耳の聞こえない写真家は、いかにして写真を撮るのか。
接点、仲介する者。

短い最終回です。

10月の三連休の、まんなかの日曜日の夜。
吉祥寺で
スミンの弾き語りライブが行われました。

そこには
大きくて、でっかい音のするカメラを構えた
齋藤陽道さんの姿も、ありました。



撮影/齋藤陽道

ふたりは、あの3月の沖縄ライブで
一瞬、すれ違うようにして出会って以来。

それなのに
「撮った人」と「撮られた人」の間には
なんだか特別な親密さがあって、
すぐに打ち解けたし
おたがいの iPhone を使って
「漢字の筆談」をしたりしはじめました。

僕たちは、そのようすを眺めながら
うらやましいなあと、感じたりしました。

スミンの歌声は、やはり素晴らしかった。



撮影/齋藤陽道

以前から「好きな歌だな」と思っていた
「遠洋」という曲は
故郷で「魚をとること」を仕事にしている
お父さんへ、
今年、やっと「歌うこと」を許してくれた
お父さんへ、捧げたものでした。

(第1回でPVを紹介しています)

筆談と手話、
そして青木由香さんの日台翻訳という
4つの「言葉」を使って
スミンと齋藤さんが語るという
公開トークセッションも行われました。

そのなかで、スミンは
齋藤さんの写真が届いたときのことを
このように語っています。

「今まで撮られた写真と、違ったんです。
 齋藤さんの写真のなかで、
 ぼくは、ゴマ粒みたいにちっちゃかった。
 すごく、特別だなと思いました」

齋藤さんのスライドショーに合わせ
スミンが
ギターで伴奏をつけるという場面も。



撮影/齋藤陽道

「どうして、齋藤さんの撮る写真のことを
 いいなと思ったんだろう」

そのことについて
スミンの沖縄ライブの撮影に立ち会ったり、
作品を見せてもらったり、
筆談で話したり、
他の写真家さんと座談会をしたりしながら、
考えてきました。

で、いろいろ考えたわけですけど、
最後になぜだか
「接点」という言葉が残りました。

というか、それは、最初からありました。

知り合った初期に届いたメールのなかに
見つけることができるのです。

「おれのばあい、聞こえないということで
 (障がいのある)相手にも
 筆談や身振りを、
 身体を動かせないなら
 目を見開くなど、何かしらのアクションで
 意思表示してもらわないといけない。
 
 できないことがあればあるほど、
 どうにかしようとして
 おたがいが接点を見つけようとする」



撮影/齋藤陽道

接点。

それは、
「どうにか見つけるもの」であると同時に
スミンとの出会いみたく、
予期せぬ、偶発的な、一瞬のものでもあります。

でも、どんなかたちであれ、
そういう、ひとつひとつの「接点」を
齋藤さんは、
大事にしていると思いました。

齋藤さんの写真には、だから、
「接点」が写っているんじゃないかなあと、
そんなふうに思いました。



撮影/齋藤陽道

もうひとつの印象は、「正直」ということ。

齋藤さんは、正直にものを言うと思います。
そして、その正直さが、
写真にも、あらわれている気がするんです。

だから以前、ふと思い立って
ある質問のメールを、出したことがあります。

「筆談でうそをつくってこと、ありますか?」

齋藤さんの答えは、こうでした。



撮影/齋藤陽道

「ぼくにとって筆談は
 生の言葉(手話)以上に常用しているので、
 やっぱり、うそはつきます。
 ぬけぬけとつけます。堂々ぬけうそ。

 ほかの人がどうなのかはわかりませんが
 はい、ぼくは筆談でうそをつけます。

 でも、筆談に真実味、それはあります。

 残るし、見えるし、書くのに時間がかかるし、
 文章をまとめるために
 考えなくてはなりませんから。

 残る、見える、一文字書くのに時間がかかる、
 まとめるために考える‥‥何を?

 『うそを』

 筆談でうそをつく、ということを
 こうやって考えると、やっぱり、こわいです。

 こわい、ではないか。めんどうくさい、かな。
 うーん、同じかもしれない。

 せこいうそをつこうとして
 一文字書いた瞬間に
 ああああああああ、めんどうくさい! って
 心底、がっかりするんです。

 ながあああああああああい文字の旅の果てが
 『うそ』だなんて、ああ、心底、徒労!

 だから、ぼくにとって
 筆談でうそをつく、ということは
 生の言葉よりがっかりするので
 あまり、つきたくはないなあと思っています。

 それでも、
 自分がうそをつこうとするときには、
 おもちろい、
 きれいなうそにしてやろう! と思います」



撮影/齋藤陽道

齋藤さんは、スミンを撮ってからというもの、
「音楽」をテーマに
写真を撮り続けているんだそうです。

吉祥寺ライブの数日後、
それらを編集したスライドが送られてきました。

作品名は「音楽のかたち」。

ピアノを弾く若い女性を主人公にしたような
4分半の無音の作品ですが
こんどは、音が聞こえてくるように感じました。
(われながら、勝手なものです)

そこには、以下のようなメッセージが
添えられていました。

「思えば、ぼくは、目に見えるだけのものに
 飽き飽きしているんだと思います。

 音楽のように、見えないものだからこそ
 どうにかして、何らかのかたちで、
 具現化させたいという欲があるなと思います。

 それは、耳の聞こえないぼくにとっては
 『うそをつく』ことだから
 あんまり誇れるようなことでもないけど、
 でも、うそをつかないとやっていけないから、
 せめてせめて、きれいなうそを、と
 いつも思っています。

 ああ、自分のなかで今、つながりました」



‥‥正直な人なんです、ほんとに。




【おわります】

2012-10-16-TUE