なかざと・たき 1965年生まれ。 1988年 「隆太窯」にて、 父である中里隆氏のもとで焼き物を始める。 柿傳ギャラリー(新宿)、伊勢丹(新宿)、 万葉洞(銀座)などで個展多数。 隆太窯の公式サイト |
父(中里隆さん)に弟子入りしたのは 大学を出てすぐ、22か3のときです。 子どもの頃から、父からは、 中学卒業したらやきものをやれって 言われていたんです。 どうせお前、勉強が嫌いだから、 高校行かなくていいぞと。 でもやっぱり、高校ぐらい行きたい。 それで高校に行って、 体育会でヨットをやったら、 高校生のヨット人口というのは少ないですから、 全国大会に行けるまでになったんですね。 その推薦でこんどは大学に入ることになりました。 ▲隆太窯の工房にて。 高校のときは自分も やきものはしないって言ってたんですけど、 大学に行って、だんだん気持ちが変わりました。 理由は、食事です。 体育会の合宿とかって、ひどい飯なんですよ。 プラスチックの器にご飯がついであって、 それに野菜炒めみたいなのがどかっとのっかってる。 それをかきこむようにして食べる。 ‥‥2、3分で終わっちゃうんです。 それまで、毎日まいにち刺身という 家の飯がイヤだったはずなんですよ。 大人たちはだらだら酒飲んで、 毎日お客さんがいらして、 お弟子さんもいて、毎日が宴会だった。 それがたまらなく嫌だったはずなんだけど、 たまーにね、東京から夏休みに帰ってくると、 あれ? って思うんです。 刺身があって、酒があって、 器はプラスチックじゃない、やきもので。 ‥‥ああ、いいなあと思って。 ▲隆太窯の工房は天井がたいへん高く、 大きな窓から明るい光がさしこんでいました。 天井付近の壁には大きなスピーカーがあり、 クラシックがおだやかに響いてます。 大学卒業後、家にもどりました。 バブルの時代ですから、同級生はみな いいところに就職していくなか、 僕は実家にもどって修業を始めました。 そのころ、遊びに来た友人が驚くんですよ、 みんな就職していい給料貰ってるときに 小遣い銭程度しか貰えなくて、 ずっと薪割りしてる僕を見て 「よくやってるなあ」って言われました。 ▲ろくろ中。 手にしているコテは「牛べら」。 かたちが牛の舌に似ていることから、 そう呼ばれるようになったそうです。 修業を始めて1年ぐらいして、 すこし悩みが出ます。 お皿がやっとできるようになったくらいの時期です。 中里の家に生まれたからといって やきものをやっていていいんだろうかと。 それで、ちょこっと家を飛び出すんですね。 けれど、結局、どこへ行っても やきもの屋を覗いてしまう。 そうすると、みなさん、 父のことを知ってるわけです。 こうしていくら飛び出したところで、 結局どこ行っても中里の名前が付いてくる。 ならば、そんなことで悩んでもしょうがないと 思うようになりました。 ▲敷地内にいろいろな種類の窯があります。 小さい頃から窯焚きは好きでした。 といっても、じゃがいも持ってって、 砂に埋めてゴハンにしよう、というような “好き”だったんですけれど。 やきものと料理は、もちろん関係がありますよ。 たとえば魚を焼くも、やきものを焼くも、一緒です。 やきもの屋になるために必要な条件は 焼き魚をうまく焼けることと言ってもいい。 弟子が料理をするじゃないですか。 やきもの、揚げ物は熱いうちに出したいという 父の意向があるから、その場で焼いて出す、 その場で揚げて出す、 っていうようなことをするんですね。 あれも、感性があるんです。 余宮君はもうバツグンにうまかった。 こいつはやるなあというくらいにうまかったです。 魚が焼けないやつは、 もう、いっつも怒られているんですね。 「いちいち、いちいちひっくり返すな」って。 魚は、じーっと待って、こんがり焼け目が付くまで 動かしちゃいけないんです。 ひっくり返すタイミングを知るには、 音とか、香りとか、 そういう五感を働かせないとだめなんですよ。 それはやっぱりやきもの屋にとって 大事なことだと思うんですね、僕は。 やっぱりね、処理の仕方とか、焼き方だとか、 いろんな工程で、 あ、間違った、どうしよう、 っていうんじゃだめなんです。 ばしって一発で決めないと。 ▲薪がおいてある建物の向こうに見えるのが ギャラリーです。 そしてその奥に工房があります。 ふだん作っているものは、 90パーセント、食器です。 今回、出品するものは、 その、ふだんつくっているもののなかから、 「ほぼ日」のみなさんが選んでくださったものです。 刷毛目は、白化粧を刷毛でしゅっと引き、 濃淡が出るもので、その模様が面白い。 粉引も同じ白化粧なんですけども、 液にずぶっと浸けるんですね。 釉薬や、焼き方、 炎の当たり方のちがいで色が微妙に異ったり、 釉薬をわざと薄くして すこしざらっとした感じを出したり。 あるいは絵唐津といって、 模様を筆で描いたものもあります。 そんなところも楽しんでいただければと思います。 ▲隆太窯の敷地内にある 中里太亀さんと隆さんのギャラリー。 使っている土、ですか。 このあたりの山から採ってきた土を 大量にストックして使っています。 じつはね、唐津の人は、こういう土は あまり使わないんですよ。 鉄分が少なく砂気の多い土を使います。 けれどもそれはじつは、ひきにくいんですね。 僕は、粉引とか焼き締め(南蛮)は、 ストックしている、あたりの山の土を使います。 ふるいにかけ、撹拌していったん泥水にして、 パイプで吸い上げ、フィルタープレスを通して、 土練機にかけて‥‥というふうに加工して使っていますが そんなふうに機械を使う以外にも、 山から採ってきたものを乾かさずに裏ごしして 手で練って使うこともありますよ。 そういうものは、ほんのちょっとですけれど。 ▲これが「フィルタープレス」。 道歩さん(左)は、 中里さん(右)にたくさん質問されてました。 窯もいくつかあります。 ガス窯、電気窯もあるし、 登り窯もあります。 それはちょっと変則的な窯で、 登り窯の後ろに穴窯がくっ付いてるようなかたちで、 後ろの方で焼き締めを焼くんです。 で、手前、3つが釉薬ものを焼く。 自分で設計した、そんな窯もあります。 この、敷地に川が流れているような 窯の環境がいいですねと、 みなさんおっしゃられますね。 夏は暑く、冬は寒いけれど、 この環境にすっかり慣れているので、 夏に冷房の入ったところに半袖でいると 寒く感じてしまうくらいですよ。 ▲敷地の中央を流れる小川。 さあ──魚をさばきましょうか。 僕は今は料理はそんなにしないけれど、 魚をさばくくらいは自分でやります。 今日はみなさんに食べていただきたい。 というか、嫌でも食べてもらわな。 ▲中里家で夕飯をいただくことに。 木のぬくもりを感じる落ち着いたおうちです。 ▲中里太亀さんのうつわで、 太亀さんがさばいたおさしみをいただきました。 ありがとうございました! |
2011-02-23-WED |
写真:大江弘之 + ほぼ日刊イトイ新聞 |