読みかえす
「今日のダーリン」
2003/09/13
今週は、9月11日をはじめとして、
「ふと思いかえすと…」といった内容を
綴ることが多かった週でした。
しずかに、土曜に、読んでみてください。


9月9日

【「事実のかたまり」にしみじみ】

小野田寛郎さんが、
たったひとりの30年戦争に終止符を打ち、
飛行機で羽田に降り立ったときの写真。
撮影者の名前が
「十文字美信」と記されている。
撮影されたのは、1974年3月9日のはずだ。
十文字さんは、まだ20代なかばの頃で、
こんな重要なニュースを撮影に行くような
責任ある立場のカメラマンではなかったし、
さらに「報道写真家」ではなかったはずだ。
だからちょっとわかる人なら、
この写真のクレジットは、何かのミスだと
気がついてしまうのが順当なのだ。
しかし、記載された人名はミスではない。
当時、十文字青年は、
「これはすごい人だ」と、
「こんな人を近くで会いたい」とばかりに、
カメラを持って空港のなかに潜り込み、
個人的に小野田さん帰国の場面で
シャッターを切ったのだ。
よく、こんな場所まで近づけたものだと
いまさらながらに驚くようなことだ。
そのとき撮影した
個人蔵の写真を借してもらって、
このパンフレットに
使わせてもらったというわけだ。
そんなことも思いながら
パンフレットを見ていると、
なんだか今回のイベントが、ほんとうに
さまざまな奇跡的とも言える
「事実のかたまり」なんだと思えてきて、
しみじみしてしまうのです。


9月10日

【強さに裏打ちされたものは優しさ】

人のこころというものは、脳の中ではなく、
内臓のほうにあるんだという説があって、
ぼくはそれにけっこう
納得しているものなのですが。
風邪をひいているときに、
妙に気持ちがぴりぴりしたりすることなど、
誰にでも体験していると思うんです。
ぼく自身、いま禁煙40日くらいですから、
タバコに関わるさまざまな依存から
ひきはなされた身体が、
「そんなはずじゃなかったぜ」とばかりに、
いろんなかたちで反抗をしているわけです。
それはいわば風邪のような
症状として表れるのですが、
外界や自分への過敏な反応が、
ほんとに迷惑です、オレ。
面の皮が厚い、という言い方があるけれど、
その逆に、どこもかしこも
粘膜になったような感じで、
ある一定の時間を過ごすのが
つらいわけです。
「弱さゆえの攻撃的」な感じって、
他人に向けられたら、
えらい迷惑なことになるし、
自分に向けられたら、
憂鬱になるわけです。
強さに裏打ちされたものが
優しさだということが、
ほんとうによくわかりますよ、
こういうときには。


9月11日

【あなたの大切な日はいつですか】

毎日、この1行目を書きはじめる前に、
それなりにいろんなことを
考えたりしてまして。
日付を見ただけで、
今日が「9・11」だと気付くわけです。
9月中旬の、
いかにもなんでもなさそうな日が、
とても大きな物語を
背負ってしまったんですね。
そういえば、一昨日は
北朝鮮の建国記念日だったんですね。
55周年だというから、
ぼくは北朝鮮と同い年なのか、と。
それは、また松井秀喜の背番号とも
同じなんですね。
「コント55号」というのもあったなぁ。
去年まで、
9月というと矢沢永吉の誕生日が
9月14日だという意識が強かったですね。
それにちなんだコンサートが
あったりするので、
自然に憶えてしまうんですね。
9月の誕生日というと、もうひとり、
『ガンジーさん』が
9月の17日だったっけなぁ。
命日は12月だったし、
連載開始が8月だったけれど、
誕生日は9月17日でしたっけ。
なんとなく忘れられないものです。
長く長く長く生きることができたとしたら、
こういう記憶に残る日付が、
どんどん増えていって、毎日が
何かの日になってしまうのでしょうね。
それって、
うれしいのか、うれしくないのか?
それとも、適当に
「大切な日」を忘れていって、
記憶の入れ替えを
していくことになるのかなぁ。

2003-09-13-SAT


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