HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN
プラハのシノさん。 ──チョーカーづくりの現場を見せてもらいました──

チェコのプラハに住み、 ガラスのビーズでチョーカーをつくっている、 shino(シノ)さん。 以前から「ほぼ日」にはなんどか 登場してくださっていたのですが、 本業を紹介するのは、はじめてです。 11月2日から、大橋歩さんの イオグラフィックギャラリーで開かれる個展を前に、 チェコのこと、ガラスのこと、 そしてチョーカーのこと、聞きました。 シノさんはどういういきさつでプラハに住み、 チョーカーをつくっているんですか?

更新の予定
  その1
11/02
スライドショー前編
プラハでのくらしぶりを紹介します。
インタビュー前編
shinoさんがプラハに渡った理由。
 
  その2
11/03
スライドショー後編
ビーズのチョーカーができるまで。
インタビュー後編
shinoさんがチョーカーをつくり始めた理由。
 

photo by Petr Huza and HOBONCHI

Slideshow1

Interview1 shinoさんがプラハに渡った理由。
── おかえりなさい、shinoさん。
チェコに住んでるshinoさんは、
実は今までにも「ほぼ日」に
何度か登場してくれているんですよ。
古くは鼠穴時代のダイニング部
それから、ハラマキの
中央ヨーロッパ普及委員長

そして一番最近は
ほぼ日感激団の「屋根裏のポムネンカ」ですね。
やっと本業をご紹介できる日が来ました。
shino ありがとうございます。
── 11月2日から、大橋歩さんの
イオグラフィックギャラリー
チョーカーの個展をなさるというので、
これは紹介しなくちゃと思って。
すごくざっくり、経歴を教えてください。
shino はい。私、ガラスをずっとやってまして。
── ガラスっていうのは、器ですか?
shino 器も、器じゃないものも。
10代の頃に、ガラスを吹いてたんです。
けれども私が10代の頃は
ガラスの教育機関っていうのが
日本には、あまりありませんでした。
ガラスの工場は、もちろんあったけれど、
工場に行って「吹かせてください」
なんて言っても吹かせてくれないですよね。
それで、アメリカの
サマースクールに行ったんです。
それで、現代ガラスアートの最前線を知り、
カルチャーショックを受けて帰ってきました。
そこで知り合った日本人が自分たちでなんとか
学ぶ場所をつくろうと始めたので、
最初はそれを手伝って。
そこから10年間、
ワークショップをやってたんです。
海外から先生を呼んで。
── いい先生を呼んで、自分も学び、
人にも教え、みたいな形なんですね。
でもガラスを吹く場所はどこに?
shino 長野県の美麻村にあった、
美麻遊学舎っていうところにその知り合いが
小さなスタジオをつくって。
‥‥その10年で、
ガラスのネットワークができたんですが、
その終わり頃に
日本がバブル時代に入りました。
1億円村おこしというのを
竹下さんがやった時期なんですね。
── ああ!
shino それで、地場産業がない村は、
その土地に資源がなくてもできる、
人工素材のガラスに目をつけるんです。
そしていろんな所に
ガラスのスタジオをつくっちゃったんですね。
── なるほどね。どこでもできちゃうわけですね。
shino どこでもできちゃうんですよ。
たとえば伊賀焼は伊賀の土が必要だけれど、
そういう意味では、
ガラスはどこから持ってきてもいい。
そういうふうにお金をかけたスタジオが
たくさんできていくなかで、
私たちのやってたところっていうのは、
ものすごくお金がなく、
スポンサーもなくやっていた。
ガラスって、テクノロジーと共に
発達していく素材ですから、
そんな時代になったら、もう限界だから
やめましょう、ということになりました。
でも、私達がやっていたことは、
情報の発信でもあったので、
じゃぁ次はメディアだということで‥‥。
── はい。
shino 雑誌をつくり始めたんです。
私たちはアメリカのガラスアートに
影響を受けてやっていたものだから、
バイリンガルで。
── なんていう雑誌だったんですか。
shino 『グラスワーク(glasswork)』です。
京都を拠点に、5年間、やりました。
でも最後の1年間は、チェコと京都を
行ったり来たりしながら編集していました。
── その、チェコとの縁は、どんなふうに?
shino 最初に訪れたのは商用でした。
あるギャラリーの人が、
私のもっていたアメリカのネットワークと、
そのギャラリーのもっている
ヨーロッパのネットワークをドッキングさせたら、
ものすごく便利なんじゃないかと、
私をヨーロッパ出張に誘ってくださったんです。
そこで完全にハマってしまって。
── ハマったというのは、
チェコのガラスに?
shino いえ、チェコそのものに。
── え?
shino チェコに、ハマってしまったんです。
── チェコそのものにハマっちゃった?
shino そうそうそう。
その当時はまだチェコスロヴァキアでしたけど。
── へえ〜!
shino ちょうどその頃、
もう私は「ものをつくるのをやめる」って
言い出したのね。
29歳の時のことです。
ちょっと、いろんなことに疲れてしまい、
1つずつ、自分の好きなことを捨てていった。
それでも最後まで
ものをつくることはやめなかったんだけれども、
あとは、ものをつくることしか
残っていないというときに、
アレクサンダー・カルダーの
展覧会を観に行きました。
── モビールの人ですね。彫刻家。
shino そうそう。それで、実は、
カルダーは自分の普段づかい用の
キッチンツールとかもつくっているのを知って。
── へえ〜!
shino 「ほぼ日」の人は
きっと好きだと思う!
── へえ!
shino で、それを見た時、もう目からうろこで、
私は、社会に発表するものづくりは、
やめてもいいや、と思ったんです。
発表するということに
すごくしがみついてたんだけど、
もう、やめてもいいやって。
要するに、自分が毎日つくるご飯だったり、
自分が自分のためにつくるセーターだったり、
そういうもので自分のクリエイティビティは
守れると思ったの。
── カルダーが自分のためにつくっている
台所用品を見て、そう思ったんですね。
shino そう、だから、
「もう、や〜めた!」って言って。
── ガラスを、やめちゃった?
shino そう。全てやめました。
── わあ。
shino 入っていた展覧会の予定もキャンセルして。
そのとき、まわりの人たちのなかに、
あなたはしばらく海外で
暮らしたほうがいいんじゃないかって
言ってくれた人がいました。
最初は、シアトルに行くように
回りが動いてくれたんです。
つくっていた雑誌や本の拡販の仕事もあったし。
けれどいろいろな事情でそれがダメになり、
じゃあ、どこか他に行こう、ってなった時に、
「よし、プラハだ!」って。
── チェコにハマってた、という理由で?
shino よく聞かれるんです、
17年も住みつづけているけど、
そもそもなんでプラハなの? って。
なぜかっていうと、そこには
「昭和」があったからなんですよ(笑)。
── 「昭和」って?!
shino 新幹線は要らないけど、
ちんちん電車は必要という暮らし。
── うんうんうん。
shino 自分の家に電話はなくていいけど、
公衆電話くらいはあるという暮らし。
── いろんなものから縁を切って旅立つにあたって
便利すぎる場所じゃないところという意味で、
でもまったくのむかし風の
暮らしでもないということころで、
当時のチェコのテクノロジーは
ちょうどいい按配だったんですね。
shino そう。そして、まだなんかすごく小さいことで
人を幸せにしてあげられるなっていう雰囲気が
当時のチェコにはありました。
チョコレート1枚でも
みんなが幸せになれる、みたいな。
── もう自由国家になっていたチェコですよね。
shino はい。初めて行ったのが1990年の1月。
革命があったのが89年の11月です。
── ほんとうに、直後ですね。
shino はい、それで、住むって決めたのが91年です。
もう楽隠居で行こうかと。
── 楽隠居。
当時の物価は相当安いでしょうけど、
どういう計画を立てたんですか。
shino その頃は、まだ雑誌をつくってたので、
2ヶ月向こうにいて
1ヶ月日本に帰ってきて編集の仕事をしました。
日本でもらったお給料で
むこうで十分暮らせたわけです。
── すごい。ある意味、
若いですよね、発想がね。
でも、いつまでも、
続かないんじゃないですか。
shino そうそう。
それでも2年は過ごせるだろうと、
30歳にして、考えていました。
だけど、2年経ったら
全然帰る理由も見つからなかった。
まだ物価も安かったし、
それで、家に電話をかけて、母に、
「2年経ったんだけど、
 まだ帰るのやめようかと思う」
って言ったら、
「そうね」って言われて(笑)。
── ありゃ(笑)。
shino なんにも引きとめられなくて。
「どこにいても同じよ」って。
── いいお母さんだ。
shino

そうなの。それで、
「そうよね」って、
そのままいることにしたんです。

(その2に、つづきます)


2009-11-01-SUN

 
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shinoさんチョーカー展

2009年11月2日(月)〜7日(土)
OPEN 12:00〜18:00
イオグラフィック
ショップ アンド ギャラリー

東京都世田谷区駒沢1−2−31
駒沢自由通りビル1階
TEL:03-5721-0141


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