新聞をとってない人々
ヨーダさんは、がく然とした。
こんなにも、新聞をとってない人々が、いるのだ、と!
こんなふうに、世の中は、知らぬ間に
ちょっとずつ変化しているんだ、と。
あなたもひょっとして、そうですか?
だったらその理由が知りたかったのだ。

第10回 新聞記者へのインタビュー

新聞をとってない人々のことを、
新聞を作っている人々はどう考えているのでしょう?
新聞をとってない人々巡りの最終回として、
さる大新聞の現役記者へのイン タビューをお送りします。

新聞記者が外部へ意見を公表する場合は、
社内で届けを出したりして
手続きを踏まなくてはならないそうです。
そんな面倒なことはすっ飛ばして会ってもらったので 、
社名氏名は内緒です。
インタビューを受けてくれたのは、
ある大新聞の文化面を担当している男性の記者さんです。

喫茶店で初対面の記者さんと会いました。
彼の年齢は30代半ばという感じ。あたま良さそうです。
成績も良かったんでしょうね。優がいっぱいあって。
私なんか優3っつくらいしかなかったからな。
しかも留年してるし。
なんて、ちょっとひがんだ気持ちもあったんですが、
話してみるとその記者はたいへん内省的で
丁寧な話をしてくれました。
送り手の新聞記者もまた、
新聞のあり方に大きな危機感をもっている。
少なくともこの人はそうだったのです。

では、どうぞ。

―新聞をとらない人は増えているんですか?

「統計的にはまだ購読数は横ばいだと思うんですけど、
特に若い人が宅配をとらなくなっているという印象が
ありますね。
これから20〜30年間というスパンで考えれば、
全国的な宅配が成り立つかどうか、
ということが新聞社の最大の問題になると思います」

―はあ〜、やっぱりそういう危機感ってあるんですね。

「今までのような全国紙が求められ続けるか?
ということがまず問題ですね。それは日経新聞が
登場した時から顕在化してきたと思います。
日経には経済記事だけではなく政治社会面も
ありますから、ビジネスマンは日経一紙を読めば
足りるという人が多いんじゃないでしょうか。
そういう、より専門化した新聞が伸びているわけです。
それから地方紙の充実という状況もあります。
地方紙は印刷技術も進んで紙面も立派になって
いますし、全国紙的なニュースも報道しています。
だから地方紙をとれば、全国紙は必要ない
ということも言えるようになってきているんです」

―スポーツ新聞だって、ある程度社会的な記事も
載せてますよね。
それじゃあ そういう専門化した新聞が、
全国版的なニュースも取り入れることによって、
全国的な宅配の上に成り立つ大新聞を
脅かしつつあるわけですね。
なんでそういう状態になっていったんですかねえ。
それは読者の興味が細分化したっていうことなんですか?

「そうですね。しかし、細分化している原因は、
根本的には社会の全体像というものが、
自分の中で納得して消費できるような情報量では
なくなってしまったということではないでしょうか」

―ああそうか。情報量が多すぎて
食べきれなくなったってわけですね?

「全部を取り込んだらパンクしてしまうほど、
全社会的な情報量が膨らんでしまった。
そして一方では情報も選べるように
なってきているわけですから、
自分に必 要な情報だけを抜き出していくという
あり方を取らざるおえないのではないかと思います。
いやおうなしに。
今という時代は、社会の全体像を見なくても
生活を成立させなくてはならないような
環境になっているんじゃないでしょうか。
今、インターネットのホームページや
パソコン通信などで、新聞記事の検索ができるんです。
それを使うと、過去の特定ジャンルの新聞記事が
まとめて読めるんです 。
そうなると毎日のトップニュースはテレビで見て、
新聞は興味のある事項を
インターネットで検索してまとめて読む、
というように新聞の利用の仕方が
変わってくることもあるわけです」

―サッカーのワールド・カップだって、
あの大会の全貌を把握するだけでも
学問するみたいに覚えることが多いですからねえ。
夢中になったら、同時にプロ野球を追いかけるまで
手がまわらないもの。
まして社会の全体像となったらお手上げなんでしょうね。
でも全国紙というのは、それを使命としてるわけですよね。

「そうですね。
あくまでも社会の全体像を伝えようという
立場なんです。
でもそのニーズが失われつつあるのかもしれません」

―世の中は激変してるんだなあ。
私の田舎のおじさんなんかは、今でも新聞を
端から端まで読むのを自慢してるんですけどねえ。

「今は、そういう昔のような教養主義的な
新聞の読み方は完全に崩れてきてますよね。
新聞はとりあえず取るべきだ、とか、
今時新聞も読まないで、というような
かっての常識感覚はなくなりつつあるんです。
新聞をめぐる状況は大きく変わってきているんです。
第一ゆっくりものを読む余裕が失われているでしょう。
情報量が膨大になるとともに生活も
忙しくなってますから。
新聞って、じっくり読めば
2〜3時間はかかる作りになってるんです。
でも、そんなに読んでるビジネスマンは
いないんじゃないかな。
むしろ学生のほうが勉強とか就職とかの必要で
じっくり読んでいる人がいるかもしれませんね」

―新聞をとってても、じっくり読んでいるとは
限らないってことですね。
万事手っ取り早くやってくれって感じに
なりつつありますよね。
なんでも家電がワンタッチでしてくれるしなあ。
かってはお父さんが新聞を広げて読んで、
家族はお父さんから世の中の動きを教わって感心する
みたいなのがあったんでしょうね。
今は子供や奥さんのほうが情報を知ってたりしますからね。

「さらに言うと、今の人、特に若い人の心のありようが
変わりつつあるという気がするんですよ。
宮台真司さんの本などを読んで思うんですけど、
今の若い人は仲間内には関心があるけど、
その外部の他者には興味がなくなっているんじゃないか
という疑問があるんです。
そうなると、他者に対する関心のないところでは
メディアは成り立たないですからね」

―赤の他人がどうしたこうしたっていうのが
ニュースですもんね。
なんかあんまり情報量が大きくなると、
体がついていかない感じがしてきませんか。
脳みその中だけで終始するみたいな。
そうすると感情って
発生のしようがなくなるんじゃないですかね。

「想像力もなくなりますよね。
他人が何を感じているかって想像力で
とらえるわけですから」

―だから今テレビでは猿岩石みたいな体験ものが
流行ってるんでしょうね。
体の感覚に飢えてるのかもしれないですね。
脳どまりのことが多すぎるから。

「外部に対する関心のないところにニュースを
送ってみても、仲間内の冗談のネタにされる
だけでしょうからね。
そういう心のありようの大きな変化が
全体で起こっている気がします」

―なるほどなあ。全国紙の新聞社って大きな会社だけど、
もっと巨大なゴジラみたいなものが押し寄せているという
感じですね。
それで新聞社はどう対処しようとしているんですか。
そういう全体像の把握の困難さとか、
新聞を読む時間が失われるほどの忙しさとか、
他者への関心が希薄になっているといったような
大変化にどう立ち向かうんですか?

「それはやはり社会の全体像を伝える、
という原点を手放すわけにはいかないん です。
それが存在意義ですからね。
でも、社会の変化のせいだけにできるわけじゃない。
新聞の現状にも反省するべき問題はもちろんあります。
作家の辺見庸さんは以前は
ジャーナリストなんですけど 、
今の商業ジャーナリズムにはテーマがない、
と書いているんですよ」

―テーマっていうのは、
つまりみんなが社会全体への
関心を持つようになる切り口ですね。

「そう。でも今はテーマがないのではなくて、
本当はあるのに気づかないか、
気づかせないようにしていると言うんです。
本来ジャーナリズムは、 読者を立ち止まって考えさせる
くらいまでのものを与えるのが仕事だったのに、
今は単に消費するためだけにニュースを
アウトプットしているだけだと批判しています。
その批判は正当だと思うんです。
やはり社会の全体像を把握するテーマというものは
あるんだと思います。
すぐにこれだとは言えないですが。
新聞を作る側がそういう問題意識を持てなければ、
どんどん新聞離れは進むしかないと思います」

―全体像につながる視点がないと、
どんなに専門化してもおたくですもんね。
おたくってダサイってイメージだけど、
一見カッコイイおたくだっていると思うな。
そういう意味では、新聞自体が巨大な
おたくになることだってあるかもしれないですよね。
新聞社って読者がどう見てるかってよく分ってるんですか?

「新聞社の中にいると、巻き込まれていくのは
やはり他社とのニュース戦争ですよ。
それはもちろん大事なんだけど、
そうして送られていくニュースが
果たして読者の求めるものか、
ということを確かめられずに
巻き込まれていっているのも事実です。
投書とかアンケートなどである程度は分るけれど、
ホントのところはよくは分らないんですよ。
視聴率もないし、反応が掴みにくいところが
あるんです。
そこが読者の感覚と離れてしまう
原因のひとつかもしれません。
新聞の文体にしても今の人たちの
言葉の感覚とはずれ始めているんでしょう」

―でも、私はけっこう新聞って好きなんですよ。
インターネットの新聞とか、
最近モバイルで小さな画面で見る
デジタルの新聞ってあるけど、
やっぱり紙に印刷してあるのが一番読みやすいですよ。
宅配も楽でいいってこともありますよね。
テレビは分かりやすいけど、
紙で読むっていうことの良さは捨て難いと思うんですけど。

「新聞の良さは一覧性というところにもあるんです。
関係ない記事も目に入るっていうところですね。
新聞や雑誌というのは、
表現形式として人間にとっていいものだと思いますね。
紙のメディア自体が悪いとは思えませんね」

―それぞれのメディアが、
それぞれの特長を活かしてめいっぱい
生き生きしてくれれば一番いいんですけどね。
イトイさんのもののけ姫のコピーみたいだけど。
なんか、まとめてしまいましたね。
今日はありがとうございました。

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1998-07-22-WED

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