── |
カンボジアでは、いかがでしたか。
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堤 |
穏やかだったスリランカとはちがい、
プノンペンの街には、
ものすごいエネルギーを感じました。
近代化された首都から少し走った田舎では
巨大な毒グモの唐揚げを食べました(笑)。
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── |
え‥‥。
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堤 |
みんなに「何で食べたの?」って聞かれたんですが、
なんというか‥‥
『なるほど・ザ・ワールド』的なノリで(笑)。
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── |
そんな懐かしいノリで‥‥。
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堤 |
到着の翌日には
プノンペンから6時間ほど泥道を走った先にある
ちいさな村へ、図書館を見に行きました。
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── |
どのような図書館でしたか?
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堤 |
まず、スリランカのときと同じように、
子どもたちが、あたたかく歓迎してくれました。
ここの図書館も、とてもちいさな空間でしたが
みんな、率先して授業に参加しています。
授業が終わったあとも、本を読み続けているし、
お絵描きだって、みんな「本気」なんです。
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── |
ちいさいけれど、熱気にあふれていた。
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堤 |
先生がたに頼まれて
図書館の壁にスケッチトラベルの絵を描きました。
「この図書館は、子どもたちにとっての希望です。
その希望が
スケッチトラベルというプロジェクトによって
建てられたということを
ずっと、覚えておきたいから」って。
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── |
それは、うれしかったでしょう。
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堤 |
涙が出るほど舞い上がりました。
でも、うれしい反面、
ずっと感じていた「イガイガ」や「ゴリゴリ」が
さらに大きくなっていって‥‥。
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── |
本当に、大きなジレンマだったんですね。
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堤 |
その夜、食事をしているときに
「Room to Read」のカンボジア支部長が
こう教えてくれました。
「これまで、この学校の子どもたちには
年間3冊の本しか、与えられませんでした。
だから、その3冊を
何度も何度も読んで暗記するんです。
でも、暗記することだけでは
学ぶことにはなりません。
学ぶというのは、
感じたり、考えたりすることですよね。
暗記することしかできなかった子どもたちは、
図書館ができて、
いま、本当の意味で学ぶことができます。
子どもたちはみな、
本を読むことの楽しさを噛みしめています」
「大虐殺が行われたポルポト政権のとき、
この国は、人口の4分の1を失いました。
おそろしい数の人が死んだんです。
都市は復興しているように見えますが、
傷が本当に癒える日は、まだまだ遠いでしょう。
国のいちばんの財産は何でしょうか。
お金でも資源でもない。人です。
この国は、あまりに多くの人的資源を失った。
インテリ層は、とくに一掃されました。
だから、この国では
教育にこそ、いちばんのプライオリティが
置かれなければなりません」
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── |
重い言葉ですね。
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堤 |
はじめは穏やかだった支部長の目は
こちらが食事の手を止めてしまうほどの迫力でした。
そして、そんな彼の情熱がヒシヒシと伝わってきて
ぼくは「恥ずかしく」なったんです。
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── |
‥‥と言うと?
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堤 |
子どもたちのために図書館を建てることは
いいことかもしれないけど、
現地の人にとっては、そこで終わりじゃない。
建てられた図書館は
しっかり管理・運営されなければならないし、
その先には「教育の確立」があり
そのさらに先には「国の復興」があります。
ただ図書館を見て感動しただとか、
あの「あそび」の意味を見い出そうとしていた
自分が、恥ずかしくなったんです。
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── |
‥‥なるほど。
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堤 |
次の日、半日アンコールワットを見学して
プノンペンに戻りました。
翌朝から、カンボジアのアーティストたちと
絵本のワークショップがはじまりました。 |
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── |
スリランカのアーティストたちとくらべて
何かちがいって、ありましたか?
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堤 |
いちばんは「年齢層」ですね。
スリランカは年齢層が幅広かったんですが
カンボジアの絵本アーティストは
若い人ばかりでした。
そのときには考えが至らなかったのですが
じつはここにも、
カンボジアの歴史が反映されていたんです。
つまり、ポルポト政権では
知識層とともに
アーティストたちが一掃されていたんです。
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── |
つまり、ある世代のアーティストが
すっぽり、いない?
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堤 |
はい。特定の年代にアーティストがおらず、
そして、本来ならば、
「その年代の影響を受けるべき次の世代」にも
アーティストが育っていないんです。
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── |
‥‥そんなことが。
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堤 |
だから、カンボジアでのワークショップもまた、
たいへん思い入れのあるものになりました。
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── |
そうでしょうね。
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堤 |
ひとり、気になるアーティストがいました。
彼は、コサルという名の小柄な男性で、
あまり英語ができないからか、
ほとんど発言もせず、
つねにムスっとした感じに見えました。
何度か話しかけたんですが、反応もイマイチ。
絵が上手だから褒めても、ニコリともしない。
スリランカのヒゲ面のおじさんともちがって、
なんだか、つねに緊張しているような‥‥。
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── |
へぇー‥‥。
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堤 |
ワークショップは2日間だったんですが、
はじめはシャイだったアーティストたちとも
いっしょに絵を描くと
あっと言う間に打ち解けあえるんですね。
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── |
でも、コサルさんは、ムスッと。
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堤 |
最終日の午後の休み時間、
ぼくがひとりでバルコニーに座っていると、
となりに、
ちょこんと座ってくる人がいました。
無口のコサルでした。
みんなが打ち解けあって楽しんでいるなか、
コサルだけは
まだ、あまり表情を見せていませんでした。
だから、彼が、いきなり隣に座ってきたので
正直、戸惑ってしまいました。
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── |
ええ、ええ。
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堤 |
ぼくは「どうしたの?」と聞いたんですが、
彼は黙ったままです。
「ワークショップ、役に立てているかな?」
とか、気まずい雰囲気なので
なんとか話題をつくろうとはしたんですが
あまり反応をしてくれません。
そのうちに、休み時間が終わりました。
そのとき、教室に戻ろうとしたぼくに、
コサルが急に、日本の、ノンプロフィットの
チャリティ団体の名前を口にしたんです。
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── |
はい‥‥日本のNPOの名を。
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堤 |
午後のプログラムがはじまる時間でしたが、
彼は、たどたどしい英語で
次のようなことを
本当に一生懸命に話してくれました。
「ぼくはとても貧しい農家に生まれました。
きょうだいは8人いますが、
ぼく以外の誰も高校には行っていません。
ぼくが中学を卒業したときも
進学という選択肢はありませんでした。
でも、そのとき、
ある日本の福祉団体がスポンサードしてくれて、
高校に行くことができたんです。
小さいころから絵を描くことが好きだったので
高校で絵を習いはじめ
こうして、夢に見ることさえもなかった
絵本のイラストレーターになれたんです」
完全に理解できたわけではないと思いますが
彼は、そんな話をしてくれました。
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── |
へぇー‥‥。
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堤 |
「I WANTED TO TELL YOU THIS.」
そのことを話せてスッキリしたのか、
この2日間、
ずーっとムスっとして無口だったコサルが
はじめて笑顔を見せてくれたんです。
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── |
日本人の堤さんに、伝えたかったんですね。
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堤 |
その団体とは、ずっと連絡を取っていないって
コサルは言っていました。
たぶん、コサルの進学をサポートした人は
自分のお金の行き先を、知らないかもしれない。
勝手な想像ですけど
スケッチトラベルの寄付金みたいに
「気まぐれな寄付」だった可能性もあると思う。
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── |
はい。
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堤 |
でもコサルは、こうして立派になっている。
カンボジアの若きイラストレーターとして、
子どもたちのために、絵本を描いています。
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── |
ええ。
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堤 |
コサルの絵本を読んで、絵本のたのしさを知り、
なかには
彼のようにイラストレーター を目指す子たちも
出てくるでしょう。
だから、コサルが受けとった寄付金は
コサルひとりじゃなく
この国の将来へつながる道を開いたんだと思う。
そう思ったら、
ずっと感じていた「イガイガ」「ゴリゴリ」が
シュワーっと消えていくような気がしたんです。
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── |
なんだか、わかります。
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堤 |
訪問を終えると「Room to Read」のスタッフが
空港まで送ってくれたんです。
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── |
ええ。
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堤 |
そのとき、
「世界には、助けの必要な国がたくさんあります。
でも、こうしてカンボジアに来てくれた。
今すぐではないだろうけど、
あなたたちが数日間、来てくれたことは
カンボジアの将来に
大きな意味をもたらすと信じています」って、
そんなことを、言ってくれました。
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── |
たまたま、だったのに。
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堤 |
そう、ぼくたちは、たまたまカンボジアに行った。
決して「選んで行った」わけじゃありません。
でも、たまたま行ったあの国で
「Room to Read」の支部長やスタッフたちは、
人生を捧げて、
カンボジアの未来のために、闘っていました。
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── |
はい。
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堤 |
その活動に捧げられた情熱や信念は、
ゆたかな先進国で暮らすぼくたちにとって、
まぶしい光を放っていました。
まさに「ライフワーク」だと思いました。
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── |
ひとつの世代では決着のつかない問題だって
たくさんありますものね。
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堤 |
でも、彼らの「ライフワーク」は
スケッチトラベルの寄付金があろうとなかろうと、
そんなことと関係なく、
軸がぶれることなく、着々と続いていくでしょう。
だから、自分たちの意図がどうだとか、
彼らの感謝に値するのかとか、
そういうことに悩んでいた自分は
なんて、ちいさいんだろうと思いました。
どうして、彼らの「ライフワーク」に
参加させてもらったことに
素直に感謝できないんだろうと、そう思ったんです。
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── |
なるほど。
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堤 |
スケッチトラベルにも参加してくれた
フレデリック・バックというアーティストがいます。
ぼくがいま、もっとも尊敬する人なのですが、
彼は
「自分の才能を
世の中に光をともすために使いなさい」
と言いました。
そして、今回の旅のあいだにも
バックさんみたいに「光を灯し続ける人たち」に
たくさん出会うことができました。
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── |
スリランカや、カンボジアで。
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堤 |
はい。
彼らは、スケッチトラベルなんかなくたって
何度も諦めることなく、
力強く光りをともし続けるだろうと思います。
ぼくらの寄付金がなくたって、
どうにかして、図書館を建てたにちがいない。
そんなふうに、思いました。
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── |
堤さんの考えが、めぐりめぐって
そういうところにたどり着いたってことが
すごくおもしろいな、と思います。
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堤 |
7年前、パリではじまった
ぼくたちの「あそび」は
行き当たりばったりを繰り返して
幸運にも、彼らの「ライフワーク」に
間接的に参加することができました。
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── |
はい。
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堤 |
だから、スケッチトラベルって
そういう「あそび」だったんじゃないかなあと
いまは、そう思っています。 |
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<おわります> |