CHABUDAI
チームプレイ論。
『ニッポンの課長』から見る仕事と組織。

第15回 クリエイター主導の会社が
潰れる理由

糸井 見ていると、おもしろいリーダーは、やっぱり、
うまくいってるところを育てていますよね。

放っておくとここがまずいというのは、
仕事のメインではないんですよね。
あくまで「手を打つ」ということに過ぎない。

うまくいっているところを育てている間に、
ほころびが出たところを縫うだとか、
そういうことはあるんでしょうけど、
不得意科目よりは得意科目を伸ばす。
だったら、管理で
ガチガチにする必要はなくなるわけで。

「ほぼ日」をまわしていくことも、
今は、放っておいても、
少しだけは、
だいじょうぶになってきたんですよ。

どこまでも細かく管理するということも、
もちろん遊びとしてはおもしろいし、
机上の話としては、うまくいきそうなんだけど、
それでうまくいかなくなった組織を、
いっぱい、見てきていますから。


もちろん、管理はどこかで
かならずやらないといけないと思うんですが、
「どこまで放っておくか」
っていうのも、自分との戦いで。

肩書の序列なんかを作ると、
どうしても上に行きたくなるのが人間ですから、
それを利用して
組織を伸ばす方法もあるんでしょう。

ただ、あたらしいことをやらせたい、
という気持ちがあるなら、やっぱり、
一度はよその組織をマネしないままやってみて、
マネをせざるをえなくなったときにはマネして、
とくりかえしていたほうがいいと言いますか。

そっちのほうが、
あたらしい雑草が生まれるような気がするので。
 
重松 クリエイターばかりで集めちゃった会社が、
結局、
クリエイターだけではやっていけなくなっていく、
っていう例をたくさん見ているので、
「全員が営業課長ではダメだなぁ」
とか、そういうことはよく思うんです。

やっぱり、総務課長も経理課長も必要ですから。
 
糸井 いわゆる「クリエイティブ」に関わる
職業の人たちが、組織を作って
うまくいかなくなることについて、
なんとなく直感的に思うのは、
「貧して鈍していく」ということなんですよ。

クリエイターとしての
エースを集めたような会社だと、まずは、
少ない収入でやってけるはずがないですよね。


プライドの塊みたいな人が集まるわけでしょう?
「アイツより俺のほうが上だな」
って思ってるような人ばかりが集まってるわけです。
その組織を作る前の組織にいたときに、
「誰かが突出していて、何かイヤだなぁ」
と思っていた人たちが会社を作るんですから。

だとすると、あたらしい会社で、
いっぱい稼がなければいけない仕組みを
作ることになると思うんですね。
 
重松 ええ。
 
糸井 その上に、
「せっかくいろんなしがらみから
 自由になったんだから、
 制作費もオレに使わせろ」ということになる。

そうなると、
まずは貧するんですよ、夢が大きすぎますから。


その会社が、次にどうなるかというと、
夢をかなえるために、当面は、
「貧」から抜け出さなければならないから、
日銭仕事をしなければならない、みたいな。

「自分ではコレのほうがいいと思うけれど、
 人々やスポンサーは、これを要求している」

そういう、マーケティング的なことを
考えるようになる……
そうすると、結局は商品力を持たなくなるから、
ぜんぶがおしまいになってしまう。

そういう風に、歴史って
くりかえしているような気がするんです。
 
重松 ある作家がエッセイで書いてたんですが、
何かの仕事の依頼のときに、事務所に
「俺がこの仕事受けたら、みんなが助かる?」
と言ったら、経理の人が
「大変助かります」って言って、
それで仕事をすることになったという話があって……
それはそれで、すごくかっこいいとも思うけど、
すごくつらいだろうなぁ、と。

ぼくはそれを読んで、
あ、人を使わずにやっていこうと決めたんです。
 
糸井 それは、しちゃダメでしょうねぇ……。
ぼくも、そのやりかたに、近かったんです。
人数が少なければ、
誰とでもケンカができるっていう。
 
重松 扶養家族が多いと、
やっぱり、きつくなりますよね。

作家の場合は、印税というかたちで
後々まで収入が入りますけど、
コピーライターは、
そういうストックのできるかたちの
仕事ではないじゃないですか。

糸井さんは、そのへんのリスクヘッジって、
以前から、してらしたんですか?
 
糸井 してなかったです。
その場合のリスクヘッジと言うと、たとえば、
「いろんな人と仲良くしておいて、
 仕事をちょうだいできるようにしておく」
ということだとか、
「絶えずいい仕事をしておけば、
 かならず注文が来るだろう」
ということになりますよね。

ただ、それは両方とも、
「仕事をさせてください」
と言いにいくのではなくて、
「注文が来るのを待っている」
という形態でしょう。
それはまずいな、と思ったんです。


相手に見る目がなかったら、
こちらがいい仕事をしているかどうかなんて、
わからないわけです。

そうなると、
「自分が、注文をくれる相手に
 すり寄る人間にならざるをえない、
 という可能性もあるなぁ」と思ったんです。

すり寄るようになったら、
自分の価値がなくなったり、
人品が卑しくなったりする……
だったら、自己決裁のできる仕事に
しなきゃいけないなぁ、と考えました。
それが、四十四歳や四十五歳のときですよね。
 
重松 それが、「自前のメディアを持つこと」ですよね。
 
糸井 そういうことです。
 
  (次回に、つづきます!)


『ニッポンの課長』

2004-02-20-FRI

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