GIRL
テレビ番組「ザ・スクープ」を
スクープする。

第12回 若いやつの素振り

ついに明日だ!
(29日(土)23:30から
 テレビ朝日系列「ザ・スクープ」)
 
今回は佳境で、テレビ制作会社の
ディレクターの根岸さんと
darlingの対談をお送りしてみます。
すごく長いけど刺激的だよっ。どうぞ。
(明日まででこのコーナー終わりだから、
 分けて掲載できないのです、すみません)




***ここにイメージサーバの 
   「ざ・すくーぷ」の
    ngs01.jpgを入れてください。
糸井 今回のテレコムへのインタビュー
(本コーナーの第1〜7回まで)を読んで
おもしろかったのは、
テレビのプロダクションが
わかったっていうことかなあ。
あのページって結局のところ
番組のことを言ってるんじゃなくて、
おれをメディアにして、
「テレビの番組っていうのは何?」
ということをやってるんだよ。
それは面と向かって話していると
しゃべんないところなんだよ。
みんなきちんと番組のことを
しゃべってくれたんだけど、
テレビのなかのひとたちが
メディア論を語るのって、
あんまりぼくはきくチャンスがなかったから、
まあぜんぶがわかるはずもないですけど
非常におもしろかった。
根岸 こちらとしては非常にこわいですね。
糸井 それが見えてくるっていうのは、
テレコムのかたたちが裸になってくれてるからだよね。
正直にしゃべってくれているんだもん。
もちろんあとで発表するだろうとは思っていても、
それでもちゃんと本気でしゃべってくれている。
それって世の中のひとは、
見る機会がないと思うんだよ。
ぼくも制作スタッフに会って
話しあうことはあるけど、
それはこれから上手にどうやるかって
いうことになっちゃうのよ。
もう企画がはじまっているから。
自分がこう考えていて・・・と動機と重ねあわせて
「自分をかたりながら番組を語る」スタイルで
メディアを語るような場所は、ないからね。
根岸 まあほんとにそれこそべたな話ですからね。
最近、会社のなかのいろいろなひとと、
例えば今まではつきあいがなかったひととかとも
しゃべる機会があるのですが、
社内に出入りしている100人のうち、
誰つまかえてもそういう話ができるんです。
糸井 昔からそういう会社なの?
根岸 昔はもっとそうだったんじゃないかなあ。
糸井 ぜんぶがああじゃないよね。
インテリの会社なのかな?
それはテレビの一部分のすがたにしか
すぎないと思う。例えば芸人さんを一杯雇って
「どうしたどうした」
ってやったって、打ち合わせとしては
表面的になるけど、自分の動機とか
お客さんにとってのこの番組の意味とかを
絶えずはかっているひとがいるはずなんですよね。
そういうのがあらためて見えてきたので、
あれは非常におもしろかったんです。
こういう話って、現場現場で
がんがんやっているひとにとってみたら、
そんなこと言ってるあいだに
企画一本書けよってなるじゃない?
根岸 ねぼけてるんじゃねえよっていう話にね。
あのインタビューのときも企画を書きながら、
仕事しながらやってたわけで。
糸井 企画そのものっていうのは
単独に空中に浮いているのを
拾ってくるんじゃなくて、
自分と他人との関係で
現れてくるものだと思うから、
その意味ではあらためて
ああいう話っていうのはほんとは大事だよって。
テレビがそういうところで、
仕事をやっているひとの持てるメディアとしても
改めて考えられるようになってきている。
そこのところがぼくはおもしろいと思う。
例えばの話、そんなにぼんやりした話は
言ってられないからね。

もともと長嶋さんが
ガロの番組をつくるって来たときも、
(*雑誌「ガロ」に関する特集。NHKで放送された。
 長嶋氏が前にインタビューで語ってくれたが、
 「ガロ」のカウンターカルチャーとしての
 存在や運命を、掲載内容の変遷から探った番組。
 長嶋氏はディレクターだった)
はっきりとは覚えていないけど、
「ああいう番組をやっていいんだ」と思ったの。
ただ、あのときぼくが断ったのは単純に、
ガロに関わった人間として
ぼくを出すっていうのは、 卑怯だと思ったんです。
つまり、ガロのメインの潮流って
いうのはぼくじゃないんです。

ぼくはそんなに関わっていなくて、
ぼくは川で言うと沿岸を歩いてた人間なんです。
それなのにぼくはそこで語ってしまったら
目立つじゃないですか。
だから「俺にさせちゃだめだよ」と思って。
そういうところ、ぼくは割に
まじめに考えてたんです。
長嶋さんにとっては
そう見えなかったのかもしれないけど、
そこのところの説明がぼくは
当時できなかったんでしょうね。
南伸坊や古川益三、安部慎一が
「ガロの漫画家」でしたからね。
古川益三は漫画家として断念して
日本一の漫画屋さんになったわけじゃないですか。
そういう流れのほうが大きいわけで、
そこにぼくらはつまみ食いのように
入っているだけなんで、
だから何て言うのかなあ、
ぼくらは花火の日に桟敷つくって
川沿いで一日いたようなひとなんで、
ほんとは語ってしまってはだめなんですよ。

あのときにはそういう番組をつくって、
そういう番組が成り立つし
それを売っていけるという
気概があったんだろうから、
それが今でも続いているんなら、
そういうのがこれからもっと欲せられると思う。
だけど、テレビというメディアとしては、
そういう「見ながらじっと考える」ような
ものは外れたものだとぼくは思うんですよ。
テレビはつけっぱなしにして
本気に見ないのが主流だと思う。
だけどそういう考えかたが出てきたっていうことは、
ぼくはテレビが昔に戻ったんじゃなくて、
媒体として自由になったんだなと考えてるんですよね。
根岸 確かに長嶋というひとがちょっと変わった
立ち位置のひとだとは思いますよ。
民放のゴールデンの枠でやる
ひとじゃないことは確かですよね。
糸井 それで会社が食えるっていうのが
信じられないなあ。100人食わせて、
機材動かしてひとにお金をはらって、
ものすごく大きいことですよね。
子供が大学行きますって
根岸さん言われたら
そのままじゃいけないですよね。
だからやっぱり右肩上がりになってかないと
不安になるわけですよね。
根岸 でも年齢でいうと以上のひとって少ないですよ。
制作会社は。20〜30代で、一番多いのが20代。
糸井 「学校に近いけど会社」っていうジャンルは、
いわゆる吉本さんの言う天才領域ですよね、
(*吉本氏によると、天才領域とは
  雑誌媒体的でサービス業的な、
  発想だけで勝負するような分野のこと)
そこはあるんですよ。
根岸さんたちへのインタビューって、
ほぼ日でもけっこう読まれてるんだよ。
根岸 ただ、私たちへのインタビューって、
あれどこがおもしろいんだろう?わかんないな。
私たちにとってはおもしろい話だけど、
あんなものはひとが読んで
どこがおもしろいんだろう?
私たちは何とかおもしろい話を
しなくちゃなあと、自分の話をしながらも
みんなが楽しめるように
何とかやってみようとは思ってましたけど。
糸井 そんなレベルのおもしろさじゃなくて
昔からよく言うんだけど、
ひとが夢中になってることっていうのは
絶対におもしろいんだよ。まずは。
夢中になってるひとがいる、
というだけでも嬉しいんだよ。
それに自分に縁がないなと思っていると
見なくてすんじゃうんだけど、
でもほぼ日に載ってると読んでるひとも
縁があるような気がするんですよ。
あれ雑誌のページに出てたら誰も読まないと思う。
本人も乗ってしゃべらないと思う。
おもしろいなあと思うのはもういっこあって、
ああ、このひとたちは
マイクつきつけたことは何度もあっても、
つきつけられたことはないんじゃないか、
逆にうぶなんじゃないかと思う。
根岸 うぶですよー。
取材されるのはほんとは嫌だし。
長嶋は
「おれは全然いやじゃないよ」
って言うんだけど
言いたいことが山ほどあるんでしょうけど、
だけど私なんかは
「お前なんて駆け出し以下だ」
って言われてますから、
話すことなんか自分のなかに一個もないんです。
ひとに話して役にたつようなものが。
自分のなかに何にもないから取材してるのであって。

----糸井さんは11月から見て、
  根岸さんをどういうひとと思いました?
糸井 どういうひとというよりは、
話が通じるかどうかだけがポイントだと
思うんですよ、ぼくにとっては。
ぼくがこういう意図で言ってるんだけど、
わかんないなりに「こういうことね」っていう
引き出しが、みんなそれぞれあるんですよ。
そこでぜんぜん違う引き出しに
しまおうとするひとがいると、
知識があっても経験があっても
「うわーかなわん」って思っちゃうわけ。
ものすごく雑に言うと、いろいろしゃべったのに
「やっぱ愛が大事なんですね」
って言われたら、ああ!その引き出しに?!(笑)
みたいになる。あら?ってなるなじゃない?
それは一番困るんですよ。

取材されるときに。自分に近いひとと
どこまでも掘り進めていくのもあって、
じぶんよりも豊かな見識のあるひとだと
それをしてもらえて助かるわけだよね。
若いひとの場合には、
「わかんない引き出し」
にしまっておいてくれると
何とかなるんだろうなあ。
そんな風なことかなあ、と思って
「あとで見ようファイル」
に入れておいてくれると、
ああよかった、って思う。
そのファイルを入れてくれるフォルダは大事なの。
根岸さんがどういうひとで何がわかっていて
何がわかっていないかっていうのは、
ぼくにはわかんないわけで、
でも、そういうフォルダを
つくってくれたなというのが見ててわかるから、
じゃあ全部みせておけって思って。
前NHKが来てくれたときに
村山さんがやってくれたのは、
どんどんどんどんフォルダに貯めて、
どうでもいいように思えるようなところまでも
大事なのかもしれないし。

俺はしょっちゅう嘘を言ってる、
それはばれてもいいんだけど、
あっちではこう言ってるけど
こっちではこう言ってるっていうので、
ばれてもいいような嘘しかついてないから。
そこの自信があるから、
すぐ住まわせちゃうわけ。
そこで「ああ、愛ですね」っていうひとが
うちに来て住んじゃうと困るわけ。
「ああこのひと全然愛じゃないなあ」
って思われちゃうでしょ?そうなると
とりかえしのつかないことになるんですよ。
そういうのが基準になっているわけで、
根岸さんが何できるひとだとかそういうのはなくて
それでオッケーなんですよ。
それがいちばん大事なポイントかな。
読者でもそう。
「ああ、そういうひともいるんだろうな」
ってところに入ってくるひともいるんだけど、
「ああ、わかんないんだけど
 何か言いたいんだろうな」
っていうところで言ってくれるひとも
いるじゃないですか。
そういうときにありがたいなあと思うんですよ。
根岸 まあ今回はファイルをつくりすぎたってことも
あると思うんですけどね(笑)。
すごく悩んじゃって、
長嶋みたいなところから見ると
おまえなんでそんなところで
うろうろしてるんだってことは
あるんでしょうけど。
最初に来たときに「あ、空気ね」って
「未来潮流」の空気みたいにねって
言われたときに
(未来潮流でほぼ日がとりあげられたときには、
 制作してくれたかたは毎日空気のように
 ビデオカメラをまわしていたのでした)
「空気ってなんだろう?」ってことをずるずる考えてて、
とにかく行くしかないんだろうなあ、って。
糸井 カメラのまえで裸になるって
むつかしいじゃないですか。
自分でインタビューされたからわかったでしょ?
根岸 うん、今もいや。
いやっていうとあれだけど、つらさはわかりますよ。
糸井 自分が何でもないものだとかいうのが
ばれちゃうから
カメラのまえに立つのは怖いんだと思う。
そうなったっときに見えてくる何かがあると
ぼくは逆に思っているから、
このやりかたがいいんですよ。
長嶋さんの言ってる衝突っていうのは
最短距離ですよね。
衝突の火花っていうのはインパクトはあるし、
故障したら原因はわかるし、
だからこれはぼくは
ひとつの方法としてはあると思うんだけど、
最短距離だと思うんですよ。

だからぼくは広告の仕事をするときに
スポンサーのひとと向かいあってしゃべるのは
おかしいと思うんですよ。
おんなじ目的があるのに、何でぼくらと、
「いいですね」っていうひとが向かいあってるのか。
並列に並んで・・・だって味方でしょ?
って言いたいんですよ。
その姿勢でほぼ日もやってるんですよ。
たとえばぼくは大平首相ってよく言うんですけど、
一緒の場所にいるっていうときに
何かがわかってくるとすると、
相手がどれだけ裸になってくれるかどうかが
大事なんですよ。それでそのまま出して、
判断は読者にお願いしようっていう立場で
やれるようになったのが、インターネットだと思う。
「ほぼ日」をゴールデンで流してますってなったら
もうできないですよね。
誰も見てないからという気持ちが
ひとつにはあって、なおかつみんなが見ている
晴れがましさと安心感が両方ある。
テレビにはそれは非常にむつかしいと思う。
根岸 私は何ヶ月か前のことだから、
一番最初に糸井さんに会ったときのこととかは
もう覚えてないんです。
で、それから来るようになって、
ずっとさぐってましたね。
テレビ的には衝突がおもしろいとか、
メディアの今とかこれからどうなっていくのかとか
そういう特集をしたほうが報道としてはおもしろいけど、
わたしはほんとにぺーぺーのディレクターなんですけど、
うちの会社はやらせてくれる部分もありますね。
長嶋と鈴木(プロデューサー)は
ほんとに全面的にやらせてくれたから。
糸井 何かできるよっていうひととぶつかりあったって
そんなにおもしろくないわけですよ。

鳥越さんのインタビューのときは・・・
鳥越さんはただたゆたううちに終わっちゃうのは
したくないひとだけど、それからやりとりが、
ああここのところが区切りだなっていうのが
わかっているひとだと思う。
根岸 糸井さんと鳥越さんが
一番上の層のところでしゃべって
活発な議論がおこなわれていてもいいんだけど、
何かそうじゃないところで、
心のところもありそうだというのも感じてたから、
それから水野っていうカメラマンも
そういう心の部分に触れたい性質なんです。
対談の途中で糸井さんが
例えば「水子」って言ったときに
100くらいの意味をこめて言ってるんだけど、
そこをインタビューで掬ってはくれないという。
はい、それじゃあ、ってなってしまうと
悲しい気持ちになる。
だけどそれは鳥越さんたちの立場に立ってみると、
15分の報道番組でそりゃあそんなところに
深く感じ入って話したところで編集どうするの?
っていう話になるから・・・。
対談が終わって
「おもしろかったじゃない」
とも言われたけど、私としては
どんより暗くなってたんですよ。
そしたら水野(カメラマン)が
「おもしろくなかったよね」
て言ったんです。あるひとにとっては
おもしろい対談だとは思いますが、
わたしたちにとっては
どうしてもおもしろくなかった。
糸井 もっと青くしたかったんだよね、はやいはなしがね。
根岸 そうなんです。私もADもカメラマンも、
現場の人間なんですよ。
カメラでもこのサイズで撮るということにもぜんぶ
思いがあってやってるんですよね。
そうすると、対談でもすっきりした話というのは
ものたりなかったんですよ、もっとこう・・・
糸井 それじゃみんな言うでしょう、みたいになるよね。
根岸 それって別にこの対談じゃなくてもっていうか、
ひとが違っても出る話じゃないか、という。
糸井 インターネット業界とテレビ業界
みたいな話になるからね。
根岸 だから青いんだけどもうちょっと質の違う、もっと
心をえぐられる話をききたいというのがあって、
それは私がまだぺーぺーだということと、ADも若い。
カメラマンもあのひとバイク事故で半年か
1年くらい病院で寝たきりだったんですよ。
骨を折っちゃって。
そこで寝ながらいろいろ考えたんじゃないですか?
病院のベッドにいる俺がきいても
いい話だと思えるくらいの
話をききたいって
どっか思ってるんじゃないかなあ。
糸井 それはほぼ日を見てくれればいいんだよね、
はやい話が。
根岸 読みましたよー。最初、
ぜんぶ読まなきゃいけないんだって
いうふうにやってたから
無駄な時間もあったと思うんだけど、
長嶋なんかぜんぜん読んでいないわけだから、
読まなくてもおもしろい話ができるし、
実はそのほうが建設的な話に
なるのかもしれないけど。
糸井 今回は俺は読んだ読まないというのの差が
何かあると思ってるんですよ。
映画よまないで映画評論をやるっていうのは簡単で
はやい話がそこに落ちればいいんだろっていうのを
検討つけるわけだから。
だけどインターネットについては
俺、昨日また青く書いちゃったけどね
あれはね、ほんとなんだよ。
昨日の夜中の3時くらいに女性の記者が
「今まで当然のように報道をしてきたり
原稿を書いたりしてきたけれど、
そうじゃないんだっていうのがわかった、
っていうメールで。
直に気持ちがフィットしちゃったんだね。
こういうひとがけっこういるんだ。
新聞とかならここまで見れば
こういう状況があるぞっていうのは
わかるんです。チャートに書けるんですよ。
でもネットの世界にはチャートに書けないものが
混じりこむんですよ。答案用紙に書けない。
あまりにも直接民主政治的な
出会いかたをしている政治家みたいな。
わかってなくてもこのうなずきはいいな、とか。
答案用紙をつくれないタイプの
問いと答えが毎日やってくる。
見出しをつけようがないっていう。
根岸 それをやれるほぼ日が
うらやましくてしょうがないって
今回やりながらそう思ってた。
糸井 ぼくが仮にテレビ屋になっていたとしたら
根岸さんとおんなじだと思う。
決まった時間帯でこういうものをつくるって
いうのは、条件だから、
8時につくるのと10時半につくるのとは
ずいぶん違うじゃないですか。
それはメディアの特性だから、
絶対考えるじゃないですか。
そこで外さない方法というのを
確保すると思うんですよ。

何もないときは湯気たてとけって
ぼくはよく言うんですけど。
湯気立てておくだけでいいんですよ。
特殊な技法のようなものが自分にあれば
それをつかえるし、そうじゃなくて
俺じゃなければできないものがあれば、
俺がいいっていうものを出せればいい、とか。
テレビでも何でもそうだよね。
今は自社媒体だから、いつでもいえるわけだから。
ああ違ってたって言えるわけだから。
根岸 「あれは湯気だと思っていたけど違っていた」
とも言えるわけだから。
糸井 そんな経験はやっぱり想像だけでは
わかんないと思う。ちゃんと定刻で発車したり
停車してたりしている仕事してると、
臨時ニュースといか台風の中継のアナウンサーが
すごくおもしろいでしょ?
「今!今!」
なんて言ってさ、
あれがいちばん自由な報道の姿勢なんじゃない?
立っているとゆらゆらしたり、
あれが姿勢だと思うんだよ。
とめて考えてとめて考えるができるうちは、
テレビの特性としてしょうがないから
やってるんだけど、
例えばドラマでアップで写していながら
役者があわてて着替えて
次の場面に写るなんてあってもいいね。
昔はそうだったんだよ。
昔はそれを全部生でやってたから。
金庫のなかの宝石がないっていう場面なのに、
「あった」なんていうのも(笑)。
根岸 それを楽しめるというか、
もうそれじゃないと刺激がないっていうか。
糸井 誰かが答えをしっていることを
繰り返しやるっていうのが
つまらなくすると思う。
笑いっていうのも、
反射神経のものがあるから、
ドラマでいうと筋立てに
どんでんがえしが欲しいとか、
予想どおりじゃないっていうのが
どんどんどんどん資源として
開発されていくんで、
化石燃料がなくなって原子力になるとか。

長嶋さんのように見ないで
やっているひとにつきあうと、
その文脈につれてっていかれるからさあ。
大勢のひとたちがその文脈で生きているうちは
そこにつきあう必要があるんだと思う。
その文脈にあわせないと
きちがいになっちゃうから、
ネクタイをしているから
入り口は突破できるっていう。
根岸 わたしたちはまだネクタイのむすびかたを
間違えていたりするところがあるんです。
だけどこう、
ネクタイをする前のことはあるわけで。
糸井 それは赤ちゃんにもあるわけですよね、
そこのところを大事にしたいんですよ。
根岸 いいんですよね?
糸井さんもそこのところを
大事にしていなかったらどうしよう、
そうしたら私だけの早とちりで
ほんとにだめなことだと思ったんだけど、
糸井さんのそばをうろちょろしてると、
なんかこのひともそんなところがあるみたい、
どうも赤ちゃんのところを
大事にしようとしているみたいだとか。
 
糸井 はいはいしかできない赤ちゃんを
野放しにしていたら
道に出てひかれちゃうじゃない。
そういう意味では「そこだめ」っていうのは
見えないように大人が決めてやっていかないと
死んでしまうんだろうね。
本当に野放しっていうのはできなくて、
限界があるんですよね。
その妥協点がいろいろあるんだろうけど、
今ここでは放送業界とか言論界よりも
できるように思うんですよ。
今鳥越さんが「あのくさ、こればい!」で
やっているシリーズって
新聞上ではできないんですよね。
で、あれを素早く見抜いたというのが
よくわかるのは方言使ったから。
新聞ではできないというのを生かしている。
根岸 あれは計算とどっちでしょうね。
糸井 勘がはたらいたんだと思う。
ここでしかできない隣のひとと
話しているようなっていう。
根岸 鳥越さんのなかにも
そういうのがあったというのが
すごくおもしろかった。
私がした工夫っていうのが一個だけあるんです。
糸井さんにお会いしていて、
メディア論みたいなのをしてもいいんだけど、
それよりも生の俺を見るのが
一番いいんだみたいなのを言ってたから、
生の鳥越さんをぶつけちゃうのが
いいんだろうと思って
インタビューする前の日に、会う前の鳥越さんも
撮影しておくべきだと思ったんですよ。
いつものザ・スクープの特集では
そういうことしてないんですよ。
でも、対談に臨む鳥越さんというのも
ドキュメントしておきたいと思って、
それは何かいいこと思いついたでしょ?
案の定鳥越さんはどうもインターネットとかに
興味がなさそうで、そう言っているコメントを
最初におさえておこうと思ったんですよ。
糸井さんとしゃべっているうちに
何か変わっていくんじゃないかなという
感じだけはあったから。
それだけが出てれば15分としては
いいんじゃないかなと思ったんですよね。
糸井 そこが君の好きな青い部分のことだけど、
俺が思ってるのは、青い部分の原動力になって
どうずるく生きてくかなって。
つまり鷹と鳩を兼ねてないと
鳩が飢え死にするから。
青いリンゴを市場に出そうっていうひとがいたから
価値があるわけで、赤くなるまで待ってる
なんて言ってたらすぐにまずくなるんだよ。

今すごく青いことをやってる。
これは内緒だけど・・のつもりで書いてて、
でも目をつむってパーンって
メールだしちゃうんですよ。
それにビビって来たひとが
何かくれるのっていうのは
またビビっと来るものをくれるわけなんです。
それは新聞ではできないですよね。
かなりあやういところですからね。
ここを爆撃してやれをしたいひとからみれば、
ああわかったあー!ボーン!ですよね。
敵がいたら、兵糧攻めにしてやれ、とかさ。

カメラマンが何かわかっているのを、
俺はわかるんだよ。それがおもしろい。
共感してたでしょ?
根岸 とってもしてたみたいですよ。
糸井 カメラマンって黙っていようという
意志があるんですよ。
でも気配があるんですよやっぱり。
ほかのひとたちも、
役目をしているんだけど体に出るんだよね。
それが何かね、大事なのよ。
大人のひとなんかは持っている財産が多いから、
そんなに簡単にはオープンにしないんですよ。
根岸 対談がおわって私たちご飯を食べてて、
水野というカメラマンとしゃべっていて、
「私もう一回糸井さんに
 インタビューさせてもらおうかな」
って言うと、
それがいいよってことになったんですよ。
「でも今日ぜったい疲れていると
 思うし、どうしよう?」
って言ってたんですよ、
でもどうしようどうしようって
言いながら私は絶対しようと
思ってたんですけど(笑)。
だけど私ひとりだけじゃなくて
カメラマンもADの齋藤もそうだって言うから、
かえってきてお願いしようと思いました。
そしたら糸井さんがこたつに横になっていて。
糸井 あのときは大変な日だったんですよ。
ほかのことがいろいろあって、どん底だった。
根岸 そういうこともあったので悪いなと思ったし、
毎日大変だっていうのがわかっているから
「たった15分の番組のために
 あれだけしゃべったのに、まだしゃべるのか」
って言われたらあきらめようと思ったんだけど、
糸井さんはそのとき
「え?」っていう顔をしたんですけど
「いいよ」
って言って下さったのでああよかったと思って。
糸井 何をしゃべっているから
足りてるっていうのはないんですよ。
しゃべっていうるちにきかれたから
思いついたっていうときもあるし、
俺にとっても練習だし、
あの撮影チームにはこっちとおんなじ何かが
あるというのはわかっているんで、
そこで、ああこれが無駄になってもいいや
って思えば、それはそれでいいじゃないですか。
それは優しさでもなんでもないんですよ。
何ていうかな、野球の選手が練習終わって
若い選手が素振りをしてたとする。
その素振りが違うとするじゃない?
で、俺はもうへとへとだっていうときに
その選手がこっち向いて
「ちょっとあの、後ろから見てもらえませんか?」
って言われたとしたら絶対見るよね。絶対見る。
それはたとえデートの約束があっても見る。
それがおもしろくて生きてるわけじゃないですか。
根岸 そんなひとでよかったよ、ほんとに。
糸井 それやんないと、死ぬんですよ。
計算できるプライオリティだけで
生きてると固定するんですよ。
根岸 よかったと思うと同時に50歳をこえた
糸井さんがそういうことを言っていると思うと、
ちょっとつらいという気がします。
50になっても悩みは深くなるばかり、って。

(ここでプロデューサーの長嶋さんが
 ちょうど糸井事務所に登場した)
糸井 あ、来た、理屈っぽいひとが(笑)。
長嶋 どうも。
あ、今日は方向性だけでもということで・・・。
(この先は延々と
 番組づくりについて話が進んだのでした。
 今回で制作スタッフ関連の
 インタビューはおわり。
 こうしてできた特集をおたのしみに!)

2000-01-27-THU

SCOOP
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