今週は、「ダーリンコラム」も含めて、
「向日性」というか、物事の光の射す方を
見つめた、3日ぶんのコラムをご紹介です!
【明るいだけで、基礎点40点】
最近、マンションの空き地にまいた
カモミールの種が、見事に芽をだして
大きくなっているのを毎日見ている。
ただの空き地に、
ただパラパラとまいただけなのに、
自分で勝手に強く生きているのが、
かわいくて頼もしくてたまらない。
日当たりのいい場所、
日陰になる場所、荒れた土の場所、
人に踏みつけられやすい場所、
固い土の場所、どこにこぼれた種も、
みんな繁りはじめた。
「この場所は、オレが育つには条件が悪い」
と、文句言う種もなく、みんな
光のほうに顔を向けて育っている。
いずれ、日陰に芽を出したやつなんかは、
どうにかなってしまうのかも
しれないけれど、まずは
生きる可能性だけを信じて、伸びている。
まず、ここからしか
始まらないんじゃないかい。
光の方向に顔を向けるのでなく、
問題をあげつらって
眉間にしわをよせて考えてるだけで、
ゆりかごから墓場までを過ごす人も
いるのだろうけれど、それじゃ、
なんのためにわざわざ生んでもらったんだか、
わからないじゃないかと、ぼくは思う。
「明るいってだけで、基礎点40点」と、
ぼくはよく娘に言ったものだ。
【老人もいいし、若いやつもいい】
今日の「ほぼ日」のなかで、
スチャダラパーのボーズくんが、
『MOTHER1+2』について、
なんだかくすぐったくなるくらい
うれしいコメントを語ってくれている。
そうかぁ、そういうふうに
思ってくれていたんだと、
過去にさかのぼって
うれしくなってしまった。
だったら、と、ぼくは強く言いたい。
ぼくは、スチャダラパーの
『WILD FANCY ALLOANCE』という
1993年のアルバムには、
ほんとうに感心させられたものだ。
クルマのカーオーディオとして
セットされていて、
夏に土肥の海に行くときなんか、
ずっとかけっぱなしにして
聴いていたのを思い出す。
助手席にいて、それを聴いていた娘は、
いまでもその歌詞を暗記していると思うよ。
当時、この人たちの詩を、
「これが、現代の
中原中也にあたるものなんだ」と評した。
奥田民生の『息子』と、
スチャダラパーの『彼方からの手紙』と、
未成年だった木村拓哉の存在は、
ぼくに「近ごろの若いもの」を
尊敬させるきっかけだった。
老人もいいし、若いやつもいい。
その中間も、いいもんだ。
【高校生の部活の練習漬けのような日々】
もう、もったいぶっている理由もないので、
予告をしておきましょう。
日曜日に、
「爆笑問題」の太田光さんと対談しました。
昨日、矢沢永吉さんと対談してきました。
今日、岩井克人さんと対談します。
月末には、保坂和志さんと対談します。
6月早々、川上弘美さんと対談します。
ぼくは、幸せ者だと思います。
それを掲載できる
「ほぼ日」は幸運だと思います。
それを読める「ほぼ日」読者にも、
うれしいと信じます。
「ほぼ日創刊5周年記念」という
お祭りの渦のなかに、たくさんの人たちの
好意がまじってきています。
うれしいことです。
忙しいというのは、
必ずしもいいことじゃないけれど、
いまのぼくや「ほぼ日」の忙しさは、
いいことなんだと思っています。
高校生くらいの部活の選手たちが
練習漬けになるような、
そんな時期なのだと思って、
転げ回るように過ごしてます。 |
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