読みかえす
「今日のダーリン」
2003/09/20
今週は、なんと言っても
「智慧の実」イベントの余韻が
さめやらぬという感じの
「今日のダーリン」が続きました。
3日ぶん、じっくり、お読みください!


9月14日

【このまま続けばいいのにという時間】

『智慧の実を食べよう・300歳で300分』
終わりました。
会場に来てくれた人たち、ありがとう。
大満足の感想メールが
続々と届いて、ほっとしました。
よかったです、やって。
いや、やらせていただいて、
ほんとによかったです。
夜の7時半過ぎまでイベントは
続きましたが、観客席にいた人からの
感想にもあったけれど、
「このまま続いていればいいのに」
とさえ思えました。
そんなこと、無理に決まっているし、
実際、もう体力も気力も
いっぱいいっぱいだったんですが。
インターネットライブ中継のほうも、
事故もなくうまくつながってたらしくて、
よかった。
19歳とか20歳とかの
人たちからのメールが、
いつも以上に目立っていたのも
うれしかったです。
それこそ、コンサートやスポーツの試合に
負けないくらい本気でたのしめるイベントが
生まれたような気がしました。


9月15日

【知と明るさと軽さとの共存】

一日おいたのだけれど、いまだに、
『智慧の実を食べよう』というイベントが、
どういうものだったのか、
整理しきれていません。
とてもうまくいったのだとは、思います。
それがほんとうに
うれしいことなのだけれど、
バットを振ったら
球が飛んでいってホームランでした、
というようなことだと、
次につながらないわけで。
まさか
「同じようにやったら、
 同じようにうまくいく」
ということはないと思うんですよ。
何番目なのかわからないけれど、
ひとつは、思いつくんですよ。
なんやかんや言っても、やっぱり
「知」の場だったとは思うんです。
その「知」を「明るさ」と
結びつけられたということ。
「明るさ」と、「軽さ」かなぁ。
それが、とても
大事なことだったと思うんです。
娯楽として成立させるための
演出をしたわけじゃないです。
ただ、大切なものだからといって、
暗く重々しく
プレゼンテーションしないようにしようと、
それについては、
かなり意識していたつもりです。
考える、思う、というようなことは、
明るく、軽く、できることだと、
ぼくは考えています。
そうでなければ、
大勢のものにならないし、
他に仕事を持っている人に
届かないとも思うのです。


9月17日

【谷川俊太郎さんの色気】

先日のイベントのときに、
たくさんの人たちが
「谷川俊太郎さんは色気がある」
と、さかんに言っていた。
ぼくも、そう思った。
この、色気というやつの正体については、
ぼくも何度も考えたりして、
いちおう自分なりの答えはでているのだ。
色気とは、「ゆだん」である、
というのがぼくの答えだ。
「落とせば落ちる感じ」、
というような油断だ。
その「ゆだん」が前面に出ていたら、
色気と言われない。
ただ単に頼りない人ということに
なってしまう。
ほんのちょっとスキがあって、
それが見えるのが色気だ。
だから、谷川さんが
戦争の指揮官だったりしたならば、
「色気がある」と言われるのは
よいことではない。
でも、詩人だからいいのだ。
しかし、その、70歳を過ぎて
「落とせば落ちる感じ」なんて
見えている男というのは、
これはまた、
実にぜいたくな人生だよなぁ。

2003-09-20-SAT


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