- ──
- ご本人の意識とは関係ないところで
佐々木監督のドラマ作品は
「一般の人」を起用しているという点で
ときに
「ドキュメンタリー調」と形容されます。
- 佐々木
- ぼくは一貫して
フィクションをやってきたんだけどね。
- ──
- はい。
そこで、ひとつ、おうかがいしたいのですが、
ドキュメンタリーとフィクションのちがい、
あるいはフィクションの魅力って
どういうところにあると、思われますか?
- 佐々木
- ドキュメンタリーは「事実」を追求するけど、
フィクションは「真実」を描くよね。
- ──
- おお‥‥なるほど。
- 佐々木
- ドキュメンタリーは事実を積み重ねていって、
事実によって語らしめるわけだけど、
その点フィクションは、
完全に「架空の世界」を描くことができます。
われわれ映像作家は
そこに「真実」を、ひそませるんだ。
- ──
- ドキュメンタリーが追うのが事実で、
フィクションが描くのが、真実。
- 佐々木
- そう思うよ。
- ──
- 盲点でしたけど、とても納得しました。
- 佐々木
- あと、ドキュメンタリーとちがって
フィクションって抽象性を描けるんだけど
「物語」には
ある種の抽象性がないと、ダメだと思う。
- ──
- たしかに、佐々木作品には
説明的な場面って、ほとんどありませんが、
物語に抽象性が必要なのは、なぜですか?
- 佐々木
- 観ながら考えるからですよ、観客が。
自分の頭で。
で、観客に考えてもらわなきゃ、深まらない。
作品ってのはさ、何だろう、
何もかも与えちゃったら、つまらないんだ。
ヒナ鳥にエサをあげる親鳥、
みたいな役割なんて、おもしろくも何ともないよ。
- ──
- 観て、自分の頭で、考える。
- 佐々木
- 観ている側だって
そっちのほうが、おもしろいんじゃないかな。
だから僕は
極力「説明しない」ことでやってきたんです。
それは、観客だけでなく、
出演者に対しても同じなんですけどね。
- ──
- 演技を指導するということは、しない?
出演者は「一般の人」なのに。
- 佐々木
- 別に、いじわるで教えないんじゃなくて、
自分の頭で考えてほしいんです。
- ──
- その場面や、セリフの意味を。
- 佐々木
- で、それができる人に、
これまで、出演してもらってきたんですよ。
僕が、手取り足取り出演者にへばりついて
「ハイ、そこで目線こっち頂戴」
とかやっちゃうと
話がグニャグニャになっちゃうんでね。
- ──
- なるほど‥‥。
- 佐々木
- 僕の作品のなかでは、
その人が、
あたかも本当にその場で呼吸しているように
生き生きしてもらわないと困る。
もちろん台本だってあるんだけど
「このセリフは、こういう感じで言ってくれ」
とは、まあ、言いませんねえ。
▲『ミンヨン 倍音の法則』の台本。
- ──
- つまり、一般の人のなかから
これはと思える人が見つかるまで探し続けて、
口説き落として、
苦労してキャスティングするのは
「登場人物を生き生きと描く」
ための、ひとつの方法だっていうことですか。
- 佐々木
- まあ、そうとも言えますかね。
- ──
- お聞きしていて、監督が好きな「物語」って
どのような作品なのか、気になりました。
- 佐々木
- 映画監督で言えば、まずは、キューブリック。
キャリアの初期のころに撮った
『現金(げんなま)に体を張れ』なんか最高。
- ──
- こう言ったら変かもしれませんが、意外です。
ぜんぜんちがいますし。作風。
- 佐々木
- 第一次大戦ものの『突撃』の最後のシーン、
ドイツ軍への突撃命令を
実行できなかったフランスの兵隊たちに
銃殺刑が言い渡されるんだけど
酒場にドイツ人の女歌手が連れて来られて、
歌を歌わされるんだよね。
で、その歌に、兵隊さんが心奪われちゃう。
- ──
- ええ。
- 佐々木
- まったく素晴らしいシーンですよ。
キューブリックは、
最後、あのシーンを撮りたくて
それまでの90分を撮ったんじゃないかって
思うくらい。
- ──
- それほどまでに。あらためて観てみます。
- 佐々木
- 一般人ばかり使うもんだから
あんまり予算を割いてもらえなかった
僕のテレビドラマと同じで、
その『突撃』って作品も
ほとんどお金かかってないと思うんだけど
そのへんも、いいなと思う。
でも、その一方で、
18世紀のヨーロッパが舞台の歴史物の‥‥
あれ、なんて言ったっけ。
- ──
- 『バリー・リンドン』ですかね。
- 佐々木
- そうそう、ああいう、
お金のかかった大作も撮れちゃうところが
あの人のすごいところだよ。
芸術家であると同時に、
視点が極めてジャーナリスティックだしさ。
- ──
- では、佐々木監督にとって「物語」とは
どういうもの、なんでしょう。
- 佐々木
- それは、たいへん難しい質問ですけど
たとえば
ドフトエフスキーの『罪と罰』って小説が
ありますよね。
- ──
- ええ。
- 佐々木
- 若者が、管理人の部屋の前を通って
アパートから表通りに出て、
雑踏に紛れ込んでいく‥‥という描写から
はじまる物語です。
- ──
- はい。
- 佐々木
- 読んでるこっちは、あの筆で
すうっと
主人公ラスコーリニコフになりきれちゃう。
- ──
- ドストエフスキーの描写で?
- 佐々木
- そう、ものすごい筆力、描写力だと思います。
つまり「物語」というのは
「主人公がいないと成り立たない」んだけど
これを逆に言えば、「物語」というのは
「主人公から目を離さない」のが、絶対条件。
「物語とは何か」という質問に対して
ストレートな答えじゃないかもしれないけど、
「組み立て方」で言うなら
物語って、そうやってできているものですよ。
- ──
- おもしろいです。
- 佐々木
- 読者は、主人公といっしょに歩くんです。
主人公の前へ出てみたり、後ろへ回ったり、
追いかけて、追い越して。
音楽で言えば「フーガ」みたいにしてね。
- ──
- ええ、なるほど。
- 佐々木
- 「主人公」がよろこべば「私」もよろこび、
「主人公」が悲しめば「私」も悲しむ。
弾めば弾むし、しぼめば、しぼむ。
小説とか映像とかの形式はともかく、
それこそ「物語」だろうと思うけど、僕は。
- ──
- とても明解です。
- 佐々木
- 他の人は知らないですよ。聞いたことないしね。
ただ、バルザックの『ゴリオ爺さん』でも
爪のカタチがどうのこうのって、
何のためにそんな描写してんのと思うけど、
いつの間にか
「ゴリオ爺さんになっちゃう」んだよなあ。
読んでる僕らが、ね。
- ──
- 主人公を描写することで
「物語」が転がっていく‥‥というのは
佐々木作品にも通じる気がします。
- 佐々木
- だから敢えてテクニック的なことを言うなら
ストーリーに「焦ってる」作品って、
読んでいても、ぜんぜんおもしろくないよね。
- ──
- なるほど。
- 佐々木
- ドストエフスキー自身が
ラスコーリニコフって主人公になりきって
書くわけだけど、
ドストエフスキー自身は、「I」でしょ?
で、ラスコーリニコフは「He」ですよね。
- ──
- 「人称」で言えば、ええ。
- 佐々木
- 「I」が「He」を生み出す過程が「物語」だし
その部分に、身を削るほどの、
おそろしい苦労がともなうんだと思います。
- ──
- 佐々木監督の作品も
ほとんどストーリーを追わず、
静かに深く、人物を描写していく感じですものね。
他方で、監督が勤務していたNHKに
膨大な経験値やアーカイブが蓄積されている
「ドキュメンタリー」については
どのようなお考えというか、感想をお持ちですか?
- 佐々木
- 木村栄文(ひでふみ)って、知ってる?
- ──
- 福岡の放送局のドキュメンタリストですよね。
数年前、渋谷の映画館で特集されていた気が。
- 佐々木
- あの人の作品は、だいたい、おもしろいよ。
プロ野球選手の大下弘を描いた作品で
『桜吹雪のホームラン』ってのなんか、実にいいね。
- ──
- 知的障害を持っている娘さんを描いた
『あいラブ優ちゃん』とかで、有名ですよね。
- 佐々木
- あるいは、工藤敏樹さん。
なんて言ったっけな、
第五福竜丸のドキュメンタリーを撮った人で、
『富谷国民学校』とか
『スリ係警部補』とか‥‥。
- ──
- スリ担当の警察の話?
- 佐々木
- そう、定年退職前のスゴ腕の警部補がね、
スリに目をつけて、尾行して、
検挙の瞬間まで追っかけたドキュメンタリー。
取り調べの場面にも、カメラ入れちゃったり。
- ──
- おもしろそうですね!
- 佐々木
- 昔のテレビには、そんな名匠がたくさんいたよ。
あとはさ、大河ドラマの『太閤記』の冒頭で
新幹線を走らせちゃった
吉田直哉さんって名ディレクターとか。
- ──
- え、時代劇なのに、新幹線?
- 佐々木
- 有名な話だよ。本人にとっちゃ
なんでもないことだったろうと思うけどね。
で、その吉田さんなんかも
もともとドキュメンタリーの人だったんだ。
- ──
- どのような作品を撮られてたんですか?
- 佐々木
- 『日本の素顔』ってシリーズの
『日本人と次郎長』なんて、最高傑作だよ。
なにしろ、日本のヤクザの親分が
次から次へと登場して、刺青を見せるんだ。
- ──
- 今では、ちょっと考えられないですね。
- 佐々木
- しかもね、
ただカタログみたいに見せるわけじゃなく、
吉田さんって人は
そこに「文明批評」を混ぜるんだよ。
「人はなぜ刺青を入れるんだろう」とかさ。
- ──
- それを、お茶の間のテレビで
放送してたってことですよね。すごい‥‥。
- 佐々木
- それだけ好き勝手やって
ヤクザにも、ぜんぜん恨まれてないしね。
- ──
- 観てみたいです。
- 佐々木
- 横浜の放送ライブラリーにあるよ、きっと。
- ──
- あたらめて
ドキュメンタリーは「事実」を追求し、
フィクションは「真実」を描く、というお話は
すごく、おもしろかったです。
- 佐々木
- はじめにドキュメンタリーを撮ってた人って、
いつか、フィクションを撮りたくなる。
吉田さんもそうだったし
イタリアのミケランジェロ・アントニオーニも
フェデリコ・フェリーニも、
ドキュメンタリーから出発してるからね。
- ──
- そうなんですか。
- 佐々木
- 事実を積み重ねるドキュメンタリーを経て
フィクションで
自分の描きたいことを描きたいようになる。
ドキュメンタリーって、
だから、
第一級のフィクションの基盤をなしている、
そういうものでもあるんでしょうね。
<つづきます>
2014-11-07-FRI