ほぼ日手帳は、2002年版からはじまったので、
ことしで15年目をむかえます。
はじめの頃はたしか、今よりもっと
スケジュール帳として受け取られていたのかな。
使ってくれていた人たちの感想も
「使いやすい」とか「便利です」といったものが
多かったような気がします。
ただ、毎年作り続けているうちに、
だんだん、手帳にまつわるいろんなエピソードを
たくさん教えてもらえるようになりました。
「うちのお店では、お客さんからの予約を
この手帳でまとめて管理しているんです」とか、
「娘がすごくほしがってたから
高校入学の記念に買ってあげたんですよ」とか、
「ほぼ日手帳で交換日記をしていた彼と
こんど結婚することになったんです」とか、
「会社帰りに喫茶店に寄って
手帳を開く時間が大好きなんです」とか。
作っているぼくらのほうが、うれしくなっちゃうような
エピソードもいろいろ教えてもらうんです。
ほぼ日手帳って、日々のいれものだから、
まさしく使う人たちのさまざまな「LIFE」の物語が、
そこに、いくらでも入っているんですね。
手帳ってじつは、ちょっと不思議な商品で、
使われて、初めて完成するものなんです。
そして、実際に使っていまのような「ほぼ日手帳」という
おもしろいものにしてくれたのは、
やっぱり使ってくれてきた人たちだと思うんです。
使ってくれてきた人たちがいるから、いまのおもしろさがあるし、
そこは、感謝してもしきれないですよね。
使い方も15年のあいだに、みんなが自由に広げてくれて、
いまではもうぼくらの想像をはるかに超えて、
幅広い使い方をされるようになってます。
じつは、ほぼ日手帳ができたばかりのとき、
ぼく自身が裏のテーマとして考えていたのは
「ランチのときに、これだけ持って出かけられる
ものになればいいな」ということだったんです。
ほぼ日手帳のカバーにお金を入れて、カードを1枚はさんで、
ペンとメモ帳か何かといっしょに持てば、
それで、ごはんを食べに行けますよね。
そのまま打ち合わせにだって行くことができる。
だから、ぼくとしては
「もし将来、ほぼ日手帳がそんなふうな
使われ方をするようになったら、ほんとにすごいな」
なんて思ってたんです。
だけど、いまではもう、そのくらいの使い方なんて、
当たり前のものになっちゃってますよね。
それ以上に、みんなが勝手に、
自分の好きなように使ってくれている。
それって、ほんとにすごいことだな、と思うんですよね。
さいきんちょっとうれしいのが、ほぼ日手帳に対して
「使いこなせない」という言われ方をすることが
前より減った気がすることなんです。
手帳ってやっぱり道具だから、
いちばん大事なのは使う人自身に決まってるんです。
すばらしいのは手帳じゃなくて、使う「あなた」のほうですよね。
だから、そのいちばん大事な人が
「ことしはあんまり書かなかったな」であれば
もう、それはそれでいいと思うんですよ。
財布の代わりになったり、なにかをはさむ入れ物になったり、
あるとき、ちょっと日付を確認する役に立ったりすれば、
手帳としてはそれで満足ですよね。
そういった「自分の好きに使えばそれでいいんだ」という気分が
前よりもみんなに伝わってきた、ということだったら、
それは、すごくうれしいなあ、と思ってます。
15年目のほぼ日手帳への思いとしては、
どういうことになるんだろう。
これからも、使う人みんなにとってのほぼ日手帳が、
それぞれの人の「LIFE」に
ちゃんと寄り添うものでありつづけられたら、とは、
やっぱり思ってますよね。
毎年ちょっとずつ改良をつづけているのも、
結局、そういう理由です。
ぼくらも、その年その年で試行錯誤しながら
やっぱり、いちばんいいと思えるものを出したいんです。
そして、ほぼ日手帳がそばにあることで
使ってくれている人がちょっとうれしい気分になったり、
直接的にでも、間接的にでも
その人の「LIFE」がたのしく、よりおもしろくなる。
そんなふうに、みんなの毎日に寄り添う
「なんか、いい手帳」であれたらいいな、とは
思ってますよね。