その1気持ちのいいものがつくりたい。

いきなり木工の仕事に就いたわけではないんです。
父がやっていた食品会社を継ぐことを目標に、
大学は経営学部で学び、
卒業後は修業として、とある企業で
財務と経理の仕事をしていました。
けれどもそのうち事情が変わって、
父の会社を継がなくてもよくなったんです。
ぼくが28歳のときのことでした。
そこで初めて「自分は何がしたいんだ?」と考えました。

絵がとても好きで、
大学のときも美術部で絵ばかり描いていました。
でも28歳で絵描きを志すのは、
あまりに現実味がありません。
そもそもどうやったら絵で喰っていけるのかわからない。
そして、絵が好きなくせに、
絵に対してひとつの疑問があったんです。
それは「視覚に頼る」ということでした。

ぼくはとても目が弱いものですから、
視覚に頼らない表現の仕方はないだろうか、
ということを考えました。
そのとき「木の椅子」が思い浮かんだんです。
木の椅子って見た目とは別に、
心地いい椅子は心地いいですし、
たとえ五感が失われても、心地いい椅子に座ったら、
なんとなく気持ちがいいと思うんです。
そのことを面白いと感じたのが、
木を使ったものづくりへの入り口(はいりくち)でした。
絵で表現してきたことを、木を削って表現してみたら、
何かが生まれるかもしれない、と。

木という素材を選んだのは、
祖父が「木型屋」だったことが
関係しているかもしれません。
昔は車のエンジンなどをつくるのに、
まず木で型を作ったんだそうです。
それを鋳型にして金属を成形していくわけです。
それが「木型」です。
祖父は、大手の自動車メーカーの
エンジンの木型を作っていました。
ぼくの父が、一時期祖父の工場にいたことがあり、
ぼくも「木の仕事はいいぞ」と聞かされていたんですね。

そうして「木の椅子」をつくろうと思ったものの、
まずは技術を習得しなければなりません。
それで職業訓練校に入りました。
オーソドックスですが、最低限度の技術は学べるだろうと。
ただ実際入ってみると、勉強できることは
ほんとうに基礎の基礎。
最初の半年はカンナの刃研ぎしかやりません。
これだと時間がかかってしまうと思い、
学校の近隣の木工房を探して、
勉強させてください、と門を叩きました。
学校が5時で終わるので、そのあと木工所に行き、
8時くらいまで手伝いをします。
そのあと、それ以後の時間もやっている木工所に、
ハシゴをして、勉強させてもらうんです。
それを夜中の3時くらいまでやって、
家に戻って仮眠をとって、朝また学校に行く。
木工所も、最初は掃除と草むしりです。
それで信用ができたら中に入らせてもらう。
父親が食品関係だったこともあって
ぼくは料理がとても好きで、たたき込まれていたので、
「まかないをつくります」なんて、
親方に気に入られるとこからスタートしたんです。
そのうち「お前の焼くお好み焼き、うめえなあ。
お前、ちょっと木も触ってみるか?」なんて、
いろいろ教えていただくようになりました。
そんな暮らしを1年続け、学校を修了したあとは、
さらに1年、木工所で技術を習得しました。

2年経って独立して、
ようやく子どもの椅子をつくることができました。
「子どもがいたんですか」って聞かれますけれど、
当時ぼくは独身で、
子どものいる環境ではありませんでした。
でも「なんとなく」つくりたかった。
けれども、つくってみたものの、
仕事になる(お金になる)はずもなく、
試作品が貯まっていくだけでした。
やっとその椅子がほんとうに子どもの手に渡るのは
ずっとあとのことでした。

椅子のサンプルがたまっていく間に、
結婚して、子どもができました。
その子どものためにつくったのが、
木の、離乳食用のスプーンなんです。
これがぼくのその後の仕事を、
決定づけることになりました。

(つづきます)

2016-05-20-FRI