今週も毎日更新されつづけた
「今日のダーリン」から、3日ぶんを掲載。
読み忘れた人も、もう一度の人も、どうぞ。
【作れない増やせないもの】
青山墓地に散歩に出ると、
そんなに多くはないけれど、
梅の咲いている木が何本かあります。
誰が見に来るわけでもないけれど、
きれいに咲いています。
亡くなった方に梅見をしてもらえるようにと
植えられたものなんでしょうね。
いずれ、桜の季節には
大混雑になる場所なのですが、
本数も少ないせいか、
梅はひっそり咲いているだけです。
でもね、きれいです、梅。
今日は、ぼくは旅です。
京都から、滋賀の山奥に入ります。
古い木材をたくさん持っている方がいて、
それをみせてもらいに行くのです。
作者のいる彫刻や、
名物として有名だったりする樹木でなく、
壊した古い家の柱だとか、
そんなふうなものが、
たくさんあるのだそうです。
名前はないけれど、
これから作ろうと思っても
なかなか作れない木材が
眠っている倉庫ですね。
けっこうたのしみです。
とにかく、これからは、買えないもの、
作れない増やせないものの値打ちが、
見直されてくると思うのです。
そういうもののなかには、
おいしい空気だとか、きれいな景色だとか、
生き生きした水だとか、
もともと無料のものも含まれます。
愛だとか、親切だとかも、
そういうものでしょうね。
失敗も含めて、自分だけの体験も、ね。
【父と、おなじことをしている】
もうとっくに亡くなっている父親と、
自分が、おなじようなことを
していることに気づいた。
ぼくは、いまごろ、
食わず嫌いだった「歴史」に、
みなもと太郎さんのマンガ
『風雲児たち』をきっかけに、
興味を持つようになっている。
そういえば、と思い出したのだけれど、
いつごろからか、
父親が歴史を描いたものを
さかんに読み出した時期があった。
たぶん、吉川英治の宮本武蔵だとか、
山岡荘八の徳川家康だとかの大衆小説、
いまのぼくにとってのマンガみたいなものが
きっかけになっていたのだろうと思う。
まさか、
学術書から出発したとは考えられない。
まったくちがった道を
歩んでいるつもりだったのに。
それについて、
話しあったことなんかなかったのに、
歴史に好奇心を向けたり、
お寺やお墓が
気になるようになったりしている。
そうなのだ。ぼくの父親も、いつごろからか
急に、お寺の世話役みたいな仕事を
引き受けるようになって、
京都の本願寺なんかに
うれしそうにでかけていた。
ある年齢がくると、
自然に歴史だの、お寺だのに
興味を持つように
なるのかもしれないけれど、
まさか、自分が、そうなるとはなぁ。
どんなことを考えていたのか、
もっとバカ息子に
話しておいてくれたらよかったのにな。
生まれて、同じ家で生活をしたのは、
大学に入学するまでのたった18年だった。
それ以後は、ちょっと会って、
ちょっとことばをかわす程度だったから、
たがいのことを、
たくさんは知れないものだった。
それが、当たり前のことなのか、
特別にうちの親子が薄情なのかは
わからないけれど、いまごろ、
ちょっと残念な気持ちになっている。
【折り目のあるズボン】
ぼくは、単なる偶然のせいで、
ファッションに関係する広告を
たくさんつくってきた。
その過程で、調べものをしたり
取材をしたりするので、
妙なことを余計に知ることになる。
たとえば、トレンチコートは、
もともと戦争のときに掘る
塹壕の意味であることだとか、
漁師たちの手編みのセーターは、
遭難したときに身元がわかるように、
家ごとにちがう模様だったんだとか、
けっこう
「トリビアの泉」みたいな知識があった。
雑学ばやりのいまだったら、
みんなが知っているようなこと
だったのかもしれないけど。
そういう知識のなかに、
背広のタイプのジャケットは、
貴族階級が着ていたモーニングコートの
しっぽの部分をカットして
動きやすくしたもの、というものがある。
貴族の権力が、
市民(ブルジョア)に渡るころの副産物が、
「しっぽのないコート」としての
背広型ジャケットだ、と。
つまりは、これはカジュアル化だ。
ほんの少しの例外はあるけれど、
ファッションも、
基本的にはラクなほうに流れる。
おそらく、いまも、
革底靴からスニーカーへの移行は
さらに加速度的に進んでいるにちがいない。
いつのまにか、おしゃれの世界では、
「ご法度」に近かったはずのジャージさえも
高級ブランドの
スポーツものとして登場してきている。
ぼく自身、つくづく驚くのは、
家の中に、
折り目のついたパンツ(ズボン)が
ほとんどなくなっている、という事実だ。
上下揃ったスーツのパンツについては、
折り目つきのものもあるのだけれど、
パンツ単独で折り目のついたものが、
あるのかないのか?
ラクになっていく、という法則からしたら、
世の中から、
パンツの折り目は消えていくのだと思う。
ただね、「オトナ語」の飛び交う世界では、
パンツの折り目は、
まだ生きているような気もするのだ。
やっぱり、オトナ社会では
「折り目正しさ」が
求められているんだなあ、
とちょっと感心した。 |
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