CHABUDAI

父親になるということ。
重松清さんと、
ややこしくたのしい話をした。

第1回 理想の男像はどこにいった?






 夏の連載「53」に登場の
 作家・重松清さんが、先月のはじめに、
 フラッと「ほぼ日・明るいビル」に来てくれました。

 隔月発行の雑誌『SESAME』の取材で、
 darlingこと糸井重里に、
 「父親であるということ」について、
 インタビューをしにきてくださったんです。

 とは言え、いったん、このふたりが話しだすと、
 『SESAME』が子どものファッション雑誌だということを
 忘れたかのようなディープな展開に‥‥。

 紙面の都合で『SESAME』に掲載できない部分も、
 そうとうおもしろいので、婦人生活社さんのご厚意により、
 (取材のテープをお借りして、ほぼ日なりにまとめて)
 「ほぼ日」にも、掲載させていただくことになりました。
 短期連載になりますが、どうぞ、おたのしみに!
 
 ちなみに、重松さんによる糸井重里インタビューは、
 12月2日発売の『SESAME』(婦人生活社)・1月号に
 掲載されています。ぜひ、読みくらべてみてくださいね!





  重松さんのプロフィールはこちら。
   重松さんの本などはこちら。
 





重松 糸井さんは、80年代から、
「女々しさ」や「へなちょこさ」に関して、
肯定するようなことを、たくさん書いてますよね。
糸井 書いていると思います、きっと。
重松 ひょっとしたら、
糸井さんには、
成人したオトナというか、
骨格ができあがった青年以上の男に対する、
生理的な嫌悪感みたいなものが
あるんじゃないですか?
糸井 ありますねぇ‥‥。
だって、いろんな男に会うけれど、
「この人はすごい」
「この人に、ついていきたい」
と思えるような人は、そんなにいないですから。


みなさん、まぁ‥‥クチばかりで
元気のいい人が、たくさんいますよね?
「それはウソだろ!」と思っちゃうんです。

いちばんクチの元気のいい人が
強そうにしている‥‥そういうのはイヤなんです。
自分だってウソっぱちのひとりでしょうけれども、
ぼくは、すくなくとも、
「自分がウソっぱちだ」と知っているわけで‥‥。

自分で自分にウソをついていることを
知らないふりをして、言うだけのことは言うけど
何もしない、そういういわゆる男っぽい人に対しての
嫌悪感は、強くあると思います。
重松 その一方で、若いころの糸井さんは、
コピーライターとしては、
「ある親父から息子へ」という物語をくりかえし描く。
それは、仕事として徹してやられたんですか?
糸井 いや、そんなことはないです。
仕事に徹してやるっていうのは、
なかなかできるもんじゃないですので。

そういう物語を書いたというのは、
たぶん、親と子がいつも似ていないものだ、
ということを強く意識していたからじゃないですか。

「親は、そっくりじゃないものを
 生み続けていくんじゃないだろうか?」
という仮定があると言いますか。
重松 それって、どういうことですか?
糸井 親と子っていうのは、
親子がつながって見えるようだけれども、
例えば、矢沢永ちゃんが
「親の代では負けた。オレは‥‥」
と言うように、どこかのところで、
子どもは親に対する嫌悪感を抱いているんですよ。
そして、それに反発してゆく。
もしかしたら、ビル・ゲイツの息子だって、
「親父は負けた」と思っているかもしれません。

ぼくはぼくで、たいしたことがない
中産階級の息子として生まれていますけれど、
親父を見ると、思った‥‥。
「放っておくと、あれになるのか!」
それだと、夢がないんですよ。
子どものころから、あれには似てない、
と言いたくて仕方がなかったんですね。

まぁ、いまこうしてオトナになると
すっごく似てるなぁと思うんですけれど。
重松 そうか‥‥。
うちの娘たちにとっての糸井さんっていうのは、
あくまで、「となりのトトロ」のお父さんなんです。
お父さんのイメージがあるんですよ。
糸井 ああ、そうでしょうね。
重松 あの「トトロ」に出てくるお父さん像は、
どうでしたか? けっこう素で演れましたか?
かなり苦労されたのかしら。
糸井 まったく苦労しなかったですね。
あれは、ぼくにとっては非常にラクです。
自分が「ええカッコしいなこと」を
ひとつもしていなければ、
あのお父さんのような場所に
落ち着いていた可能性は、ありますね。
意外に、ああいう感じですよ、ぼくは‥‥。
重松 なんにもしないお父さんですよ、あの人。
糸井 うん。なんにもしないよね。
ぼくはあれにそうとう近いです。
放っておけば、ああなりますよ。

宮崎駿さんがあの「トトロ」の原作を書く時に
すでに頭の中で意識されていたとは思いますが、
あのお父さん、考古学者ですよね。

天皇が生物学者であったように、
イデオロギーに関わらないところを選び抜くと、
魚だとか植物の研究者になるんですよ。
「トトロ」のお父さんも直にイデオロギーには
関係がなくて、手を汚さない職業に就いている。
つまり、ドロをかぶらない位置ですよね。

ぼくも放っておけばあのお父さんのような
位置に、簡単にいけてしまうけれども、でも、
「そういうのって、逃げてるだけじゃん」
という気は、するんですね。

‥‥って、ぼく、「セサミ」という
「子どものファッションと生活の情報誌」に
掲載してどうするんだよ、みたいな話ばかり
してるみたいだけど‥‥。
重松 (笑)ええ、この部分は載りません。
載っけられないんだけれども、おもしろいのは、
「トトロ」の映画の舞台って、
ある本によると、1956年らしいんですよ。
あの姉妹って、団塊の世代なんだよね。
糸井 そうかー。
重松 それを思うと、糸井さんは
昭和天皇を演ったんだなぁと言うか。
糸井 そうなんですね。
あれは見事に天皇ですもの。
つまり、決定は何もしないんだけど、
ときどき、曖昧に心の中についての話をして、
「そこんところが通じていれば、
 それぞれが、やっていくでありましょう」
みたいな話ですからねぇ。
重松 あの映画が、もしも、
息子をふたり持ったお父さんだったら
どうなっていましたか?
糸井 うわぁ‥‥。
えらいことですよ。
それはもう、ぼくが偶然、子どもが娘であったことを
感謝するのとおなじように、あの設定が
娘であったことに感謝しますね。

息子になったら、どうやるか、わからないです。
つまり、どこかで政治家的な成分を入れないかぎり、
息子って、育てられないと思うんですよ。


政治家成分って、つまり‥‥。
パワーを行使する時があると言うか、
選挙の時に田んぼで土下座できるチカラと言うか、
そういうことって、いつから覚えるかわからないし、
いつから自分に納得させられるか、わからないんです。

「少年に教えていいことと
 悪いこととのタイミング」には、
教育者としての厳密さを要求されますよね。
あとは放っておくしかないわけでしょう?
ぼくは完全に放っておくほど自然を信じられないし、
完璧に厳密に丁寧に教育をやれるほど
息子への教育に確信を持てるほうではないです。

そんなすごいコストは、かけられないですよ。
娘なら、たのしくやってくれればいいんだけれども、
息子だったら、むずかしいでしょうねぇ。
文武両道ができすぎていても、
器用すぎちゃうというか。

自信を持って、
「これがいい」と言える男の人像って、
探すことがむずかしいですよ‥‥。
重松 じゃあ、息子を持ったお母さんたちや
少年たちは、どうすればいいのかなぁ‥‥?
糸井 うーん。


(明日に続きます。次回以降からは、
 どんどん話が飛躍してゆくので、お楽しみに!)

2002-12-04-WED

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