ほぼ日 |
いよいよ最後の県になりました。
今回の収録は、東京・築地にある
和歌山料理のお店「熊野路」さんから
お送りしています。 |
みうら |
和歌山県ですねぇ。
和歌山県が最後になるということは、
和歌山県の人も
知らなかったわけじゃないですか。 |
ほぼ日 |
はい、そうですね。 |
みうら |
そりゃもう、驚きですよ。
ふつうは北海道からはじまって
沖縄で終わるのがルールであるところ、
‥‥いちばんはじめは
どこからはじめましたでしょうか? |
ほぼ日 |
長野県です。 |
みうら |
じゃ、これを機会に
和歌山県と長野県は
姉妹都市を組んでもらうぐらいのことは
あってほしいですね。
ぼくがいちばん最初に行った「和歌山県」は
高野山でした。
ぼくは、小学校4年生のときに、
仏像が好きになりまして、
夏休み、母方のおじいちゃんに
高野山の根本中堂に連れて行ってもらいました。
おじいちゃんは、
参道にある石碑に和紙をあてて、
拓本を取るのが趣味で、
おじいちゃんが拓本を取るあいだに
孫は仏像を見に行く、という
それは、至福のときでございました。 |
ほぼ日 |
渋いですね。 |
みうら |
高野山には、戦国武将の方、
有名な方、無名な方、
いろんな方のお墓がたくさんあります。
奥の院へつづく道に入り‥‥そうですね、
1分ぐらい歩いて右側に、
「しろあり やすらかにねむれ」と書かれた
シロアリのお墓があります。 |
ほぼ日 |
シロアリの‥‥。 |
みうら |
もう、人間であるかどうかなどは問わず、
シロアリにももちろん魂があること、そして、
シロアリの霊魂を鎮静するために、
シロアリ駆除業者の方がお墓を建てられた、
ということです。
大きな石碑に、
出だし「しろあり」と、大きい字で、
まぁ、はっきり言うと、
呼び捨てです。 |
ほぼ日 |
はははは。 |
みうら |
「ねむれ」という言い方も、
「野獣死すべし」みたいに
どちらかというと言い放ってる感じが、
ちょっとありますね。
しかし、高野山の奥の院で
お墓をめぐられる方は、
シロアリの命について、
認識が新たになると思うんです。
お坊さんは、殺生をしてはいけない、
ということが根本にあります。
修行中に自分に蚊が止まっても、
そのままにしておくスタイルだと、
知り合いの住職さんから聞いたことがあります。
ですから当然、シロアリが家にやってきて
家がほとんど崩壊していても動じない、
ということなんでしょうね。
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ほぼ日 |
‥‥‥‥。 |
みうら |
蚊に刺されると、なぜかゆいのでしょうか。
あの血、人からしたら少量
ではありませんか。
ぼくは、それぐらいの血は、
あげてもいいと思ってるんです。
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ほぼ日 |
??? |
みうら |
蚊は、血を吸うために、
肌に針を刺す潤滑油として、
ツバのようなものを出すらしいんですよ。
そのツバが「かゆい」ということになるのです。
蚊と人間のつきあいも
もう長いことあるわけですから、
そろそろツバを出さなくでも
いいじゃないかと言いたいんです。
そんなことだったら、血を出してあげるから、
というくらいの気持ち、打開策が
そろそろ必要です。 |
ほぼ日 |
そろそろ、やってもいい頃ですね。 |
みうら |
いろんな教えがたくさんありますが、
なかでもいちばん難しいことは、
命あるものを潰さない、
ということだと思います。
高野山に行くと、高野豆腐など、
いわゆる精進料理というものが出てきます。
歳を重ねていくと
高野豆腐のよさもわかってくるものですが、
小学生のぼくはやっぱり
ハンバーグなどを食べたい年頃でした。
それにくらべると、精進というのは、
パンチがありません。
「精進」イコール「パンチがない」、
そういう意味だと、ぼくは思っておりました。
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ほぼ日 |
殺生が禁じられていたため、
野菜を中心とした
メニューになるわけですね。 |
みうら |
高野山は弘法大師が
修業のために開いた山ですが、
四国には、弘法大師が
お生まれになったお寺があります。
そこには、宿坊があって、
全国からたくさんの方が訪れ、そこに泊まって
四国八十八ヶ所を巡礼されます。
やはり、毎日、
精進料理を食べることになるわけで、
巡礼をしている方の中にも、
「精進」イコール「パンチがない」
ということに、だんだん気がつく方が
おられるらしく、
それは、お寺の塀を隔てた向かい側の、
「焼鳥 空海」という
焼鳥屋さんの存在につながります。 |
ほぼ日 |
‥‥ははははは。 |
みうら |
そこの焼鳥屋さんのおやじさんは、
お店の名前は
「焼鳥 空と海」と読むということで、
「くうかいではありませんよ」
とおっしゃってました。 |
ほぼ日 |
ははははは。 |
みうら |
焼鳥は、七輪などで焼いた場合、
煙が出て臭いが発生するわけです。
精進料理を毎日食べている宿坊の人たちが、
それはもう、ぷんぷん嗅いでいるわけで、
中にはしんぼうたまらない人がいて、
焼鳥屋さんから宿坊の塀づたいに
ひもがついたざるが誕生した、という話も
わたくしは聞いております。 |
ほぼ日 |
そんなことが。 |
みうら |
人間、精進しなきゃならないと思っていても、
ついつい焼鳥の匂いに
やられる日だってあるわけですよ。
でも「次こそは」と、
完璧ではないけど
日々そう思うことが大切なんだよ、
ということが、広い仏教の心によって
教えられるわけです。 |
ほぼ日 |
ああ、なるほど。 |
みうら |
そして、和歌山県となると、
笑い祭のことを話さなくてはなりません。
わたくしは『とんまつりJAPAN』という
本を書きまして
その表紙になったのも、
この笑い祭のおじさんです。
日本全国いろんな祭りがありますが、
その中でも、とりわけ奇祭と呼ばれています。 |
ほぼ日 |
顔を白塗りしたおじさんが、
笑いながら町を練り歩く、と‥‥。 |
みうら |
なぜ、そんな祭りになったかと言いますと、
島根県で開かれる神様の大会に
和歌山県丹生神社の神様が、
寝坊をされて遅刻したことにはじまります。
しまったと思い、落ち込んだ神様を
村人たちが集まって「笑え笑え」とはやした、
そのように神社の横の立て札には
書いてありましたが、
さっぱり意味がわかりませんでした。 |
ほぼ日 |
はははは。 |
みうら |
それがどういう教訓なのかよくわかりません。
けれども、きっと
落ち込んでいてもよくないじゃないか、
ということでありましょう。 |
ほぼ日 |
はい。 |
みうら |
落ち込んで
ずっと深いことを考えているよりも、
それよりぼくと踊りませんか、
という、機転の早さのことを
言っておられるのだと思います。
顔は真っ白で、
RCサクセションの清志郎さんのような
格好をされたおじいさんが
先頭をきって、
「笑えー、笑えー、わははー」
と、参道に集まる人たちに笑いを強要して
後ろから人が神輿を担いでいく
というお祭りでした。 |
ほぼ日 |
笑うことは、逃避ではなく‥‥? |
みうら |
笑うと、邪悪なものが来ないと言います。
長野県の道祖神と同じように、
疫病などが入ってくるのをさえぎる、
という効力があるのでしょう。
よく、ヒーローとかが、
危ないときに助けにあらわれたとき、
「わっはっは」と笑うでしょう。
ぼくは、ヒーローも実は
怖いんじゃないかと思っています。 |
ほぼ日 |
ああ、なるほど‥‥ははははは。 |
みうら |
登場するときに、
いきなり笑って出てくるというのは、
不自然ではないでしょうか。
ヒーローとて、少し怖い。
これから戦う敵がどんな奴かわからないので、
笑って「さえぎって」いるんでしょう。 |
ほぼ日 |
そうせざるを得ないんですね。 |
みうら |
でもね、本気で落ち込んでるときって、
なかなか人は笑えないもんなんですよ。
みなさんがよく開催される飲み会とて、
楽しいことばかりとは限りません。
場が暗いこともありますでしょう。
みんな暗い話をしてるのに、
自分だけテンションが上がってるのも、
おかしいものです。
一方、みんなが陽気なのに、
自分だけもうひとつ
落ち込んでる日もありますでしょう。
そういったときには、
トイレに行き、鏡の前で
ニコッと笑ってみせるんですよ。 |
ほぼ日 |
居酒屋さんの鏡の前で。 |
みうら |
「ああ、ちょっと酔ってるけど
まだこれだけ笑えるんだ」
というように、いまの自分に
どれだけの余力が残ってるか確かめるために
飲み屋では一回、
トイレに行かれるべきだと思います。
居酒屋さんで、もし、別れ話をされたとしても、
トイレに行って鏡の前で笑えるのなら、
まだ余力が残っている証拠です。
このように、笑いは
リトマス試験紙みたいなもので
あると思います。 |
ほぼ日 |
笑っているうちは、まだいける、と。 |
みうら |
そうです。
いいかげんでいい、とは言いません。
しかし、パーフェクトばかり
求めなくていいのです。
「ああダメだ」と思ったときには、
笑ってすませたりして、
うまく調節していくことは、
人間とって大切です。
これは、和歌山県から学ぶ重要なことです。 |
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今回のお話をノーカットでごらんになりたい方は
下の動画でおたのしみください。 |