GIRL
テレビ番組「ザ・スクープ」を
スクープする。

第11回 ロシアとイランにおける日々
 (鳥越俊太郎さんインタビュー・その2)


放送日はあさってだ!
1月29日(土)の23:30からの
テレビ朝日系「ザ・スクープ」です。
そんななか、こちらでは鳥越俊太郎さんへの
インタビューのつづきをお送りします。
鳥越さんの記者としての総合的な視点も
今回はうかがってます。どうぞっ。



----読者の反応は?

反応は非常に早いよね。
昨日(2000年1月14日)も労働力人口の定義について
早稲田の先生がメールをくださったのですが、
ああいうのはぼくも嬉しいんです。
労働力人口とひとくちに言ってもどう定義するか、
そのあたり専門家はきちっと見てくれているんだな
というのがよくわかって、
ぼくは非常に勉強になりました。
「ほぼ日」ではいろんな反応があって、
ふつう雑誌だとすぐぱっぱぱっぱ来ませんから、
そのあたりはおもしろいですね。

書き始めたころと書き方が変わったかといえば、
基本的に書き方は変わっていないと思います。
最初に糸井さんがぼくに提案した
「毎日いろんなニュースがたくさんあるけど、
 鳥越さんがこれはと思う丸印つけるニュースは何か」
そういうコンセプトを
ぼくはおもしろいと思っていました。
1面トップだ、社会面トップだ、
テレビでがんがんやってる大ニュース、
などなど様々なニュースが流れているけれども、
そういうニュースはある意味では
みんな目にしたり耳にしたりしてる。
だけどそういう大きなニュースの陰で
実は見落としそうな、でも非常に大事な、
そういうのもぼくはちゃんと、
「こんなニュースもありまっせ」
「これは見といたほうがいいですよ」
と言う具合にできるだけ拾いたいなあ、
そう思ってやり始めたんですね。
新聞記事がおもしろくない日も
たまにはあるんだけど、でも大体は何かあるんです。
ぼくは「3分間で今日のニュースを知る」のなかで
何回か強調したんだけど、人の言葉とかね、
生の言葉とか喋っている言葉とか数字のデータ、
できるだけ事実に近いものを掘り起こしたい。
解釈はもちろん自分の
「俺はこう思う」というのは入れたいんだけど、
その前に事実やデータや人の言葉の中で
あんまり大きなニュースにはなっていないけれど、
よく考えてみるとこれって非常におもしろいじゃない?
そういうのをやりたい。
それがけっこうはまってきたんですね(笑)。
だからね、ぼく、やめられなくなってきたんですよ。

----今回の取材は「ザ・スクープ」内の
  人物解体新書という一連のシリーズですが、
  どういう視点でやられているのですか?


今まであまりああいうかたちで
人間に焦点あわせてやってきてなかったから
ひとつの試みとして新しくはじめたんですね。
基本的にはうちの番組は
検証ドキュメンタリーと銘打っています。
日々流れていくニュースがあるのですが、
ちゃんと時間が経ってもう一回検証してみると
伝えられた部分とずいぶん違うところがある。
じゃあ、これがほんとだよ、
というところをきちっと検証して
ほんとのところはどうなんだというところを
発掘していきたい、それがひとつ。
それから、表に出てこない部分があるわけね。
ニュースにならないまま
闇から闇に葬られていくニュースがある。
それもわれわれの番組の
コンセプトのひとつとして発掘していきたい。
伝えられても全然違うかたちで
伝えられているからみんながよくわかってない、
だけど実はこんなことがある、
そういう事実を出してみたいですね。
一般に知られていない事実というのを、
取材を通じてどれだけ取り出すか、
それが番組の使命というか目的なわけですね。
それは事件であれ政治であれ経済であれ、
ニュースはいろんな分野がありますけれど、
分野はぼくたちはそういうものは何にも、
政治でもスポーツでも何でもいいと思っています。
基本的には時代をちゃんと映すものをとらえていきたい。
人物解体新書も同じことです。人物を通して時代を見る
と言う意味では。


----今までの記者やキャスターをされてきたなかで
  忘れられない体験は何ですか


たくさんあって、それと過去のことは忘れていくのね。
これはある程度こういう仕事をしていると
しょうがないのかもしれないんだけど、
やっぱり常に今というか
これから起きてくることとか
ちょっと前のこととか
新しいものにじぶんの興味の対象が
毎日毎日移り変わっていくんですね。
もちろん長いレンジで考えていることもありますけど、
やっぱり新しく出てくるニュースを考えているわけだ。
そうするとどうしても
どんどんどんどん忘れていくんですね。
おそらく忘れないと新しいことが
入らないんじゃないかなと思うんですけど、
それと老人になってきた、
年をとってきたということで
記憶力が落ちてきたというのがあるんです。
ですから、「どれが?」と言われると
つらいのですが、もちろん大きな流れとしては
ぼくはテレビを始めた当初ロシアにずっと取材に行ってまして、
一連の動きを見ていたんですね。
91年の12月の25日だったかなあ?
モスクワの赤の広場でクレムリンの丸い屋根のうえに
鎌とハンマーの赤い旗が立っていて、
それがスルスルスルーっと降りてきて、
代わりにロシアの三色旗があがっていくシーンを
ぼくはそのときに見たんですけども、
そのときやっぱりね、
「俺は今歴史がすごい大きな音をたてて
 動いているのを目撃しているなあ」
というか、歴史に立ち会っているという
そういうことを非常に強く自分に言い聞かせましたね。

そういうのは他にももちろん何べんもあるんですよ、
あるんだけど、やっぱり、1917年のロシア革命以来、
地球上に社会主義という一つの実験がはじまって、
どういう社会のシステムが人間を
一番幸せにできるのか、といういろんな実験と競争が
おこなわれて、その社会主義というのは
資本主義の次に来るあたらしい時代であって、
それがいちばん有効なシステムだというふうに
何億人かのひとたちが
地球上で一時は思ったことがある、
そういうシステムが、
目の前で音をたてて壊れていくさまを目撃したわけですね。
1960年に安保闘争というのがあって、
そのときぼくは大学の3年生で京都でデモに行ってた。
ノンポリではありましたけど、
漠然と歴史っていうのはひとつひとつ
生産力の発展に伴ってシステムが代わっていくと、
封建時代があり、近代市民社会があって、
その次にはやはり社会主義が来るんじゃないか、
そういう漠然とした思いがあったわけね。
そうした理論はまだ有効ではあるとは思うんでけど、
現実に出現した社会主義の社会というのは
うまくいかなかった、これはまちがいないんです。
ぼくはロシアに取材で何べんも行ったので、
こんなやり方では絶対だめだということを
嫌というほど見てきました。
いかにソ連式の社会主義が
人々を幸せにするどころか
不幸を生んでいるかということを
いやというほど見てきたから、それは当然だろうと。
しかし、資本主義的な社会の仕組みというのが
第1次大戦というのを生みだして、
様々な不幸を生み出して、
それを乗り越える形で社会主義が出たという、
それまでのぼくらの理解からするとね、
ソ連の崩壊にはやっぱりショックを受けましたよ。
それは一番大きかったかなあ。

それともうひとつ大きいのはイランです。
イスラム革命が1979年に行われて、
ぼくが行ったのは82年ぐらいですけど、
ホメイニ革命の直後ですね。
イランではイスラムの教えが非常に厳格に
国民の生活に当てはめられて国づくりが行われてきた、
そこにぼくは1年半いました。
イスラム教という宗教に直に触れたという、
これも実は意外にショックが大きかったね。
ぼくらは基本的には仏教徒なんでしょうけれども、
ほとんど仏教の影響下にはないですよね。
あとはクリスマスとかいろいろなキリスト教の影響ですか、
まあ、無宗教に近いんでしょうけれども。
でも何となくキリスト教はわかるよね。
仏教も多少はわかるよね。
ほんとにわかっているかというと
どうかわからないけれど、
だけど不合理とは思わないよね、
イスラム教はこれとは全然違うんです。
自分で身を持って体験しましたからね。
ぼくは当時長髪だったんです。
それで5回くらいぼくはイスラム革命防衛隊、
警察みたいなものですが、つかまったことがあるんです。

何でかというと、
イランでは女性の場合は外出をして
不特定多数の男性の目に触れる時には
きちんと自分の体を覆わなければいけない。
つまり髪をきちっと見えないようにする、
体の曲線は覆わなければいけない、
法律では決められていないんだけど、
イスラムの戒律なわけですよね。
ぼくは長髪で、車なんか乗ってると
後ろから見ると女性に見られる。普通女性は
へジャブっていうスカーフで覆ってるんですね。
ぼくはだからけっこうチェックされたんです。
そういうのは日本人から見るとばかばかしいと、
ヨーロッパやアメリカも日本も含めて
先進国から見ると何てばかなことを言うんだ、
要するにイスラムというのは
野蛮な遅れた宗教だなあというように
思いがちなんですけど、
ぼくはやっぱり1年半いてね、そういう
遅れたとか遅れてないとかいう話じゃないなと。
宗教というのは歴史的背景だとか
人間の持っている本性への
それなりの洞察の結果として出てくるんです。
言われてみてぼくは思ったんですけども、
髪の毛というのは、何でこんなに
美容師でもカリスマ美容師だとか言って
大騒ぎになったり、ヘアデザイナーというのが
もてはやされるのかといったら、
やはり髪の毛は魅力なんですよ。
つまり異性ををチャームする
ひとつの武器なんですよね。

女性の体の曲線も男性にとっては
刺激であることは間違いないんですよ。
で、イスラムがそういうものが行きすぎると
神の教えを忘れることになってしまうから
それはちゃんと覆いましょう、と。
但しあなたの夫や恋人になら、
自分の家のなかにいるひとにはいい。
家のなかでは見せていいんですよ。
不特定多数の街のなかではいかんということです。
それも理論的には問題がないんですよ。
論理性はちゃんとあるわけ。
あなたはなんで不特定多数の男性を
誘惑するような格好して外出するわけ?といってるの。
ぼくなんか昔女房にね、
「おれが帰ってきたときには
 いちばんきれいにしておいてくれ」と(笑)。
髪にクリップ巻きつけたり
寝巻き姿で俺が仕事を終えて帰ってきたときに
そんなので出てきてくれても困ると(笑)。 
ぼくは君と結婚したんだから、
ぼくだって君の前では
君を不快にするようなことをしたくない。
だからあなたもどっかよそに出かけたときに
野菜屋のお兄ちゃんとか魚屋のお兄ちゃんに
じぶんの一番きれいなところを見せようとするのは
おかしいんじゃないかと(笑)。
今から考えるとひどいこと言ってたのね。
もちろん今は言いませんよ(笑)。

イランから帰ってきた当初、
そんなふうに言ったことがあるんだけど、
まあイスラムのひとたちが言ってることって
そういうことなんですよ、簡単に言えばね。
そんなにばかばかしい話じゃない。
お酒とか音楽とかダンスもだめなんです。
これもなんでかというと
お酒とかダンスが
結局人間をおぼれさせてしまって、
イスラムの教えを忘れさせてしまうと、
こういってるわけね。
これはもちろん賛成できませんよ。
大賛成とは言わない。
でも、めちゃくちゃな理屈ではないでしょ?
人間の持っている本質とかそういうのを
それなりに考えたうえでの話ですよね。
イスラム教はそういう意味で基本的にはね、
人間の持ってる弱さとか欲望とか、
そういうものをちゃんと踏まえたうえで
生まれていますよね? 
そのうえでここのところは
こうしたほうがいいんじゃないの?とか、言ってるわけ。
そうして見ると、イスラムの国を見たことによって
「そうなんだ、人間ってこんなところがあるんだ」
と、一つの理解に達しましたのでね、
やっぱりそれは大きかったんですね。

(つづく)

2000-01-27-THU

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