今週の「今日のダーリン」には、
「まぁまぁ、焦らないで、
こういうこともある」
みたいな話に、仕事のまっさいちゅうで
迷っている人が「なるほど」と思って
読んでくださったコラムが多かったんです。
1週間の中から、3日ぶんを抜粋でご紹介!
【かならず成功に結びつく店】
「いつからか予約をとることさえ
難しくなってしまった
白金のそば屋『三合庵』に行きました。
『ほぼ日』の創刊と、
けっこう同じような時期に
決して一等地と言えない場所に
開いた店でした。
誠実でおいしい料理をだしていたら、
必ずうまくいくとは言うものの、
現実にお店がいっぱいになるまでの間は、
不安もあったと思うのです。
でーもねー、
そんな不安はすぐに吹っ飛んだですね。
ずっと満員だもの。
もう、そば好きの間では
誰でも知ってる
有名な店になっているものね。
仕入れの原価も、
サービスも落とすことなく、
どんなにお客の来ないときでも、
最高のものをつくって出していた、
ということが、
かならず成功に結びつきますね。
ぼくの好きな店って、
みんなそういう道のりだったみたい」
【年をとってから描ける絵】
「昔から知っている年下の友人に会うと、
年齢の話になることも多い。
だいたい、ぼくは
『年をとればとるほどおもしろい』
というような実感を述べるのだけれど、
これは、けっこう老いを予感して
落ち込みつつある彼らに、
希望を与えることになるらしい。
『四十代はいいよー』
と言っていたときには、いちおう
『邪念なく女の子のおしりをさわれる』
と説明はしたが、
『五十代はおもしろい』については、
その理由も説明せずに、
そのよさを伝えていた。
突然、年はとるほどおもしろいよ、
ということについて、
説明できると思ったので、
忘れないうちにそれを書く。
要するに、絵を描くみたいなことなのだ。
若いときは、
絵の具はたくさん持ってないわけ。
単色で、勢いのある絵を描けばいい。
描きたいものを、
大胆にでも細心にでも描けばいい。
そのうちに、ずっと絵を描いていると、
絵の具が手に入るようになる、
描法も知ってくる。
だからつまらない絵を
描くようになる人もいるだろうが、
描けるもの、
描ける世界はより大きくなっていく。
単色でしか描けなかった時代にくらべて、
ずいぶん自由になったような気がする。
そして、絵の具の色数は
どんどん増えてゆき、
なんでも描けるようになってくる。
そして、ほんとうに
描くべきものは何なのか、
そこまで考えて、絵を描けるようになる。
むろん、絵の具を持っているのに
使わないで、墨絵を描くのも、
死ぬまで完成できないような
大きな絵を描こうとすることも、
じぶんで決めればいい。
時には、描かないことで、
描いたこと以上の何かを
表現できる可能性だったあるだろう。
そんな感じ。
絵の具がいくらでもある、
といううれしさ。
体力とか、しつこさとか、
年をとって失われるものについて、
みんなよく語るけれど、
増えていくものもあるよ、
ということなんだよね」
【牛丼の悲劇に泣いている?】
「日本人にとって、
コメというのは特別なものだ。
他の穀類とコメでは、
まったく持っている意味がちがう。
コメほどではないのだとは思うけれど、
砂糖としょうゆで味付けした
牛肉というものにも、
日本人は特別な意味を
見いだしているような気がする。
コメが、江戸時代までの
信仰的な食い物だったとしたら、
牛肉の煮たものは、
明治以降の『文明開化』の象徴として、
これまた信仰の対象に
なっているように思える。
『外国と、うまくやっていくことで、
こんなにうまくて
栄養のあるものが食える』という、
そういう喜びが、
込められてしまったのではないか。
なんでこんな大げさなことを
思ったかといえば、
そう、牛丼騒動である。
とうとう吉野家から、
牛丼のメニューが消えた。
そのことをめぐっての報道や、
人々の動きが、宗教的な
『祭事』のように見えたからだ。
ニュースを見ていると、
日本中の人たちが、まるで
『牛丼の悲劇に泣いている』
ようにさえ思える。
泣いちゃいないだろうけれど、
親しいともだちか親戚に
不幸があったみたいな、
そういうトーンに、
日本列島が覆われている。
これほどのものだったのか?!牛丼よ!
いや、いつのまにか、これほどのものに、
なったんだろうね。
一度はつぶれかかったはずの吉野家が、
『国民の店』みたいな位置を
獲得するまでには、
さぞかしたくさんの
物語があったんだろうなぁ」 |
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