今週は、日常のなかで、ふと気づいた、
「あ、発見」という瞬間を3日ぶんおとどけ!
【今も何かをやってる人がいる】
「黄身返し」という名の、卵の黄身と白身が
ひっくり返しになったゆで卵を開発した人が
ニュースで紹介されていた。
これを完成させたのが、
73歳の元調理師という人で、
24歳のときから、
これをどうやってつくるかを
考え続けていたというところまで
読み続けると、なんだか別の感慨がある。
誰かがやっていたから、こういうものがある。
世界中に人間の数はずいぶん多いから、
いろんなことをしつこくやっている人がいる。
いかにもたいしたことばかりでなく、
どうでもいいと他人なら思いそうなことを、
じたばたしながら
やっている人がいる、どこかに。
おかげで、自分や、自分のまわりでは
永遠に出会わないようなモノゴトが、
生まれるんだよな。
こんなこと書いているいま現在も、
きっと、どこかで他の人がやらないような
とるに足らないようなことを、
真剣にやっている人がいるはずだ。
【「ひまつぶし」と「遊び」の間】
時間を使うたのしみには、
「ひまつぶし」と
「遊び」と二種類あるように思う。
あるように思う、という
気弱な言い方をしたけれど、
その違いについて、
うまく説明できないからだ。
どう説明すればいいのだろうか。
食堂に入ったとして、
「カレーでいいや」というのが
「ひまつぶし」で、
「カレーがいい」というのが
「遊び」にあたるのかなぁ。
どっちのカレーも、
それなりにおいしく食べるのだけれど、
「カレーがいい」というときのほうが、
満足感が高いのかもしれない。
いや、
「カレーでいいや」と言ったとしても、
とても満足する場合もあるから、
そうとも言えないか?
それに、
「カレーがいい」と言ったときのほうが、
あとで後悔することも、案外ありそうだ。
うーん、
やっぱりうまく説明できてないなぁ。
ぼくが自宅で
深夜に仕事をしているときには、
テレビが点けっぱなしに
なっていることが多くて、
そこで流れている番組は、
「このチャンネルでいいや」
というものがほとんどだ。
それが、意外にも
おもしろかったりすることもある。
テレビを消して、CDを選んで
音楽を流していることも多い。
その場合は、
「このアルバムがいい」の場合と、
「このアルバムでいいや」の場合と
二通りある。
聴いている途中で、「ちがうな」と思って、
他のに替えてしまうこともあるが、
そういうことは、
「このアルバムがいい」と、
積極的に選んだときのほうが多い。
今日は、書きだすときには、
「ひまつぶし」よりも
「遊び」のほうがいいよね、
というような内容になる予定だったのに、
知らないうちに、
「ひまつぶしに外れなし」みたいな、
逆のことを言っている。
結論は、こうなりそうだ。
時間を使うたのしみには、
「ひまつぶし」と「遊び」とがあって、
どちらも、なかなかいいものだ・・・?
【人気のある人の表現力って】
仕事の関係で、
「SMAP」の香取慎吾くんの
取材ビデオを見ました。
この取材に答えている様子が、
なんか迫力があったんです。
迫力といっても、
がつがつした感じじゃない。
気持ちがぐいぐい伝わってくるという実感。
この人、たしか最初に会ったのは16歳とか、
そのくらいの年齢だったのだと思うけれど、
よく成長しているなぁと、
感心してしまいました。
「SMAP」といえば、
木村拓哉くんが19歳のころに会って、
この子、すごいんじゃないか?と思って、
地方のコンサートまで含めて、
さんざん観た時期がありましたが、
そのころは、そういうことやってると、
「いい年して、
イトイさん、変わってるなぁ」
と、言われたりしていたものです。
彼らの成長については、
誰もが知っていることですが、
ほんとにたいしたものだよなぁと、
つくづく思います。
芸能の世界ばかりではないのですが、
人気のある人たちは
「表現力」の多寡が違うんですよね。
事実を、そのままの大きさで伝えることも
ムツカシイのに、
表現力のある人たちは、
それ以上のことを
伝える力があるんですよねぇ。
ただの事実の背景にある
「動機」とか「物語」とか、
そういった「おもしろさ」が
伝わってきちゃうわけです。
台本のある芝居でそれをやるのは
俳優だけれど、彼らは、
日常でそれをやっていると思うんですねぇ。
もちろん、「SMAP」などの
芸能の活動を続けながら
鍛えられてきた表現力だとは思うのですが、
なかなか、こんなに
増えていくもんじゃないですよ。
自分の子供みたいな年齢の人たちに、
なんか、勉強させられちゃうんだよなぁ。 |
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