糸井 |
見ていると、おもしろいリーダーは、やっぱり、
うまくいってるところを育てていますよね。
放っておくとここがまずいというのは、
仕事のメインではないんですよね。
あくまで「手を打つ」ということに過ぎない。
うまくいっているところを育てている間に、
ほころびが出たところを縫うだとか、
そういうことはあるんでしょうけど、
不得意科目よりは得意科目を伸ばす。
だったら、管理で
ガチガチにする必要はなくなるわけで。
「ほぼ日」をまわしていくことも、
今は、放っておいても、
少しだけは、
だいじょうぶになってきたんですよ。
どこまでも細かく管理するということも、
もちろん遊びとしてはおもしろいし、
机上の話としては、うまくいきそうなんだけど、
それでうまくいかなくなった組織を、
いっぱい、見てきていますから。
もちろん、管理はどこかで
かならずやらないといけないと思うんですが、
「どこまで放っておくか」
っていうのも、自分との戦いで。
肩書の序列なんかを作ると、
どうしても上に行きたくなるのが人間ですから、
それを利用して
組織を伸ばす方法もあるんでしょう。
ただ、あたらしいことをやらせたい、
という気持ちがあるなら、やっぱり、
一度はよその組織をマネしないままやってみて、
マネをせざるをえなくなったときにはマネして、
とくりかえしていたほうがいいと言いますか。
そっちのほうが、
あたらしい雑草が生まれるような気がするので。
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重松 |
クリエイターばかりで集めちゃった会社が、
結局、
クリエイターだけではやっていけなくなっていく、
っていう例をたくさん見ているので、
「全員が営業課長ではダメだなぁ」
とか、そういうことはよく思うんです。
やっぱり、総務課長も経理課長も必要ですから。
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糸井 |
いわゆる「クリエイティブ」に関わる
職業の人たちが、組織を作って
うまくいかなくなることについて、
なんとなく直感的に思うのは、
「貧して鈍していく」ということなんですよ。
クリエイターとしての
エースを集めたような会社だと、まずは、
少ない収入でやってけるはずがないですよね。
プライドの塊みたいな人が集まるわけでしょう?
「アイツより俺のほうが上だな」
って思ってるような人ばかりが集まってるわけです。
その組織を作る前の組織にいたときに、
「誰かが突出していて、何かイヤだなぁ」
と思っていた人たちが会社を作るんですから。
だとすると、あたらしい会社で、
いっぱい稼がなければいけない仕組みを
作ることになると思うんですね。
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重松 |
ええ。
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糸井 |
その上に、
「せっかくいろんなしがらみから
自由になったんだから、
制作費もオレに使わせろ」ということになる。
そうなると、
まずは貧するんですよ、夢が大きすぎますから。
その会社が、次にどうなるかというと、
夢をかなえるために、当面は、
「貧」から抜け出さなければならないから、
日銭仕事をしなければならない、みたいな。
「自分ではコレのほうがいいと思うけれど、
人々やスポンサーは、これを要求している」
そういう、マーケティング的なことを
考えるようになる……
そうすると、結局は商品力を持たなくなるから、
ぜんぶがおしまいになってしまう。
そういう風に、歴史って
くりかえしているような気がするんです。
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重松 |
ある作家がエッセイで書いてたんですが、
何かの仕事の依頼のときに、事務所に
「俺がこの仕事受けたら、みんなが助かる?」
と言ったら、経理の人が
「大変助かります」って言って、
それで仕事をすることになったという話があって……
それはそれで、すごくかっこいいとも思うけど、
すごくつらいだろうなぁ、と。
ぼくはそれを読んで、
あ、人を使わずにやっていこうと決めたんです。
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糸井 |
それは、しちゃダメでしょうねぇ……。
ぼくも、そのやりかたに、近かったんです。
人数が少なければ、
誰とでもケンカができるっていう。
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重松 |
扶養家族が多いと、
やっぱり、きつくなりますよね。
作家の場合は、印税というかたちで
後々まで収入が入りますけど、
コピーライターは、
そういうストックのできるかたちの
仕事ではないじゃないですか。
糸井さんは、そのへんのリスクヘッジって、
以前から、してらしたんですか?
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糸井 |
してなかったです。
その場合のリスクヘッジと言うと、たとえば、
「いろんな人と仲良くしておいて、
仕事をちょうだいできるようにしておく」
ということだとか、
「絶えずいい仕事をしておけば、
かならず注文が来るだろう」
ということになりますよね。
ただ、それは両方とも、
「仕事をさせてください」
と言いにいくのではなくて、
「注文が来るのを待っている」
という形態でしょう。
それはまずいな、と思ったんです。
相手に見る目がなかったら、
こちらがいい仕事をしているかどうかなんて、
わからないわけです。
そうなると、
「自分が、注文をくれる相手に
すり寄る人間にならざるをえない、
という可能性もあるなぁ」と思ったんです。
すり寄るようになったら、
自分の価値がなくなったり、
人品が卑しくなったりする……
だったら、自己決裁のできる仕事に
しなきゃいけないなぁ、と考えました。
それが、四十四歳や四十五歳のときですよね。
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重松 |
それが、「自前のメディアを持つこと」ですよね。
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糸井 |
そういうことです。
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(次回に、つづきます!) |