この春、はじめて自分専用の「登り窯」をつくり、
手びねりの作品を完成させた福森道歩さん。
登り窯での焼きものというのは、
土、火、空気というつよい「自然」に人が立ち向かい、
ともにつくりあげるもの。その歴史はふるく、
なかでも今回道歩さんがつくった
登り窯のなかでもシンプルな窖窯(あながま、穴窯)は
須恵器の時代からつづく伝統技法です。
どんなふうに焼き上がるのかは、気候そして火の加減、
その見極めによっておおきく変わります。
陶芸をなりわいとする人にとって、ひとつの試金石であり、
次のステップへの大きな一歩。
そんな挑戦をした福森道歩さんに、
4月10日(金)からスタートの
TOBICHIでの展示を前に、お話をききました。
自分の名前で作品をつくるようになって、
「いつ登り窯をやるんですか」
と訊かれることがふえました。
「いつ、自分の窯を持つの?」と。
登り窯というと、
傾斜地に、いくつかの焼成室が
つながっている連房式のものが有名ですが、
わたしが今回つくったのは、
窖窯(あながま、穴窯)とも呼ばれる、
もっとシンプルで古代からあるタイプの窯です。
昼夜、何日にも渡って薪を投げ入れ、
火の流れを作り、焼き上げていく方法です。
人にはコントロールすることができない
土、火、水、風などの自然が相手ですから、
どんな焼きものができあがるか、
予想がまったくできないんですが、
それだけに、唯一無二のかたちや焼き色、
景色が生まれるおもしろさがあります。
わたしは、ふだん、「土楽」のガス窯を使っています。
ろくろをひき、削り、素焼きをして、
釉薬を作り、かけ、本焼きをします。
けれども「土楽」の仕事は、かたちをつくる職人と、
釉薬をかけて焼く職人は別なので、
火の按配は「お任せ」なんですね。
けれども、陶器をやっている人は
みんなそうだと思いますが、
火のことにもっとかかわりたくなる。
そして、ガスよりも難しいと言われる
「薪」(まき)に挑戦したくなるんです。
ずっとその思いがありました。
だから窯も、自分で築(つ)こうと思っていたんです。
そのための煉瓦も買っていたんですが、
もう何年も──5年も10年も前から言っているわりに、
その時間がとれずにきました。
そんななか、隣町の信楽(しがらき)で、
窯屋さん兼古道具屋さんに会うんです。
ご自身でも小っちゃな窯を作ってはって。
人ひとり入れるかどうかの、
ほんとうに小っちゃい窯やった。
これなら自分でもできそうやなぁって、
その方に相談することにしたんですね。
自分もまだ、大きな壺を焼くわけではないし、
私が1人スッと入れるくらいの大きさでつくろう、と。
土楽にも、父(福森雅武さん)が築いた登り窯があります。
けれども、それは、数メートルある大きなものですから、
焼きあがるまでに5日から1週間かかる。
どんなふうに焼き上がるのかは、気候、そして火の加減、
その見極めによっておおきく変わりますし、
焼いている間は交代で寝ずに
火の番をしなければなりません。
さすがに、それは私の手には余るものですし、
それがやりたいというよりも、
焼きものを「焼く」ということに、
もっと深く関わってみたい、ということが動機です。
焼くって、どういうことなのか?
それを自分で理解したかった。こればかりは、
人の窯を手伝っていても、わからないことなんです。
自分でやらなきゃ絶対わからない。
窯詰めから、自分でやらなきゃ。
父は、それでもオープンなほうですから、
その技術を見て覚えることもできるのでしょうけれど、
それでも、作品を出す時は、そばにいるのを嫌がります。
登り窯というのは、作陶をするものにとって、
とても個人的なものなんです。
そうして登り窯を築く決意をしたのが2014年の8月。
できあがったのが11月です。
同時に、その窯で焼くための作品をつくり始めました。
それまで作っていたのは、釉薬ものばかり。
けれども登り窯は、薪ですから、自然釉といって、
かぶった灰が溶けて釉薬のかわりになるのが特徴の
「焼締め」(やきしめ)をやりたい。
もちろんガス窯でも、釉薬を工夫して
「それらしい」ものができたりもしますが、
料理の言葉でいえば、ちょっと余分な調味料を入れて
おいしさをごまかしてしまったな、という気持ちがある。
やっぱり自然に、何が出るかわからない、
そういうことをやりたくなるんですね。
窯のなかで火がどう走るのか、
いままで見られなかったことも
登り窯では見ることができます。
対話ができるっていうんでしょうか、
器とやっと近くになれる、そんな感覚があるんですね。
そんな体験を通じて、
「本当に自分のものができてきている」
という実感を得ることができました。