SAY HELLO! あのこによろしく。
わたしの「あのこ」。
犬といっしょにくらした思い出を綴った、8通のメール。



ほぼにちわ!
『Say Hello! あのこによろしく。』には
「わたしも、犬とくらしています」というメールを
たくさん、いただきます。
けれどそれとおなじくらい、
「わたしも、犬とくらしていた思い出があります」
というメールもいただくんです。
仕事や勉強の関係で、実家とはなれて
犬とくらせない環境でがんばってるひとや、
むかし、犬を飼っていたけれど、
もうずいぶんまえに亡くなりました、
というようなおはなしを。

きょうご紹介する8通のメールは、
そんな読者のみなさんからの
「犬とくらした思い出」をあつめました。


=
  もう20年前ですね、
飼っていた柴犬「力(「ちから」と書いて
「りき」という名前でした)」が亡くなったのは。

その日は中学の冬休みで岡山の田舎に一人で帰ってました。
そこに大阪の自宅からの急な電話。

「力がひき逃げにあった」

と。

とにかく今電話を力のそばに持って行くから
声をかけてやって。
そういう母の声。

もうすでに僕は涙が止まらない状態で、
力、大丈夫か、がんばれ、がんばらな承知せんぞ、
そんなことを言ってたような気がします。

その後、すぐに息を引き取ったそうです。
帰宅後、母にその時のことを聞いたら、
あんたの声を聞いて
「くぅーん」って泣いたと思ったら、
息を引き取った、と。

この力は僕が一番面倒を見、しつけもして、
一番僕になついてました。
それまでにも犬やら猫やらかなりの数を飼ってたのですが、
この力が一番かわいかったんです、
この力が一番賢かったんです。
いつも側にいた力がいきなり、唐突にいなくなって。
真っ白でしたね、何だか。

だからなんでしょうか。
力の顔が全然思い出せないのです。
一緒に行ったところ、散歩道、
やったことは覚えているのに、
顔が全然思い出せないのです。
何なんでしょうね、これって。
一種の現実逃避なのでしょうか?
自己防衛なのでしょうか?

しかも。
写真とかも見事なまでに一枚もないのです。
撮ってたはずなのにないのです。
両親もそれはおかしい、というのですが、
それは引っ越した今でも一枚も出てくることなく。

『Say Hello!』を見終わってから、
この子たちはこういう形でいい顔がたくさん、
そこに残っている。
力にもこんなことをしてあげたかったなあ‥‥
そんなことも同時に思い出し、
思ったらもう涙がボロボロと‥‥。

そしてほんの一番最後にあった文章を見て、
つい最近別れた恋人のことも同時によぎって
さらにボロボロに‥‥。

初めは「イトイがまた何かしはじめたぞ‥‥」、
言葉が悪いのですが、
ホントにこんなことを思って拝見しておりました。
その時点ではサイトは全然見ておらず、
内容も知らない状態。
でも犬は好きだし、何よりも本の装丁にやられた!!
本を注文する時も、これらの方が勝ってましたから。

いざ中を見たら‥‥前述の通りです。
ほんとに魔法ですよね、この本。

ただ。
見ていて、力のことが頭をよぎりはしたのですが、
やはりそれでも力の顔を思い出すことまでは
出来ませんでした。
そんなところにまで魔法の力がおよんでくれたら
良かったのですが‥‥
なんてのは贅沢ですね(笑)

今はそれでも。
ルーシー一家に心からありがとうを言いたいです。


=
初めまして。
突然ですが、わたしの思いを聞いてください。

先日、この本が届く少し前に
わたしが自分の命よりも大切にしていたうちのわんこが、
2年という短い生涯に幕を閉じました。

うちの家にはもともと一匹犬を飼っていて、
その子が産んだ4匹のうちの末っ子でした。

ルーシーの産んだ子はみんな女の子。
うちの子たちはみんな男の子でした。
そして、末っ子のヨンコちゃんが
お母さんと暮らすようになったこと‥‥
全てが似ていて私はこの連載にのめりこみました。
私たちと暮らした四男もおっとりした、
ひとなつこい無邪気な無邪気な子でした。

下宿していた私がちょっと実家に帰ってきた日の
晩のことでした。
なぜかぐったりとしてあんまり元気のない感じ。
でも「眠いのかな」と思って
誰もあまり気にはしていませんでした。
しかし翌朝になってもぐったりしていて
あんまり歩こうとしません。
病院に行っても異常はないと言われました。
それでも散歩とご飯はよろこんでたね。
今思えば最後に散歩したのは、私と母でした。

心配に思いながらもすぐ治ることを信じて、
私は仕事のため帰ってきました。
でもその2日後‥‥突然の母からの電話。
仕事着のまま、わたしは泣きじゃくりました。
そして死に目に会えなかったことを心底悔やみました。
実家に帰る電車の中でも泣きました。

死に顔はすごくきれいな、りりしい顔でした。
ちょっとぼけた、
どちらかというと愛嬌のある子だったのに。

それからはほんとに何もする気が起きなくて、
「何でこの子が?」
「わたしの宝物を奪うなんて、
 わたしが何か悪いことしたんだろうか」って、
そればかり考えていました。
命は長さではない、あのこは精一杯生きた、
私たちに色んな大切なものをくれた、
その思い出を忘れないことが
あの子への一番の供養だ、とか
前向きなことも考えたりしたけど‥‥
やっぱり浮かんでくる考えは
「どうして?」
「あんなにいい子だったのに」
「まだ2歳だったのに」っていうことでした。

そんな中で届いたこの本──
ウェブで読んだときも泣いたけど、
やっぱりまた泣きました。
何でかわからないけど‥‥とにかく泣きました。
涙で心を洗っていたのかもしれません。

今でも、あの子のことを考えると泣けてきます。
でも、後悔とか、苦しみとか、
そうゆう負のエネルギーは随分減った気がします。
私が帰ってくるのを待っててくれたんだよね。
それで、安心して逝けたんだよね。
今は本気でそう思います。
きっと、時がたつって
そうゆうことなんだなあって思います。
絶対忘れない。心にいる。
でも、心から笑えるようにもなった。

ありがとう。
わたしを育ててくれた全ての人へ。
そして何より愛するわんこたちへ。
お母さんわんこ、
息子は早く逝っちゃったけどお前は長生きしてね。

長くなって申し訳ありません。
乱文・散文お許しください。
読んでいただければ幸いです。


=
小学生の頃、犬を飼ってました。

ある日、子を身ごもった犬が家にやってきて、
どこの犬かもわからないので追い返したのですが、
なぜか再び家にやってきた。
その犬は、とうとう家で子を産みました。
母親と生まれた4匹の犬の内3匹は、
もらってくれる人がいて、
1匹を、家で飼うことになりました。
生まれたばかりのその犬は、可愛くて、
『南極物語』の影響か、「タロー」と名づけました。
小学生だった僕は、初めての犬で、
とにかくめずらしいのと、生まれたての可愛さで、
学校から帰ると、とにかく遊んだし、
学校行く前もよく遊んでいました。

その「タロー」が、ある日、
学校から帰るといませんでした。
家の前の道路に飛び出し交通事故で、死んだ。
ということでした。
家に帰り、そのことを聞くと、
「タローを轢いたヤツを逮捕してくれ」
と親に言った記憶があります。
その時の困った親の顔も覚えてます。
そして、とにかく僕は、泣きました。
そして、決意しました。

「もう、犬は飼わない」と。

 今回、『Say Hello!』の連載が始まったとき、
「かわいいなぁ」と思いながら、読んでました。
いろんなつらい事がある日々だったので、
毎日、成長が見えたり、甘える姿見ることができて
ちょっと、「つらさ」を忘れることができたんです。
それに、恋人でも、犬でも、
愛するものが寝てる姿を見るって、
安心するものだなぁと思いました。

そして、単行本が発売されると知り、買いました。
大切な人に、プレゼントしたかったし。

本が届く前、
「僕はこの本を2回目に読むのはどんなときだろう」
って思ってました。
一回目は届いたばかりのときに読むだろうけど、
2回目は? そう思ってました。

本が届き、楽しみにしてたシールも入ってて、
嬉しくて、読んでみました。
多くの方、「泣く」って感想を持っていたので、
僕はどうかなって思ってたんです。

ちょうどその日、
映画「いま、会いにゆきます」観て
号泣した日だったのもあったので。

でも、泣きました。
ページをめくってると、
「タロー」のことを思い出したのです。
生まれたての時期だったので、とにかく甘えんぼで、
僕の足にすりすりやってきたこと。
そのとき、くるぶしがくすぐったかったこと。
ちょっと大きくなって、近くの公園で、遊んだこと。
よく見るボールを投げてたら、
くわえて持ってくることをやろうと試みるも、
ボールを追いかけるも持ってくることはなかったこと。
撫でたときの感触。
『Say Hello!』の本の中みたいに、よくぐっすり寝てたこと。

もう20年も前のことだから、
忘れてたことを思い出しました。
タローとの思い出が
つらいことだけではなかったんだと思い出しました。
その頃の家族や友達のことなんかも一緒に思い出しました。

とても温かい気持ちになれました。
泣きながら、「ありがとう」って何度も思いました。

本が届いてから、毎日手にとって読んでます。
僕が考えてた2回目は、すぐにやってきました。

「いろんな愛」がつまってるこの本は、
素敵な魔法をもってました。

この本を、つくってくれて、ありがとう。
本当に本当に、ありがとうございます。


=
昨日、手元に届きました。
思っていたよりずっとずっと、心にひびく本でした。

『Say Hello!』の連載が始まったのは2月始めでしたね。
その頃私は正直言って犬の写真は少しつらかったです‥‥

実は実家で16年飼っていた
柴犬のタロウが足を踏み外して側溝に落ち、
水死してしまったのが1月28日の事でした。
もう老犬で白内障で目もあまり見えず、
耳も遠くなっていました。
夕方の散歩から帰って家に入る前に母がリードを外し、
玄関を開けて振り返ったら
タロウの姿がなかったそうです。
暗くなり始め、見えない目で
母の姿を見失ってしまったのでしょうか。
どこかで迷子になっているのではないかと
雪のちらつく中、母が捜しまわったそうですが
その日はタロウを見つける事はできませんでした。
翌日になり冷たい水の中で横たわっている姿に
気付いたそうです。

母にとっては父なき後唯一の家族とも言える存在でした。
母の後悔とせつなさはそのまま私のものでもありました。

そんな頃『Say Hello!』が始まったのです。
いのちのきらめきがまぶしかったです。
「でもね、生まれて来た喜びの先には
 いのちの別れもあるんだよ‥‥」と
つぶやいていました。少しななめに見ながら。

それが、今回の本で自分の中のわだかまりがなくなりました。
ああ、だから全部が輝いていたんだ!
だからすみずみまで愛があふれていたんだ!!

見終わって少し泣きました。
10ヶ月封印していた気持ちがほどけた感じです。

「いい本ですね。ありがとうございました」。


=
泣きながら、一気に読みました。
涙が止まりませんでした。

寄り添う犬たちをみながら、
以前飼っていた犬の「ひめ」のことを
思い出したからかも知れません。
高校の時に飼い始めて、その後私は海外に留学し、
そのまた旅先で、ある夜ひめが夢に出てきました。
夢の中で母が、
「ひめがいなくなった。」と言っていたので、
なんだか不思議に思い、次の朝母に電話をしました。

そして、ひめが亡くなったことを聞きました。
事故だったのです。
母は言いました。
「きっと最後に会いに行ったんだね。」
それを聞いて、なんだか安心した覚えがあります。
すごく悲しかったけど、
とっても愛されて生きた子だったから。

この本を読んで、その時の感情がよみがえりました。
同時に母や姉のことを思いました。
そして気づきました。
私には大切な人がいるんだと。
あたりまえの中に、幸せはたくさんありますよね。

この本に出会えてありがとう。
心から、そうお伝えしたいです。


=
ほぼにちわ。「Say Hello!」届きました。
一つは私に。そしてもう一つは12月6日誕生日の友人に、
当日着で送るハズが‥‥。
矢も盾もたまらなくなり、
もうエエわ! とさっさと送ってしまいました。
そして、彼女から、
「ネットで見慣れているにもかかわらず、包みを開けて
 本を手にした瞬間、ホントに涙が出ました。
 とってもとっても愛を感じた熱い涙です。
 生きていることがうれしく感じました。ありがとう!」
というメールがきました。
そして、それを見て、
私も心から嬉しくありがたかったです。
ほんと、魔法です。

私に起こったできごとはこうです。
もちろん、ページを追うごとにウルウルしてきて、
もういつ涙があふれてもいい、
という感じで読み進めました。
もう、用事なんかできなかったです。
朝届いて、そのまま、
読み続けることしかできませんでした。
そして、最後のベージ。
イワサキさんの最後のメッセージで...。
もう、ほんとに号泣でした。
あとからあとから、とめどなく涙が。
でも、号泣、としか言いようのない感じでした。
かつて、わたしのそばにいた、
そして、今もこころの片隅にいる、
ブチコちゃんのことが思い出されて、
ありがとうとごめんなさいの気持ちで
いっぱいになってしまったのでした。
あの時、実家が引っ越しを余儀なくされて、
それに巻き込まれるような形で、
ものすごく頭の良かった彼女は、
自ら息を引き取ったとしか思えないようなタイミングで、
天国に行きました。
悲しくて申し訳なくて、本当につらかったです。
でも、一番言いたいのは
やっぱり、「ありがとう!」てことなんですよね。

もう何年もまえの出来事で、
普通に楽しく過ごす毎日の中に、
ちょっと残したままの感情が、
この本のおかげで、
なんだか浄化されたみたいな感じでした。
思い出せて、そして彼女のことを
心から思えて良かったです。
こんな機会を与えて下さって感謝です。
ああ、ほんとに、ダーリンが言うように、
言いたいことを言いたいように書けません。
でもキーボードたたきながら泣いているのは、事実です。
ほんとうに素敵な本をありがとうございます。
これはもう、犬の本じゃないです。やっぱり魔法です。


=
イワサキさま
ほぼ日のみなさま

先日『Say Hello!』が手元に届きました。
仕事が忙しく、なかなか手にとることができず
さらに打ち合わせが最悪の結果となって
落ち込んでいたとき、
ふっとこの本のことを思い出しました。
遅ればせながらダンボールを開け
ページを一枚づつめくっていくと
「あっ、こんなときもあった」
「あっ、こんなこともあった」

と、ほぼ日でみた写真なのに
自分の家族の昔の写真を見るように
懐かしい気持ちでいっぱいになりました。
やっぱり泣いてしまいました。

ルーシーや子供たちの表情に
ウチにいたアンディ・キュン
(ミニチュアダックス)の顔が重なりました。
飼い主以外の人でも豊かな表情を感じとれる子は
本当に愛されて育った子だと思います。
ニコ、サンコ、ヨンコ、
みんな本当に愛情いっぱいもらって大きくなったんですね。
キュンは数年前に我が家で最初に介護が必要になり
眠るように息を引き取りました。
仕事に行っていたので
最期を看取ってあげることはできませんでしたが
たくさんの思い出をもって旅立っていったと思います。
この本を手にするひとたちが
ルーシーパパのように
たくさんの素敵な瞬間に出会えるとうれしいですね。
私もお裾分けを戴きました。
やさしい、ぽっとあったかくなる気持ちを戴きました。

ありがとうございました。

=
ほぼ日は。
今日、『Say Hello!』届きました。
思った以上にちっちゃな本ですね。
バックに余裕があれば毎日、持ち歩くつもりです。

じつをいうと先日、
18年間かわいがっていた犬が亡くなりました。
人生の半分以上を一緒にいたから、
まるで姉妹のようでした。

生きているのだから寿命があるのはわかっていたけど
いつまでも一緒にいられるように感じていたから
心に穴があいたような気持ちです。

今も家の中にいるようで
ひょこっと顔を出して来るようで
死んだなんてまだ、信じられません。

でも、現実にはもうすでに家の中にはいなくて
火葬して埋葬されるために
旅立っていきました。

だから、この本を読みすすめていくうちに
飼っていた犬と過ごした日々がよみがえって
知らずに涙があふれてきました。

そして思ったことは
いつまでも悲しんでいてはいけないということ。
彼女と過ごした日々は
思い出として心に刻まれているのだから。
残された私たちは笑って生活することが
犬にとっての供養となるのだからと
考えられるようになりました。

そしてこの本がこういうタイミングで届いたことは
天国からのメッセージではないかと思えてなりません。

最後になんだか、
わけのわからない文章になって申し訳ありません。
ただ、このハローによって
ちょっぴり癒されたということを報告したかったので。

それでは寒さが厳しくなってきた様ですが
風邪などひかれないようお気をつけ下さいませ。


みなさま、ありがとうございました。
じつは『Say Hello!』の編集を担当したぼくらも
それぞれ、犬と暮らした経験をもっています。
わたくし事ですが、今回のメール特集も
泣けて泣けてしかたがありませんでした。
うちのあのこは、げんきかなあ。

ではまた次回。
みなさまからのおたより、待ってます!

2004-12-13-MON
       
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