2017年秋に誕生した「ほぼ日5年手帳」。
この手帳が生まれたきっかけと、
「5年間を記録する」ということについて、
糸井重里が、いまの思いを語りました。
「ほぼ日の10年日記」のようなものを
作ったらどうだろう、という話は
これまでも折に触れて出ていたんですよね。
ぼく自身、「気まぐれカメら。」に載せていた
犬の写真を見ていても、
「あの頃は若かったなあ」とか
「この年はまだ、これをやっていなかったんだな」
なんていう変化があったりして、
ほんの1、2年前を振り返るだけでもおもしろい
ということはずっと感じていました。
それに、ぼくは
昔のほぼ日手帳を読み返すのがわりと好きなんです。
あとから見ると、いろんな変化や意外なヒントを
発見できたりするんですよね。
だから、そういう「毎日のちょっとずつ」が
何年ぶんか溜まっていったら
おもしろくてしょうがなくなるぞ、って思ったんです。
ただ、今の時代でいう「10年先」や「10年前」は
遠すぎるし、変わりすぎてしまって、
あんまり実感がわかないんじゃないか、とも思いました。
むしろ、その半分の「5年」だって、
ずいぶん大きな変化があるわけでしょう。
現代の時間の感覚でいうと、
「10年ひとむかし」じゃなくて、
「5年ひとむかし」になっているんだよね。
「5年で1冊」にしたのは、そんな理由からです。
日記としての使い方だけじゃなくて、
ほぼ日手帳みたいに、メモをとったり
持ち歩きながら書くこともあるだろうから、
「5年日記」じゃなくて「5年手帳」としました。
春に進学のお祝いをもらったとか、
近所に金木犀が咲いていたとか、
台風がくるのが今年は遅かったとか‥‥。
5年間の小さなできごとや変化が
この中に入っちゃうのは
なんだかすごくたのしいし、
読み返したときには
「ああ、自分が生きているなあ」って
実感できると思うんですよね。
そして、書いているうちに
自分のことがおもしろくなると思うんです。
よく「ほぼ日の対談に出てくる人は、
おもしろい人ばかりですね」なんて
言われることがあるんですけど、
本当は、どんな人でもおもしろいんですよ。
自分のおもしろさに気づいたり、
自分自身に興味を持ってみたりするのも、
たのしいことだと思います。
5年間という長さは、
たとえば20歳の人なら
人生の「4分の1」。
50歳の人だとしても、
人生の「10分の1」を占めるわけです。
そう考えると、
「人生分の5」を残すって、
すごいことなんですよね。
これを使い切ったときには、
きっと自分を褒めてあげたくなるんじゃないかな。