hobo nikkan itoi shinbun

志ん朝さんのきれいな落語。糸井重里が語る、古今亭志ん朝師匠の話。

第四回 ふだん着の芸

和田
糸井さんにおうかがいしたいのですが、
志ん朝さんはよく「東京っ子」と言われて、
実際に東京生まれではあるんですけど、
その「東京的」な部分があるとしたら、
どのあたりなんでしょう。
糸井
それは、「ふだん着」だということです。
東京の人は東京を歩いてる時に、
ふだんを歩いてるんです。
だから、おしゃれに見える必要はないんです。
言ってみればそれは、岐阜に生まれた人が
岐阜の町を歩いてるのと同じことなんで。
だから、志ん朝さんがおしゃれをしても、
「おしゃれだ」って言われる必要がないんです。
僕みたいな地方出身者の場合、
おしゃれをした時には「おしゃれだ」って
言われるようなサインを出していて、
それはもう大変な違いです。
僕もできる限り、ふだんでいようとは思ってますけど、
根っこの根っこのところに、
「そこまでバカにされたら怒るよ」
というところがあるんです。
ケシ粒ほどの見栄が、僕も田舎者だという部分ですね。
和田
そういえば僕も、
「ふだんの志ん朝さん」を
お見かけしたことありますが、
たぶん、本人を知らない人は振り返りませんね。
糸井
そうでしょうね。
和田
志ん朝さんって高座のオーラはすごいんですけど、
他の場面に持ち込んで「俺、すげえだろ」ということを
する人ではないような気がするんです。
この間、おもしろい話を聞いたんですが、
志ん朝師匠の楽屋と、談志師匠の楽屋が
ものすごく対照的だったそうです。
談志師匠が、自分の楽屋に
芸能人、政治家、作家なんかを
よく連れてきていたのに対して、
志ん朝師匠はひとりでいらして、
同業者も近づきがたくて、
周りも静かにしなきゃいけない雰囲気を
出していた方だったそうです。

糸井
ああ、その話には凄味がありますねえ。
どちらも「好きだ」というところまでは学べて、
真似もできるんだと思うんですけど、
どうやっても、両刀使いにしかなれないんですよ。
ここでは「談志さんの楽屋」をやったほうが
いいんだろうなっていうときに、
僕らはきっとできるんですよね。
逆に、それをしない方がいいときもあります。
たとえば主役が他の人だったら
今度は「志ん朝さんの楽屋」のように
振る舞うことが礼儀です。
僕ももう、この年になってくると
どちらの態度もできるかなとは思うんですが、
志ん朝さんの場合は、
真似ができないレベルまで、
本物になっているんだと思うんですね。

鈴本演芸場 楽屋にて

和田
いろいろなことで、
志ん朝さんの真似はできませんねえ。
糸井
できないですねえ。
志ん朝さんに唯一スキがあるとしたら、
女性関係のことでしょうね。
女の人も好きだったという話は
ぽろっぽろっと聞こえてくるんですけど、
仕事で春を売っている人たちとの接し方が、
僕らは見えないわけですよね。
落語のなかに出てくる遊廓は、
たくさん描かれているんですけどね。
和田
志ん朝師匠って、昭和13年生まれでしょう。
昭和33年に赤線が廃止されたので、
その時がぎりぎり19歳か20歳なんですよ。
たしか『お直し』のマクラだったかな、
「私はぎりぎり吉原に間に合って」って。
糸井
ああ、言ってますね。
和田
あの世代の噺家さんで、
あそこまで照れも何もなく
「わたしは吉原に間に合いまして」というのを
ほがらかに言う人っていないんですよ。
糸井
ほんとうに軽く言ってますよね。
僕もそれは聴いていてね、
「ヘエッ!」て、爽快感を感じた。
和田
そうそう、すごいですよね。
「ほんと素晴らしいです」
みたいな感じで言うんですよ。
糸井
志ん朝さんのお弟子さん筋の人たちから、
「師匠は遊びに行かれて」と話されているのが、
ぽろぽろっと聞こえてくるんです。
ストイックな落語への姿勢と
「お好きだった」という語られ方の対比がよかった。
僕は、「遊び方がきれい」というのも、
あり得ると思うんですよ。
おしゃれが自然なものに捉えられるまでの話は
様式化できるし、芸だってできる。
でも、志ん朝さんならきっと性を我慢せずに、
ある種の様式化できるんじゃないかな。
ああ、これは志ん朝さんが生きていらしたら
ぜひ聞いてみたいですねえ。
和田
はあ、たしかに。
糸井
子どものいる人はみんな、
必ずそういう行為があると決まってるのに、
その「当たり前」なことの意味を
僕らはどうやって処理してるのかという、
脳みその倉庫がないんですよね。
結婚式のときに「しかり励めよ!」とか、
ちょっと下品なヤジを飛ばしていても、
それは、その辺の道を歩いているのと同じぐらい
当たり前の話のはずなんですね。
でも、ほんとうに道を歩いているだけでは、
子どもはできないんですよ、やっぱり。
そこには、ある種の興奮がないといけないから。
男たちはその興奮を「買い」に出かけていくのに、
志ん朝さんは、そこをサラッと語れる。
志ん朝さんみたいな人に話を聞けるなら、
そのまま文章にして1冊の本を書きたいぐらい
おもしろいことだと思うんですよね。
和田
ああ。それは面白いですね。
落語って、たとえば『宮戸川』でも
「ここからは本が破けてわかりません」
と言ったりしますもんね。
そういうサラッとした処理をする。
糸井
それが落語なんですよね。
和田
そうなんですよ。
それがオチになりますからね。
糸井
そうですよね。
だから、「いい」っていう気持ちと、
「当たり前だ」ということをしていることと、
ホカホカした温かいものみたいなところと、
その全部がひとつになって、
自然な性への喜びになっているんです。
いま、春画を見直そうという人が山ほどいるけど、
そこで文章を書いてる人の中には喜びがないんですよ。
見たけりゃ見ればいいし、
見ていた人は前から見ていたよ。
なんかね、過剰に煽って、
西洋の文脈に乗せようとする感じがするんです。
和田
ああ、たしかに逆輸入っぽいんですよね。
糸井
コソコソしてくれよって思うんですよ。
だって、江戸時代に春画の展覧会が
あったかといえば、きっとありませんよね。
見られない人は、一生見られなくてもいいんです。
そこはたぶん、志ん朝さんのことを
語るときには重要な領域なんでしょうね。
和田
ああ、おもしろいですね。
見なきゃ見ないで不都合はないですからね。
志ん生さんは落語家という商売を
「あってもなくってもいいものじゃなくって、
なくってもなくってもいいもの」と言っていた。
そう言える豊かさですね。
糸井
いやあ、今日はいい話ができました。
自分もここまで攻められる機会がないから、
落語のおかげでやり取りができました。
和田
はい、長いことありがとうございました。
糸井
楽しかったなあ、この話。
そのまま考えているだけで
終わっちゃったかもしれない話ですね。
どうも、ありがとうございました。

2015-12-03-THU

これで、糸井重里が語る
志ん朝さんの話はおしまいです。
明日の第五回では、
聴き手と解説を務めていただいた
和田尚久さんのあとがきで締めくくりとなります。

高座に咲いた江戸の華、ふたたび

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    「井戸の茶碗」,「宿屋の富」,「首提灯」
     コメント「首提灯」について

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