糸井 アーウィン・ショーの
『夏服を着た女たち』という小説はご存じですか?
短い小説なんですけど、
昔、日本の若い人の間で流行ったんです。
サンデル いえ、読んでいません。
糸井 それは、ある中年の夫婦が
休日のニューヨークを散歩する話なんですけど、
こう、外の見える場所で食事をしているときに、
夫が、つい、華やかに通り過ぎる
夏服を着た女性達を目で追ってしまう、
という話なんですけど、
お金についての話って、
なんか、それによく似てるなと思ったんです。
サンデル ほう。
糸井 お金に対して、自分がどうあるべきか、
ロジックとして、人間の行動を説明するのは
とっても難しいけれども、
どういう理屈や倫理があったとしても、
人は、「つい、目を向けてしまう」。
その、夏服の女たちを目で追うように。
サンデル あー、なるほど。
糸井 経済学で説明しようとするとややこしいことも、
小説だとあんなふうに書けるのかもしれない。
だから、答えの出にくいお金の話なんかも、
ひょっとしたら、芸術というものが、
意外にあっさり扉を開けてくれるのかもしれないって、
漠然とぼくは期待しているところがあります。
その、小説的役割というか、エピソードが
ルールのなかに活きていくというか。
サンデル ああ、それは、そう思います。
糸井 いろんなものごとを表すときに、
法律書ではなく判例集、
エピソードで互いに確認しあう、みたいな。
サンデル ストーリーが有効なんですよね。
糸井 そうです、そうです。
そのやり方じゃないと、表現しきれないことを、
無理矢理にルールにしてしまうと、
『夏服を着た女たち』の要素がなくなってしまう。
サンデル まったくそのとおりですね。
糸井 ああ、わかってもらえてうれしいです。
サンデル よくわかりますよ。
糸井 そうですか。
でも、あれですね、ひょっとしたら、
日本の人はサンデルさんのことを、
ストーリーよりはルールの人として
とらえてるかもしれないですね。
サンデル あ、そうなんですか?
そういうふうに見えているんですか?
糸井 なんとなく、ですけど。
なんでも明快に意味づけて
はっきり分けることができる人、
みたいにとらえられているかもしれない。
サンデル ああ、そうですか。
でも、私が出した本は2冊とも、
すごくたくさんの事例、判例、エピソードを
入れているんですけどね。
どうしてストーリーではなくて
ルールの人だという印象があるんでしょう。
糸井 どうしてでしょうねぇ。
ひとつは、「勉強したい」と思ってる人が
サンデルさんの本を読むからかもしれません。
読んでわかることというよりも、
読んでますます悩むこと、考えてしまうことを
サンデルさんは仕掛けているのに、
「わかりたい」という気持ちのほうが
先に立つからじゃないかなぁ。
サンデル 私の本にはエピソードがたくさんありすぎる、
っていうふうに言う同業者もいるんですよ。
糸井 ああー、なるほどね。
サンデルさんは、本を出す動機として、
みんなに応用してもらいたいと思ってますよね。
サンデル はい、そうです。
糸井 使い勝手がいい(usability)っていうことを、
ものすごく大事にしてますよね。
サンデル はい。
あと、わかりやすさ(executability)。
糸井 うん、うん。
サンデル 本で示したような問題、
答えのないジレンマの話をみんなでしよう、
っていうふうに、みんなを呼び込みたいし、
みんなで考えようよっていうふうに
誘っていきたいんですよね。
糸井 そうですよね。
サンデル はい。
本の中にたくさんのエピソードや
事例をいれているのは、そういう意図からです。
人は、ストーリーや、エピソードを通じて
伝えるほうが、抽象的なロジックで語るよりも
ずっと心に響くし、理解が深まるし、考えやすい。
人は、みんなそういうものだと思ってます。
糸井 うん。だからこそ、人類の歴史も、
神話からはじまってるわけですよね。
サンデル あーー、はい、はい、はい。
糸井 ぼくも大賛成です、それは。
逆に、勉強をたくさんした人とか、学者とかが、
どのくらいシンプルにルール化できるか、
っていうところにエレガントな解を求めすぎていて、
かえって、意味から遠ざかってる気がします。
そういうときに、このストーリーで
話し合っていきましょうとか、
このエピソードを真ん中に置いて考えてみましょう、
っていうようなやり方は、
凝り固まった議論を
マッサージしてくれると思うんですね。
だから、そういうやり方を、ツールとして、
みんなが持つといいなぁと思う。
サンデル そうですね。
(つづきます)
2012-07-31-TUE