第16回 デザインは「他力」がつくるもの
ほぼ日 社会に出たら、
学生のころとちがって
具体的な制約があるからこそ
必然性のあるデザインにとりくめた、
という経験を、
つづけてうかがえますか?

ルールがあるから、可能性が生まれる

佐藤 グリーンガム、
ミントブルー……
ロッテのそれぞれのガムの
絵の画面には、
それぞれ5つのなにかがならぶ、
というルールをつくったわけです。
そんなルールをつくったからこそ、
5匹のペンギンの1匹だけをズラすことが
おもしろいと感じられるわけですね。

ルールがあるからこそ
たくさんの可能性が
生まれるのではないか。
ぼくはそう思うのです。

たとえば、
俳句や短歌の定型もそうですが、
かたちが決まっているからこそ、
そのなかに、宇宙をあらわそうと
多様な句や歌が
詠まれつづけるわけです。
かたちが
決まっているからこそ、
「字あまり」を、
たのしめるわけです。
ルールがあるからこそ、
ルールを破ることが
おもしろいんです。


今の時代のデザインには、
あまりにもルールがないのではないか、
とは、感じることがあります。

ルールというベースがないから、
「あたらしい」
「過激」
「破綻している」
こうしたおもしろさを
おもしろいと思えない時代に
なっているのではないでしょうか?

過激なおもしろさは
まちがいなくあるわけですが、
それは、世の中のルールが
かっちりしていればいるほど、
おもしろさが、きわだつわけです。

つまり、
「あたらしさ」
「過激さ」
「破綻していること」も、
絶対的にあるものでなく、相対的に
感じられるものではないでしょうか。

だからこそ
ルールが要るのですし、
必然性や理由も必要なのです。
北海道大学の
コミュニケーションマーク
金沢21世紀美術館の
シンボルマーク
というのは
理由のあるものです。

デザインというものは、
「よくわからないけど、
 デザイナーのアタマから
 生みだされてゆくかたち」
と思われていますが、
ぼくは、そうではないと考えています。

「常に、世の中に、
 すばらしいものは存在している」

ぼくは、そういう前提で
仕事をしています。
これまで眠っていて
まだ見えていなかったかたちを
見つけだして、
潜在力をひきだして、
目に見えるようにする……

そういうアプローチのしかたで
仕事に向かうことに興味があるんです。

説得力のあるデザインとはなんだろう?

佐藤 北海道の土地のかたちも、
金沢21世紀美術館の建物のかたちも、
ぼくが作りだしたものではありません。
どちらも
意味があって、そこにあったものです。
必然性のあるものに興味があるんですね。

人体の模型の細部は
造形家が
オブジェとしてつくったもの、
ではありませんよね。
だけど、
ものすごい説得力がある。
チカラがある。
ここに神経がはいって……
余計なかたちを
つめこまないままで、
ぜんぶにちゃんと
意味があるところに、
感動したことがありました。


「あたらしいかたちや色をあたえる」
「誰もやったことのないことをやる」
だとかいうことばかりが、
デザインといわれがちなのですが、
ほんとうなのだろうかと思うのです。
余計な演出をしない、
手を加えないということで
『ピュアモルト』
『おいしい牛乳』などで、実際に、
なんでこんなに可能性が生まれたのか?
そこを考えると、
自分にとってのデザインは
「他力」
なのではないかと、
最近は、考えています。


自分がなにかをする、
というのではなくて、
すでに世の中に存在しているものを
うまく生かしていくのが
ぼくの仕事のやりかたなんです。

潜在力を生かすこと、
環境力を生かすこと、
そういう視点でながめてみると
個性というものはなんなのでしょう?

クリエイティブの現場では
個性的であれ、とよく言われます。
ぼくもそういう教育を受けてきました。
大学でも、社会でも、
個性を出したほうがいいと言われました。
しかし、個性的なのかどうかというのは、
考える必要がないのではないでしょうか?

なにかがあったときの対応のしかたは
人はそれぞれ、ずいぶんちがいますし、
その多様さが、個性なのだと言えますので、
つまり、個性は、
「出す」のではなくて「出る」ものなんです。
だから、個性的かどうかを
心配する必要はないのではないでしょうか。
それよりも大切なことは
世の中で、
自分はなにができるのだろうか、
なにをするべきなのだろうか、
なんですね。
そのつど変化する
「やるべきこと」
をしていさえすれば、
対処の方法は人によって
かなりちがうわけですから。


デザインに完成はない、と思っています。
なにが商品の完成なのかというと、
工場で、モノができあがったときなのか、
店頭に、モノならんだときなのか、
人の手に渡って使用されたときなのか、
ゴミになって分解されているときなのか……。
どこをとっても、
商品の側面のひとつなのではないでしょうか。
「デザインに
 完成はないんだ」
と、思うようになってから、
「やるべきことを、そのつど
 できるところまでやりきる」
という方針で、仕事をしています。


100円の商品のデザインだから
100円相当のデザインでいいんだ、
という考え方はしていません。
「自分のやれる範囲のベストの選択」
ということしか考えていないんです。

ただし、商品には
「かけられるコストの範囲」
というものがあるわけです。
つまり、ここでも必然的に
素材のレベルで、
使えるものと使えないものが出てきます。
だから、使えるものの範囲、
やるべきものの範囲は、
商品ごとに毎回変わってゆくわけです。


(次回に、つづきます)
  佐藤卓さんのこれまでの
ほとんどの仕事を見られる大規模な展覧会は、
3か月間、おこなわれつづけています。

みなさんからのデザインについての質問や
佐藤卓さんの言葉への感想などを、
卓さんに伝えてゆこうと考えておりますので
質問や、感想など、ぜひ、
postman@1101.com
こちらまで、件名を「日常のデザイン」として
お送りいただけると、さいわいです。

2006-12-11-MON

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