼくはずっとそういうことを考えてきた。今も。 |
サエキ |
そのへんが
ヴィンテージ・ニューウェイヴです!
当時と変わってない!
「マイ・シャローナ」のザ・ナックなんかは、
流行歌っぽくて、見え方が変わっちゃう。
でもトーキングヘッズとか
ディーヴォは変わらない。
カーズは軽いけど、B52は深い。 |
巻上 |
違うよね。やっぱりね。分析は難しいけど。 |
サエキ |
機能しているものが同じインパクトであり続ける、
それがヴィンテージです!
このアクの強さみたいなのはなんというべきか‥‥。 |
巻上 |
どうやって機能するかってことが大事なんだ。
時代によって変わるんだけど、
機能の仕方っていうのを
作者としては常に考えてなきゃいけない。 |
サエキ |
当時は「ヘンな意味づけをされて機能しちゃう」
ことがいやだった。だからハルメンズは
意味のない言葉を選んでつけた。
ニューウェイヴは「クラッシュ」みたいに
意味がシャープに伝わるバンドも多くて、
ボクラはそれを避けたかった。
ヒカシューも意味のない言葉ですよね。 |
巻上 |
ヒカシューの由来は、
真面目に答えてこなかった。
実は「悲歌集」からなの。
カタカナにすると意味がなくなるんだよ。
武満徹さんに「ヒカ」ってのがある。
「悲歌」なんだけど、カタカナで書いてある。
それがいい。元は悲しい歌。それを無化する。
今まであまり言わなかった。
音がいいしね。
メンバーの山下康がつけた。
ずっと謎にしてたんだけど。
武満徹さんには、よくメシおごってもらったよ。 |