重松 |
息子を育てるのって、
なんだか、むずかしそうですね‥‥。
糸井さんは、娘さんについては
いいコラムがたくさんあるじゃないですか。
「ほぼ日」のダーリンコラムにもいくつかあって、
涙についてのものなんて、よかったなぁ。
『娘がまだ小学生の低学年だったころ、
大人もこどもも
たくさん集まるイベントに連れていった。
山梨方面だったかなぁ、小学校に宿泊して、
みんなでキャンプのようなことをしたのだった。
騒ぎに騒いで、遊びに遊んで、
疲れ果てて東京に戻った。
祭りの後のけだるさを、
いっしょに行ったバカ共も、
静かに噛みしめていた。
ふと、娘を見ると、
ぼろぼろぼろぼろ涙を流している。
おあつらえむきに、夕日が沈む頃だった。
「どうしたの。なにが悲しいの」と訊いてみた。
「わかんないの」と言いながら、泣いていた。
「悲しいんじゃないの?」と言っても、
「わかんないの」と、泣きやまない。
「じゃ、ほっとけばいい?」
と、父であるぼくは訊いた。
「うん」というから、そのままにした。
いまだに、何が泣いた理由なのかは
わかってないのだが、あれはほんとうに
「わかんない」ものだったのだと思う』
(2002-10-14 「ほぼ日」ダーリンコラムより) |
糸井 |
あの時、クルマの中で
娘と一緒にいたのは、みうらじゅんだったと思う。
ずーっとみんなで、わけのわからない
エロ話みたいなものをしていて、
で、最後に南青山のあたりに着いたら、
娘が、いきなり泣き出したんです。 |
重松 |
それ、いいですよね‥‥。
あれがもし、息子さんだったら
糸井さんの反応は、変わっていましたか? |
糸井 |
あ、それは‥‥こわいです。
息子を持つこと自体が、今でもこわい。
息子じゃなくてよかったなぁ、って思うもの。
つまり、息子がいたとしたら避けられないであろう
「強さ」の教育が、ぼくにはできないんですよ。
‥‥たとえば自分が受けてきた教育を
ふりかえってみますと、通り一遍に、
「男の子は強くなければならない」
だとかいうことを、
親からは、言われてきましたよね。
はじめてスキー場に連れてかれて、
無理矢理リフトに乗せられて、
上から放っておかれただとか‥‥。
でもそういう強さの教育って、安い教育ですよ。
うちの父親は、ぼくのように、
子どもと遊ぶ時間をたくさん取っていなかったから、
コストのかからない教育をしていたんでしょうね。 |
重松 |
とりあえず負荷をかけちゃう教育。 |
糸井 |
そういうことです。
どこのうちの親父でもやっていたであろう、
ケンカで負けてきたりした時の、
「もう一回行ってこい!」みたいな教育も、
あれもものすごくコストの低いものですよね。
言う父親の側は、その一言でいいでしょうけど、
やる男の子のほうは‥‥。
ですから、あれは、日本中の男の子を、
けっこう辛い目に遭わせているわけです。
たとえばぼくなら、そこにアイデアを入れて、
息子のうしろから見られないようについていって、
どういう勝ちかたをしたか、
どういう負けかたをしたか、
あるいは、どうやってその場を卑怯にしのいだか。
それを、じっと見ているでしょうね‥‥。
その上で、その子の中の
弱さと強さの分量配分を把握したうえで、
次のステップに入ると思うんですよ。
でも、自分の受けた教育から言うと、
ぼくは、さっき言ったみたいな、コストの安い、
促成栽培的な強さしか持っていなかったんです。
ま、非常に昔のコトバで言いますと、
「プチブル急進主義」の強さしかないというか。 |
重松 |
おぉ‥‥(笑)
「プチブル急進」ってコトバ、ありましたねぇ。 |
糸井 |
このコトバって、
すごくよくできていると思うんです。
つまり、「やる時ぁやるんだ!」と
言ったまま死んでいく人だとか、
あるいは短期決戦で無理をしてしまって、
そのあとは何もできなくなっちゃう人を
表現するのに、とてもよくできている。
そういう、意地っ張りなだけの弱いやつに、
ぼくも、放っておけば
なっちゃっていたと思うんです。
ぼく自身としてでさえ、
そういう弱さを克服するのに
かなり時間がかかって、
ここまで来ているわけだから、
子どもに、そういうものじゃない
強さを教えるなんて、もう大仕事すぎますよ。 |
重松 |
でも、糸井さんの世代は、若いころ、
何かに対して「ノー」と主張することを、
はっきりと持っていらしたんですよね。 |
糸井 |
いや、それはウソですね。
何がいいことで、何が悪いことかについては、
いろいろなかたちで教わりましたけれど、
そんなにクッキリと
何かを持っているわけじゃないんですよ。
ぼくは学生運動をしていた時も、
各論としてはすごく優秀なんですよ。
とにかく一生懸命やりますから。
だけども、総論‥‥全体としては
「なんだか信用ならないやつ」
と思われていました。
組織を作れないタイプだったと言うか、
自分の中のヒッピー的な考えが邪魔したのか、
とにかく、そこは、ぼくにとっては、
後々までずっと残ってしまった問題ですね。
「規律」とかは、まずイヤですから‥‥。 |
重松 |
規律、ダメなんですか? |
糸井 |
ダメなんですよ。 |
重松 |
糸井さんは、後輩の男たちに対しては、
かなり体育会系に見えるんですけど‥‥。
そこでは、割とお父さん役をしていますよね? |
糸井 |
いや、それはたぶん、
みうらじゅんが、ウソをついているんですよ。
「糸井さんは体育会系だ」って
あちこちで、言いまくってますからね。
だけど、ぼくとみうらの関係なら、ぼくが
仮の規律みたいなことを強く主張しないままだと、
お互いがグズグズになっちゃう遊び方しか
してこなかったですから‥‥。
そんなオレとみうらを放っておいて、
何かしようって言ったら、何にもならない。
下手すると、
メシ食いに行く場所さえ決まらないまま、
部屋でゴロゴロしている、
みたいなことになるから、
みうらが「天丼かぁ‥‥でも‥‥」と言っていても、
「天丼なんだ!」と主張しないと、
歩きだせないんですよ。何も食えない。 |
重松 |
(笑)意志を出さなきゃいけないんだ。 |
糸井 |
そうなんですよ。
ぼくにとって、それは快感でもないんです。 |
重松 |
しょうがないし、先に進めないから言うんだ? |
糸井 |
ええ。 |
重松 |
言わないと、お腹も減るし‥‥。 |
糸井 |
はい。
その連続なんですよ。
ふざけたことをするのにも
「それでいいんだ」と言えば、
みうらたちは「そうかぁー」と思うじゃないですか。
誰かが言えばいいんですよ。 |
重松 |
糸井さんが、お父さん役をやるしかなかったんだ。 |
糸井 |
そうなんですよ。
だからぼくの体育会系っていうのは、
それは非常に‥‥借りものですよ。
「女形(おやま)」みたいなもんです。
「思いやりとして命令をする」だとか。 |
重松 |
(笑)なるほど‥‥。
でも、「女形だからこそ」の、
様式美みたいなものもあるんじゃないですか? |
糸井 |
(笑)まぁ、そうかもしれないですけど‥‥。
ただ、最近はそれだけで済ませていませんね。
40代半ばを過ぎてからは、いろいろな面で、
息をとめて覚悟を決めてやるようなことをしないと、
どうも、満足ができなくなってきたんです。
ですから最近は、仕事のチームの中で、
父親的な役割も引き受けようとしているんですよ。
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