糸井 |
「父親像」ということで
いま、永ちゃんが例に出てきたけど‥‥。
このあいだ、ロサンゼルスで
矢沢永吉の取材をしていたんです。
そこで永ちゃんが、サラッと
すごいことをしゃべったんですよ‥‥。
「誰かに教わったことは、ひとつもない」って。
彼にとってみれば、教育ということで言うと、
おばあちゃんが唯一の見本なんだけれども、
自分が悪いことをして、おばあちゃんが
警察に引きとりに来てくれた時にも、
引きとり方をおばあちゃんに教えてあげた、と、
そういう子どもだったんですね。
永ちゃんは、淡々と、
「いいことも悪いことも、何も教わらなかった」
という話をしているんですよ。
「何も教わらなかったけれども、
オレは何も悪いことをした覚えがない」
そのことに関しては、自信を持っているんですね。
聞いていて、すごいことだなぁと思ったんですよ。
もしも誰かが永ちゃんに教えていたら、
そこにとらわれて、自分の意志で
選び直すことができなくなっちゃうかもしれない。
そう考えると、
何も教えてもらわないままでも、
人が動いていく中でモラルができていく、
みたいなことには、つくづく感心したんですよ。
今でも、永ちゃんはしょっちゅう
何かをまちがえているんだと思うんですよ。
「しまった!」と思うことがあるかもしれない。
でも、その時に、またすぐ軌道修正をするチカラが
あるんだろうなぁというのが、彼のすごさですよ。
いろいろな経営者の方にお会いしていても、
「この人はおもしろいなぁ」と感じさせる人って、
ほんと、仕事の中の軌道修正が多いですもんね。
それは、活性の高い仕事をしている人の
特徴だとさえ言えるかもしれません。
すごい会社の社員に
「社長ってどういう感じ?」と聞くと、だいたい、
「ぼくら、社長に、ふりまわされてます」
って言いますもんね。 |
重松 |
お父さんが息子に教えることの
難しさについて、今までいろいろ伺いましたが、
今度、娘に対して何を教えるかというと‥‥。
これは、歴史的に、
あまり言われたことがなかったんですよね。
父親と息子の関係には
バイアス(偏見)の強さがある反面、
娘に、どういうことを教えるかと言うと‥‥。
「教えなければならないこと」
なんていうのが
そんなに意味を持たないであろうことは
知っていますけれども、
お父さんを演じるからには、
娘にも、何かを
伝えなければならないわけですよね。
糸井さんは、それは、ツラくないですか? |
糸井 |
ツライですね。
重松さんの家の娘さんも大きくなると、
きっと出てくる問題だと思うけれども、
「娘を叱る」という場面だって、出てきますよね。
ぼくは昨日、10年ぶりぐらいに、
娘をきつく叱ったんですよ。
約束したことを「できる」と言ったのに、
実は眠ってしまっていて、できなかった。
1回携帯電話で起こしたんですけど、
たぶん、また眠ったんですね。
かなり疲れていて忙しい時期だったと
その事情はわかっているんですけれども、
ぼくがいなかったら、彼女はまったく無責任で
約束を破る人間になっていくだろうと思ったので、
昨日は、突き放したんです。
そういうのって、ほんとは、言うの、イヤですよね。
でも、言わなきゃいけない時もある。
なんか、一家のあんちゃんとして言うって感じかなぁ。
息子に対して根性決めて恫喝するのとは違いますから。
そういう局面は、ぼくにも重松さんにも、
これから、お互いに、いくつかあるでしょうね。 |
重松 |
もしかしたら、お節介なあんちゃんと
お父さんって、近いかもしれないですね。 |
糸井 |
近いですね。 |
重松 |
あ、そう言えば、
もしも娘さんが大学を卒業して、
お父さんと同じ世界に入ってくるとなったら、
どうしますか? |
糸井 |
そうですねぇ。
最低限、守ったほうがいいルールを、
数を少なめに、何と何と何だけを
教えればいいのかを、考えるでしょうね。
仕事をする上で守るべきルールって、
意外とキャリアがないとわからないことが多くて、
ぼくも歳を取ってからわかったんですけど‥‥
単純に言うと、「遅刻はいけない」とか。
「遅刻がなぜいけないか」は、
遅刻する事情をわかっている人にしか
言えないですよね。
社会っていうのは、
そうとう実はガマンでできているので、
放っておいたらうまくいかないし、
自分が追い詰められていくことになるので、
そのあたりは、けっこう意識的に、
「これだけ守ると、あとはラクだよ」
というルールは、できたら教えてあげたいですね。
あとは、そりゃ当然、
誰だって、仕事をする上では、
いろんなことを間違えますもん。
人間は、自然が作った存在だから、
もともと、ロクでもないものですからね。
自分の中に、ある日突然、
大水もくれば台風もくるわけで‥‥。
『北の国から』の純も螢も、
内部から来る自然にしょっちゅう負けてますよね。
ああいうことを認めないと気持ちが悪いんで、
「そういう乱暴な自然は、どうせあるよ」と‥‥。
自分も一時期そういうことはあったわけですから、
しょうがないことだ、と思うんですよ。
そのへんは、教えてはいけないような
気がしますね。 |
重松 |
娘さんの結婚相手が、
糸井さんと同じような人間だったらどうします? |
糸井 |
職業とかじゃなくて、
中身で、ってことですよね。
「きっと苦労するだろうけど、しょうがない」
と思うでしょうね。
あとは、ぼくの娘が
そういう人についていくだけの
スタミナがあるかどうか、ですよね。
‥‥ぼくとつきあうのは、
たぶん、スタミナが要りますよ。
自分をやっていくのには、スタミナが要るもの。 |
重松 |
ああ、そうか。
「イトイ」でいることは、疲れるんだ‥‥。
「イトイ」をやっていくのも、大変なんだ!
「矢沢永吉」をやっていくのだって大変ですし、
ほんと、そうですよねぇ‥‥。 |
糸井 |
どんな小さい世界でも、
それから大きい世界でも、
トップを張っている人はすごいですよ。
昨日は明石家さんまさんのライブに行ってきたけど、
ライブで、3時間半ですよ! |
重松 |
タフですね。 |
糸井 |
最後の方は、電車がなくなるから、
お客がどんどん帰ったりするわけです。
ライブの最初に
「それを覚悟しろ」って言うわけですよ。
最初には声が枯れているのに、
終わった時には声が出ている‥‥すごい。
昼間にも、すでに3時間ぐらいの
ステージをこなしているんですよ。
でも、今日は最後だから、
今までこれは捨ててきたというネタだとか
ダメだからやめたやつとかも、全部やります、と。
「‥‥っていうことはエライことになりまっせ!」
最初から、ことわっているんです。
すでに座ぶとんは自前で寄付したっていう。
座りっぱなしで疲れるだろうから、
椅子の上に座ぶとんがあるんですよ。 |
重松 |
そんなに疲れるから。 |
糸井 |
ええ、確かにお客はヘトヘトになるんですよ。 |
重松 |
どっかで過剰なんですよね。 |
糸井 |
過剰です。
浜崎あゆみのコンサート見ても思いますよ。
あの若さだけど、最後、
客に向かって手をふる時には、
手をふる、呼びかけ、手をふる、
の掛けあいのところで、
全力を出し尽くして、終わるんですよ。
「ありがとう!」って百回ぐらいやりますよ。 |
重松 |
やっぱり、過剰なところが
すごいんですよね‥‥。 |
糸井 |
木村拓哉くんもそうだし、
みんながワーだキャーだって言うのって、
過剰さに反応するんであって、
「ここまでやったら普通にいいよね」
っていうものには、キャーって言わないですよね。
やっぱりキャーッて言われない仕事はだめですよ。
小地味な仕事でも。自動車修理工でも、
見学していたやつが、車を直す姿を見て、
「うわ、スゲエ!」って声が出ちゃうぐらいの
ことはやってるはずなんですよ、すごい修理工は。
そういうのって、なんか、かっこいいよね。 |
重松 |
満足っていうのは、「驚き」ですよね。 |
糸井 |
親子の話に戻すと、
「親として何にも教えられないけれど、
オレが磨いたエンジンはまだ存在する」
とか、そういうことしかないんじゃないかなぁ。
「これはお父さんが手を抜いた仕事。バレてるよね?」
「これは一瞬の集中で、偶然のように
できた仕事だけど、わかるかな?」
っていうことは、いっぱいありますから。
そういう仕事の全部が俺なのであって、
まぁ、それが伝わるのは、その仕事で
メシを食ってた人たちなのでしょうけど。
でも、子どもって、きっと、同い年にならないと、
その年齢で考えることは、わからないですよね。 |
重松 |
今の「仕事の話」って、
息子と娘とでは、どっちに言いやすいですか? |
糸井 |
これは、両方に言えると思います。
ちょっと前に宮大工の小川さんていう人と知りあって、
感動したのは、1600年前の大工さんの仕事が、
今同じ仕事を志して、同じ仕事をやっている人を、
感心させているんですね‥‥。
当時の人たちがどんな暮らしをしてきたかは
全部は見えないけれど、
それをやるために張った命っていうのは、
同じことをやっている人には通じるわけですよ。
息子には通じないかもしれないけれど、
職人は、血縁とは違う息子を、
弟子というかたちで、いっぱい作りますよね。
そう思うと、
血縁としての親子というのは、
もっといいかげんでいいかもしれないですね。
そこで何かを伝承するのは、無理かもしれない。
宮大工の小川さんと話していておもしろいのは、
法隆寺を建てた人たちのすごさもわかりながら、
同時に、当時の人が
いいかげんにやっていたところは、
ぜんぶ現代の人にもバレているってことなんです。
そういうどうしようもないところも含めて、
同じ仕事をやっている人ならば、
「ここでチカラ尽きたんだなぁ。
じゃ、俺はこのへんをもうちょっとやろう」
とか、愛情をもって当時の人間と会話をできる。
建物を通したそのやりとりって、いいよなぁ。
もうほとんど、『北の国から』の
螢を許す心と同じですよね‥‥(笑) |