新聞をとってない人々

第1回 何かが道をやってくる 

私の心には今、不安が雨雲のように広がっているのです。

幼稚園の頃、母親が胆石で入院しました。
その時の不安な気持ち。
いるはずの母親がいない、がらんとした家の中。
当たり前のことが、当たり前でなくなっている怖さ。
それを私は思い出しています。

申し遅れました。
私は小さな税理士事務所に勤める33才の男です。
恥ずかしながら、まだ独身です。

私の不安な日々は、先月のあたまから始まりました。
久しぶりの高校の同窓会。
2次会は、仲のよかった4人組で居酒屋に流れました。
石田。鈴木。大西。そして私。
みんなサラリーマンになっていました。

楽しい夜でした。
仕事の毎日を離れて、好きなことを話せる楽しさ。
私達はみな、SFファンだった高校時代に戻っていました。
終電まで飲んで、みんなで総武線に乗り込みました。
まだ喋り足りない私は、
新聞で読んだ星新一の追悼文のことを語ろうとしました。
そこで、隣に座っている石田に、
「読売、とってる?」と聞いたのです。

石田は、ちょっととまどったような顔で、
「いや、俺、新聞とってないんだ」と言いました。

え? 私は驚きましたが、
そんな時それ以上聞いたりできないのが
内気な私のくせなのです。
「鈴木、読売とってる?」なにげに驚きを隠して、
今度は鈴木に聞きました。
「俺もとってないよ」

その瞬間。私には彼らが20光年も急に
遠ざかったように思えました。

「じゃ、じゃあ大西は?」
すがるように、私は大西に問いかけました。
その時、電車が新宿駅に入りました。
彼らは乗り換えのために立ち上がりました。
「また会おうぜ」と、手を軽く振って。
「大西」
私はドアを出ようとする大西に思わず呼びかけました。
「とってる?」
大西が左右に首を振ると同時に、
ドアがプシューと閉まりました。

(新聞をとってない?)
ひとりシートに残った私は、あぜんとしていました。
そして、母の胆石のことを思い出したのです。
(なんで、新聞をとっていないんだ!)
(新聞とるのは常識だろ?)

「新聞をとっていない人たちがいる」
その夜、私はその戦りつの事実に気がつきました。
そしてその夜から、
私の不安と追求の日々が始まったのです。
(第1回了)

1998-06-07-SUN

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