糸井 |
新聞記者として記事を書くときと
ネットでなにかを書くときっていうのは、
やっぱり、大きく違うんですよね。
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佐々木 |
違いますね。
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糸井 |
なにがどんなふうに違うんでしょう。
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佐々木 |
やっぱり、余裕がないですから、
どうしてもネタになることが
優先されるんですね。
とにかく、ネタ、ネタって、
鵜飼いの鵜のように、
ネタを飲みこんでは、すぐに吐き出して。
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糸井 |
商品化のために、
本に厚みを出すのと同じ話ですね。
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佐々木 |
そうなんです。
だから、もう目の前のものを
バッっとつかんで、バッと出す。
そのときに、すごく尊敬していた
先輩の事件記者から
こんなことを言われたことがあるんです。
新聞記者には2種類あって、
狩猟型と農耕型だと。
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糸井 |
なるほど。
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佐々木 |
で、おまえは狩猟型だと。
ダーッと取材に行って、
取材が終わったあとは草木も生えない
みたいな言い方をされて。
つまり、ネタは獲ってくるけど、
ぜんぜんフォローしてない。
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糸井 |
(笑)
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佐々木 |
一方、農耕型の記者っていうのは、
ネタ元とずーっとつき合って、
めったなことでは書かない。
その人に迷惑がかかると思ったら、
もう、書かずに墓場まで持って行く。
そういうなかで、書けるネタだけを、
ぽつんぽつんと書いていく。
まさに、畑に種を蒔いて育てて、
実ったらちょっとだけ収穫させてもらう。
これからはそういうことを
目指さなきゃダメだって言われて、
なるほどなとすごく思ったんですけど。
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糸井 |
うん。
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佐々木 |
やっぱり、いまつかんだネタを
バッっと出すんじゃなくて、
いかに自分のなかに
コンテクスト(文脈)みたいなものを
溜め込んでいけるか。
そういうことを意識しながら
書いてくことがすごく大事だなと。
新聞記者って、やっぱり専門性が薄くて、
今日は経済、明日は殺人、
翌日は海外テロっていうふうに、
どんどん取材して書いていくから、
どうしても、自分のなかに
コンテクストが残りづらいんです。
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糸井 |
なるほど、なるほど。
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佐々木 |
ただ取材能力の高い職人、
みたいなことになりがちなんです。
もちろん、職人に徹するのもいいんですけど、
自分の道はそこじゃないなと思ったので、
だったら、学生時代から詳しかった
ITの分野で自分なりのコンテクストを培って
そのなかで仕事するっていう方向に
行けないかなって思ったんです。
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糸井 |
その話、まったくはじめて聞いたんですが、
ものすごくおもしろいですね。
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佐々木 |
ああ、そうですか。
ありがとうございます。
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糸井 |
いや、そのくらいじゃないと。
ネットの中でなにか表現していくって、
徒手空拳じゃないですか、いわば。
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佐々木 |
そうなんですよね。
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糸井 |
その意味では全員平等なんだけど、
失うもののある人ほど
より、徒手空拳なんですよ。
というときに佐々木さんが
おやりになっていることっていうのは、
なんていうか、ある種の潔さというか、
貪欲さみたいなものがあって。
それは背景になにがあるんだろうって
思ってたんですけど。
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佐々木 |
ああー。
それは、まぁ、どこかの段階で
なにかの覚悟を決めたというか。
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糸井 |
覚悟ですね。
だから、でかい声出して
ヒステリックに言ってるだけの人には
その覚悟はやっぱり感じられないんですよ。
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佐々木 |
ああ、わかる気がします。
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糸井 |
その一方で、新聞記者の方でも、
ソーシャルななかでの表現が
自然にできてる方もいらっしゃいますよね。
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佐々木 |
そう思います。
優秀な記者もすごく多いです。
ツイッターやフェイスブックが
今後、どういう扱いになるかはわかりませんけど、
いまは会社のガバナンス(統治)が
まともに機能してないので、
自由に表現できるという意味では、
とてもいい場になってるんじゃないですかね。
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糸井 |
自分に問いかけるということの
実験や練習ができる場所として。
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佐々木 |
そうですね。
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糸井 |
新聞に限らず、
マスを相手にするメディアで
マス用の語り口を身につけた人が
自分として人生を送っていくっていうのは、
もうそれ自体が矛盾みたいに
なっちゃってますからね。
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佐々木 |
そうですね。
だから、そこを変えられるがどうかが
この時代に生きていく
ジャーナリストにとっての
大きな壁じゃないかなっていう気はします。
とくに、ソーシャルな世界における
これからのジャーナリズムって、
ひとりの個人が発信するのではなくて、
コミュニケーションのなかで生まれる
ジャーナリズムだろうと思うので。
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糸井 |
うん、そうですね
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佐々木 |
そういう意味で
コミュニケーションを取ってるような感覚が
文体と融合できるかどうかって、
やっぱりすごく大事だと思いますよね。
ぼくがブログをはじめたころから
言われてたことではあるんですけど、
当時はなにを言ってるのか、
よくわかんなかったんですよ。
でも、いまになってみるとよくわかる。
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糸井 |
つまり、5年かかるわけですよね。
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佐々木 |
そうなんですよね。
いまの若い人だったら、
あっという間にできちゃうのかもしれない。
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糸井 |
つまり、佐々木さんは、前の世界で
身につけていたものが大きかったから
それを削ぎ落とすのに
ちょっと時間がかかったというか。
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佐々木 |
それはあると思います。
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糸井 |
でもそれ10年掛かっても
そぎ落とせない人もいるし。
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佐々木 |
うーん、そうですね。
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糸井 |
仕事になりながら5年っていうのは、
やっぱりすばらしいと思うなぁ。
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佐々木 |
ありがとうございます。
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糸井 |
いや、今日はおもしろかったです、
っていうのも変な言い方ですけど、
おもしろかった。
ありがとうございました。
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佐々木 |
こちらこそ、
ありがとうございました。 |
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(佐々木俊尚さんと糸井重里の対談は
これで終わりです。
お読みいただき、ありがとうございました) |