はたらくことのおもしろさ。 佐々木俊尚×糸井重里 はたらくことのおもしろさ。 佐々木俊尚×糸井重里
作家・ジャーナリストの佐々木俊尚さんと
糸井重里が「はたらくこと」をテーマに
トークイベントを行いました。
話はさまざまな方向に転がり、
「(よくしゃべったのは)会場の若い人たちが
とても真剣に聞いていたから、
その熱のせいなんじゃないかとも思えました」と、
糸井は翌日の「今日のダーリン」に書きました。
とくに白熱したのは最後の質疑応答の時間で、
会場の方からたくさんの質問が挙がったんです。
その様子もふくめての全7回、
どうぞご覧ください。

※今回の対談は、佐々木俊尚さん、松浦弥太郎さん、
灯台もと暮らし、箱庭が運営する
コミュニティ「SUSONO(すその)」の企画で
おこなわれました。
「SUSONO」については、こちらからどうぞ
3週間無料のクーポンもあるそうですよ。
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第3回:主観のコントロール。
佐々木
いま、ワーク・ライフ・バランスという言葉で、
労働と自分の時間を
ちゃんと分けるようにしましょう、
ということが言われていますよね。
だけど、フリーで仕事をしていると、
ほとんどすべての時間が「ワーク」なんです。
それについてはどう思いますか。
糸井
たのしく仕事をするというのは、
ギャラをもらわずに麻雀をするのと
同じことだと思います。
佐々木
ギャラをもらわないで麻雀する。
糸井
ギャラを払うから、これから3日間、
徹夜で麻雀をやろうぜと言われたら、
どう思います?
佐々木
労働ですよね、それはね。
糸井
そういうことには金を払うというのが、
いまの世の中で、
それをワークと言っているわけです。
でも、好きで麻雀をやっているときって、
一銭ももらわなくてもたのしいじゃないですか。
仕事もおもしろくなってきたら、
麻雀よりたのしいですよね。
佐々木
なるほど。
糸井
でもこれをあまり真正面から言うと、
怒られるわけです。
だから、うちはいま、
ものすごく労働時間を減らしています。
でも、本当におもしろくなったときに、
のめり込める権利はどうやって確保するか、
というのは、真剣に考えてます。
佐々木
いま、政府が「働き方改革」を掲げていて、
何時間はたらいても同じ給料になる
裁量労働制の枠組みを広げましょう、
というふうに言っていますよね。
あれ、反対の声もすごく出ているんです。
というのも、たとえば、
「今日は徹夜でもいいから
やりたいことをやります」と言って、
12時間はたらいて満足して帰る。
それで翌日は6時間で終わったから帰ろう、
というふうに自分で調整できるのが
本来の裁量労働制なのに、
日本の会社って、早く帰ろうとすると、上司が
「早く終わったんだったらこれやって」
と言ってくるような状況があって、
そこのコントロールができない。
糸井
もともとの無駄な時間が多すぎるし、
さっきの封筒貼りをやらせる発想で、
「手が空いてるんだったら、これもやっとけよ」
という状況になるんですよね。
でも実際、1日の仕事の時間というのは、
本気でやったら
3~4時間以上はできないと思います。
佐々木
ああ、そうですね。
ぼくは書く仕事を中心にしているんですけど、
1日中机に向かっていると言っても、
本当にキーボードを叩いているのは、
おっしゃるとおりで3~4時間。
それ以上は集中力が続かないです。
糸井
そうだと思いますね。
真剣な3~4時間を確保するために、
あと3~4時間があるみたいな。
同時に、同じ人間の脳が、
ずっとアウトプットしているわけじゃないし、
インプットするための時間というのも必要ですよね。
その意味では、たとえば尊敬できる
気の置けない友だちとしゃべっている間は、
生産量はないけれど、
ものすごくインプットしています。
佐々木
たしかに、いろんなアイデアがわいてきたり、
ヒントをもらったり。
糸井
相手に対するアウトプットにもなっているし。
そこのコミュニケーションというのは、
すばらしい時間だと思います。
佐々木
ぼくも
「今日は1日、書籍の仕事をしよう」
とか思っても、
なかなかすぐは取り掛かれないんです。
本を開いてみたり、景色眺めたり、
急に散歩に行ったり。
あれこれやって、ようやく、
ああ書けそうかな、と思ったら書きはじめる。
だけど、
「3~4時間しか書かないなら、
ほかの時間は打ち合わせを入れてもいいか」
と言われると、
それは集中力が途切れちゃうのでできない。
やっぱり、本当にやってる時間以外の
遊びのところが重要ですよね。
糸井
たとえば、ぼくがいま、
佐々木さんとしゃべっているのも、
正直に言えば遊びです。
つまり、ぼくが言ったことに頷いてくれて、
逆に佐々木さんが言ったことに、
「そうそうそう」と言う。
こういう気持ちのいい遊びをしているわけですよね。
この休み時間に得たものを、
今度はアウトプットする時間があるわけで。
ここに、テレビを見ている時間だとか、
誰かとメールしているだとか、
映画に行っているだとかも合わせて、
全部実は仕事か遊びかわからない時間だと思います。
佐々木
なんでもインプットになると考えると、
なんだって仕事ですよね。
でも、たとえば今日のトークイベントは、
仕事かもしれないけど、
糸井さんに会うのがワクワクしてきちゃって、
これ遊びみたいだな、とも思う。
仕事と遊びを分けるのが間違っていて、
「シソビ」みたいな、
別の言葉をつくったほうが
いいんじゃないかとも思います。
糸井
仕事という概念そのものが、
狩猟民族たちのいる時代には、
なかったんじゃないかと思うんです。
食料が足りてないから捕りに行かなきゃいけない、
ということはあったと思います。
でも、行かなきゃな、というか、
行くに決まっているわけでしょう。
で、何人かで目配せし合って
獲物を追い込んで、捕まえる。
それもワクワクすることだと思うんですよね。
それで家に帰って、
「どうだった?」と言われて、
「捕ってきたぞ!」って言える喜びもあって。
そういう状況に
自分のいまの状況をなぞられてみたら、
案外ぼくはそれと同じことをしてる気がします。
佐々木
なるほど。それって、
自分がコントロールできるかどうかが
大きくないですか。
たぶん狩猟採取自体はたのしかった。
農業だって、個人個人でなんとなく、
「この種を植えて育てたら、食べられるんじゃない?」
なんて言ってたときはたのしかったと思うんです。
それがだんだん規模が大きくなって、
農園ができてはたらかされて、
年貢をとられて、
だんだん辛くなるわけですよね。
糸井
その行為自体が
たのしくなくなってしまう要素が
積層的につくられていったんでしょうね。
分業や法律や機能だとかが生まれて、
いまに至ってるわけで。
でも、そこをどう取り返すかというのは、
その人の主観の部分が大きいと思います。
佐々木
仕組みを変えるということではなく、
気持ちの切り替え方でも、
意外になんとかなるということですか?
糸井
そう。それを言うと、だいたい、
「主観で言われても」
と言われちゃうんだけど、
たのしそうにやっている人は、
みんな、主観のコントロールが上手ですよね。
佐々木
なるほど、それはべつに、
フリーとか会社員とか関係なしということですか?
糸井
関係なしだと思います。
会社の中で、たとえば、
「おつかい行って来て」
みたいに小さな仕事を頼んでも、
「いいよ!」と言って走り出す人みたいな。
佐々木
たのしそうな人いますよね、ときどき。
糸井
どうして、そういうことができるのか、
そこを訊くインタビューは
あまり見かけないですよね。
佐々木
たしかに。
糸井
あと、これは別の話で、
北国の農家さんに
「雪が降ってる冬のあいだはどうするんですか」
と聞いたら、
「冬は毎日スキーと温泉だね」
と言われたことがあるんです。
つまり、誰が指図するわけでもないので、
一家揃ってそう言ってても、
それで何も問題はないんです。
佐々木
それで生活が成立してるなら、
かまわないじゃないか、と。
たしかにみんな
「労働しなきゃいけない」という
強迫観念に駆られている感がありますね。
糸井
「商品としての時間」という概念で
社会が成立しちゃったからだと思うんですが、
そのことにはみんな実は
納得がいってないと思います。
たとえば
「この数だけ商品企画を出せ」と言って、
商品をつくったとしますよね。
でも、ほとんど売れないわけですよ。
うちも一つの商品がとっても売れていて、
うちが食えている理由も、
その一つのおかげなんです。
無数のいらなかったもののことは、
しょうがないよねと言うしかない。
でも、一つ、これはよかったね、
というものが飯を食わせてくれているんです。
(続きます)
2018-06-28-THU