- ぼくはいま、仕事における「本音」と「建前」が
分かれすぎている気がするんです。
さまざまなプロジェクトをぼくは
みんなの気持ちをベースに進めたいのですが、
「建前として、この理論で通さなきゃいけない」も
「本音と言いつつ、飲み会をすると
まったく違う思いが出てくる」もあって。 - だけどそこで「本音」とされているものも、
「ほんとうの本音」かどうかはわからないですよね。
実際には
「あんがいそこまで言うつもりはなかった」
みたいな「本音」だらけなわけで。
たとえばふたりでお酒を飲んでいて、
「自分の本音はこれだ」と思って
会社の悪口を言うとします。
でも、そのときに相手が
会社に対してもっとひどいことを言ったら
「そこまで悪くないんじゃない?」
と言う自分がいたりします。
また、自分が悪口を言っているときに相手から
「そんなことないよ」と返されると、
「いや、そんなことなくない!」と
思った以上に突っぱねる自分が
出てきたりもします。
そんなふうに、本音や建前はいつでも
関係のなかでブレますから、
「本音がわかったからといって、
良い指針ができるわけではないかも‥‥」
とは思います。
- 言われてみると、たしかにそうかもしれません。
- それよりも、いま指針として使いやすいのは
“モデルケース”という考え方の気がします。
「あの子みたいにやればいいんじゃない?」
は、あると思う。
そこは欠点も含めてのあの子、にできるから。 - “モデルケース”ですか。
- たとえばAK48は、みんなにとって、
すごく伝わりやすい“モデルケース”ですよね。
AKB48の登場で、
「ああやってアイドルが集まると、
あんなになにかを発揮できる」
ということがわかった。
そこから似たプロジェクトは
いくらでもできているわけじゃないですか。
さいしょに秋葉原の劇場で
AKBがはじまったときには、
ほとんど誰も可能性に気づいてなかったけど、
モデルが物語に乗っかっていくとみんな、
「あ、それはあるかも」とか見てくれる。 - たしかに”セゾンチエノワ”についても、
目に見える仕組みを作っていったことで、
伝わりやすくなったと思います。
そうやって「この指とまれ」と呼びかけたら、
やりたいと言ってくれた人がいま、
160人くらいいるんです。
みんな「そういうことをしたいと思ってた」と、
すごく協力してくれて。 - そういったものを作れたこと自体は
すばらしいのではないでしょうか。
まず、社内に顧客を作れるというのは、
そのもの自体に魅力があるということなんですよね。
理念ひとつひとつへの賛成じゃなくても、
「そこ入ったほうがいいな」って思わせる
なにかがあるんですよ。 - あと、外の方たちからもいろいろと、
「実はそういうのを求めてたんだよね」とか
言われるんです。 - ただ、外の人は、自分たちの代わりに
実験をしてほしいんじゃない?
「クレディセゾンでそんなことをしてるらしいよ」
と聞こえてきたら、
「ちょっと真似させて」とか
「うまくいったら、うちも絶対やろう」とか思うんです。
だから、”セゾンチエノワ”は、
そういうみんなにとっての
開発部の代わりをしてあげているというか。
- そこはあると思いますね。
だから、このプロジェクトによって、
クレディセゾンという会社が
これまでとは違う声のかけられかたをするんです。
いつもの人から、いつもとはまったく違うかたちで
声をかけられたり、といった事例がたくさんあって、
その声に対応していくために
制度を整えなきゃね、といった話も出てきています。 - そのあたりから、ほんとうに
問われていくのかもしれないですね。
でも、何にしろ、
社内のみんながやりたくてやっているというのは
とてもいいことですね。 - そうなんですよ。
- ぼくは昔、西武の「不思議、大好き。」の広告で
ポスターを撮影するために、
エジプトのピラミッドに行ったんです。
そして、朝日に照らされるピラミッドの前に立ったら、
「これは奴隷が作ったんじゃない」と
感覚でわかりました。
みんながいやいや進めていったことで、
こんなにすごいものは作れない。
無理矢理やらせたことと、
個人個人がやりたくてやったことって、
やっぱりものすごく差が出るんですよ。
立派な設計図があったからといって、
できるわけじゃない。
みんなの心が合ってないと、というか。 - その違いって、どこなんでしょうね。
ひとりひとりが夢中になれているかどうか? - そうですね、ワーッがあるかどうかで、
できあがりは違いますよね。 - ただ、ぼくもよく思うんです。
どうすれば、みんなの心が合って、
積極的にやりたくなっていくんだろう、って。
制度を作って「さあやらなきゃ」となった瞬間に
「笛吹けど踊らず」みたいになることが、
どうしてもあって。 - 前にぼくは吉本隆明さんに
「吉本さんの考えるいい会社って何ですか?」
って聞いたことがあるんです。
そしたら吉本さんが
「うーん‥‥」と言って、
「まあ、いろいろあるんでしょうけど、
ひとつはおそらく
『なにか文句を言いたいときに
先輩に愚痴を言える』というのが
大切だと思います」と。 - はあー。
- それから吉本さんが言ったのが、
「あとは建物自体の日当たりがよくて、
外に出たとき美味いものがあったり、
喫茶店でちょっと休めたり。
そういう、なんか明るい感じの建物が
大事ではないでしょうか」って。
この答え、制度の話をしたい人には
がっかりしますよね。
「建物が明るくて、周りにいい喫茶店がある」?
「先輩に愚痴が言える」?
何も言ってないも同然に聞こえるじゃないですか。
だけど
「どんなに見事な制度を作っても、
その2つの部分にかなわないんだ」
ということを、吉本さんは言ったわけです。
ぼくはその話を聞いたときに、
自分も無理矢理にでも、
そこをいつも考えるようにしようと思いました。
だからそれ以降、うちの事務所は
その考え方で引越しするようにしています。
中にいるときにも、外に出たときにも、
みんなが気持ち良く過ごせる場所にしようと。
そういうことを気にしなくなったら
ダメだと思うんです。 - だけどそれ、わかります。
アメリカのサンフランシスコにある
いま勢いのある会社では、
周りに美味しいヨーグルト屋さんがあるとか、
食堂もシェフがいる最高のものにしていたりとか、
そういった部分に、やたらとお金をかけているそうです。
彼らの場合はある種、
合理的にそこに辿り着いたんだろうと
思うんですけど。 - たとえばある企業が
「ものすごく不便なところに引っ越した」とか、
「行く気が起きない場所に移転した」
とか聞くと、
「やっぱり影響を受けるだろうな」と思うんです。
できれば会社は、
行くことで、活気が出る場所がいい。
たとえばの話、いまクレディセゾンが
ものすごく辺鄙(へんぴ)な場所に引越しました。
想像すると、どう? - ああ。うーん‥‥。
- 立地に限らず、
「景気が悪いから、みんなを引き締めるために
4つあるエレベーターの2つを稼働停止して
全体に明かりを暗くします」
っていったら、これはどう?
そのときみんなはきっと、
「うちの会社、しっかりしていてありがたいな」
とか思うんじゃなくて、
「なんだかこの頃、会社に行くのがイヤだなあ」
とかなりますよね。
その「なんかイヤ」と言われる部分は、
数字上は、とても小さく見えるかもしれない。
節電部分ぐらいのマイナスにしか見えないんですよ。
でも、そういうことが、
人間1人のやる気を8割削ぐくらいの
大仕事をしてしまうんです。
ただ電気を消すだけなのに。
で、わざと明るくしたりすると、これまたわざとらしくて、
「うちの会社、おかしいと思う」っていうんだけど。
そういったところの、
ふだんから目に入るものが何で、
どういうやさしさとか、親切さとか、
たのしさに包まれているかというような
「赤ん坊でも感じるようなもの」が、
ほんとは大人にとっても、
いちばん影響が大きいと思うんです。
(つづきます)