LIFEのBOOK ほぼ日手帳2017

				20人に1人がほぼ日手帳を使う島
				島根県の離島・海士町で使われるほぼ日手帳
島の大人たちも、ほぼ日手帳を使っているって本当ですか?

さいごは、
海士町でほぼ日手帳を使ってくださっている
二人のかたを紹介します。
ひとりは、海士町観光協会の青山敦士さん。
もうひとりは海士町役場環境整備課の中根健太さん。
二人とも、島外から移住してきたかたです。

青山さんの場合。

青山
僕は北海道の札幌出身で、大学で東京に出てきました。
卒業後は東京で就職をしようと考えていたのですが、
大学の先輩に岩本悠という、海士町で教育の魅力化に
取り組んでいる者がおりまして。
彼に誘われて、卒業半年前に海士町に来てみたんです。
いまから11年前のことです。
――
その時点で就職は‥‥?
青山
ITベンチャーの会社に内定をもらっていました。
岩本は、そのときソニーで働いていたんです。
でも、「僕は会社を辞めて、この島に住むつもりだ」と
話してくれた。
大学時代は二人とも、
海外の途上国支援に興味があったんですが、
「途上国に共通する課題が、日本の地方にはあったんだ」と。
そこまで言われて、「じゃあ行ってみようか」と
3泊4日で来たんです。
町長や課長さんとお会いして、
なんて面白そうな島だろうと思いました。
東京も好きだったけれど、
東京じゃなくてもここなら一生懸命働ける。
それで、帰る数時間前、フェリーに乗る前に
「仕事ないですか?」って飛び込んだのが、
観光協会だったんです。
――
その勢いのまま、そこに就職することに?
青山
はい(笑)。
そのときに出てきてくれたのが青山課長という、
たまたま同じ苗字のかただったんです。
「同じ苗字だし、いいんじゃない?」
なんて言われながら、
働かせてもらうことになりました。
――
そんな理由で!
具体的には、どんな仕事をされているんですか?
青山
海士町には、ホテルが1軒と民宿が11軒しかないんです。
しかも民宿のおかみさんたちは高齢化が進んでいる。
だから、僕ら観光協会が手伝って、
インターネットをつかっての発信や旅行会社との交渉をやったり、
外の人に民宿の良さを発信して、
ちゃんと自立できる観光産業を
作るというところから、関わっています。
――
観光協会といっても、
単純なPRだけではないんですね。
青山
そうなんです。
たとえば、民宿のシーツや浴衣を洗濯するのに、
これまでは洗濯ものを船に乗せて本土に運んで、
洗ってもらっていたんです。
そこで「どうせなら自分たちで洗おう」と
リネンサプライの工場を作りました。
僕はいま、その社長でもあります。
――
そんな多岐にわたる仕事の中で、
ほぼ日手帳は
どんなふうに使っていらっしゃるんですか?
青山
実は、ほぼ日手帳は3年前、
買ってはみたものの、全然続かなくて、
「自分の身の丈に合っていないんだ」って
今年の春は買うのをやめたんです。
そしたら、大辻さんが
「実は高校生に配るんですよ」と教えてくれた。
それで、
もう一度ほぼ日手帳をつかってみようと思ったんです。
今年は、常に開いた状態でデスクに置いています。
人と話すことが多い仕事なので、
その内容のなかで大事だなと思ったことを
ぱっとメモをする。
「白紙でもかまわない」と
肩の力を抜いたのがよかったのか、
ここのところ、続いています。
――
仕事のメモなどを手帳に集約する習慣が
初めて続いているわけですか?
青山
いや、それがそうでもなくて。
僕、高校のとき野球をやっていたんです。
その頃は毎日長文の日記を書いてました。
僕が甲子園に出たとき、
その年いちばん小さいキャッチャーだったんですが、
バッテリーを組んだピッチャーがひとつ上の先輩でした。
彼が夢を叶える日記みたいなものを書いていたんです。
それを真似して、
甲子園に行くために何をするべきかを
ウェイトトレーニングの記録とともに書き記しました。
それが、日々記録することの原体験のような気がします。
――
甲子園出場のキャッチャー!
すごいですね。
青山
いえいえ、何千人といますよ。
ちょっと余談になりますが、
高校2年のときに甲子園に出て、
1回戦がPL学園だったんです。
まあ、ボロボロに負けました。
でも、控え室で3年生の先輩たちに
「ありがとう」って言われた。
そのときに、すごい罪悪感が生まれたんです。
僕は自分のことしか考えていなかった。
そのせいで負けたんじゃないかと。
それで、大学では野球をやりませんでした。
自分から野球をとったときに、何が残るかが知りたくて。
これまで自分のことしか考えてこなかったから、
大学では誰かの役に立てることを探したんです。
国際教育を勉強するようになり、
そこで岩本と出会って、
海士町にたどり着きました。
――
野球に対する思いの反動で、
いまここにいらっしゃるんですね。
いまも草野球をされたりはしないんですか?
青山
今週末、
地区のソフトボール大会に出ます(笑)。
島前高校の生徒が増えて、
最近、軟式野球同好会が復活したんです。
それがいま、すごくうれしいことです。

観光資源づくりなど、長期にわたるプロジェクトに関わることも多い。
年間カレンダーのページを3ヶ月ごとに区切って、
その時期にやるべきことを書いておく使い方も。

中根さんの場合。

中根
海士町に来て、4年目になります。
ほぼ日手帳は2年前から使っています。
海士町に来る前は福岡にいたので、
福岡のロフトで見かけたのがきっかけです。
――
海士町に来られたきっかけは?
中根
福岡で、まちづくりの仕事をやっていたんです。
あるとき、同じくまちづくりを生業にしている先輩から
「海士町が人を募集しているよ。
面白いところだから、半年くらい勉強にいってきたら?」
と言われました。
「半年なら行ってもいいかな」と思って来たのに、
そのまま居ついてしまいました。
――
いまは、どんなお仕事をされているんですか?
中根
役場に勤めていまして、
主に再生可能エネルギーと
林業の政策を担当しています。
公共施設等に太陽光発電を導入したり、
薪ストーブの普及を促進したり。
島前高校の生徒たちに、
環境教育の授業をおこなうこともあります。
――
海士町のよさって、どんなところだと思いますか?
中根
役場の人って、都会では手続きなどで
役場に行ったときにしか会わないじゃないですか。
でもここでは、外に出て、人に会うことも
役場の仕事なんです。
住民の皆さんと話すことで、課題を見つけることができる。
住民のかたと話してみると、
ちゃんと自分の言葉で話せるんです。
小学生からおじいちゃんおばあちゃんまで、
どんなことについても「どう思う?」と聞いたら、
誰もわからないとは言わない。
自分自身の考えをしっかり持っている。
――
それは、なぜなんでしょう?
中根
小さい町で、人と人との距離も近いから、
一人ひとりの言葉を聞いてくれる環境があるのかな、
と思います。
何に関しても「どう思う?」と全員が聞かれるから、
自分がどう思うかを考えるくせがついているんじゃないかと。
――
なるほど。
この4年間で、
海士町の変化は感じますか?
中根
島外の人たちが、
どんどん海士町に注目してくれるように
なった気がします。
東京に行かないと会えなかった人たちが、
最近はむこうからどんどん来てくださる。
いま、島外からいらっしゃる視察は
年間2000~2500人にのぼります。
つまり、人口と同じだけの人数が
毎年来島されているんですよ。
――
2500人! すごいですね。
そのアテンドなどもあると
とてもお忙しいと思いますが、
手帳はどんなふうに使っていますか?
中根
月間ページはスケジュールを書き入れています。
1日1ページのところは、
その日にあったことや、考えたことを書きます。
なんとなく、午前と午後で二列に分けて書いています。
1年経つと、「この年に何を考えていたか」
がわかる1冊になるんです。
――
読み返すこともありますか?
中根
あります。
たとえば環境授業をするときに、
自分が考えていたことを過去の手帳から拾って
つなげていくことで、授業内容を固めるんです。
いろんな町の課題について考えるとき、
自分がメモした言葉はもちろんですが、
「日々の言葉」にハッとさせられることもあるんです。
自分が書いたことではない言葉が載っているのって、
なかなかいいです。
――
これまでも、手帳はいろいろと
使ってらっしゃったんですか?
中根
じつは、手帳を使いはじめたこと自体、
海士町に来てからなんです。
毎日いろんな人との出会いがあって、いろんな話を聞く。
そういう日々を漫然とすごすにはもったいなくて、
こうやってメモするようになりました。
このメモが、また仕事につながっていく。
いいサイクルができているな、と思います。

黒のボールペンで書かれたのが、見たり聞いたりした言葉。
そこから自分で考えを深め、赤いボールペンで記しておく。
2015年は「書く」を自身のテーマにしていたので、とくにぎっしり。
2016年のテーマは「読み込む」。

(おわります)
写真/松村隆史

2016-10-10-MON

「ほぼ日手帳公式ガイドブック2017」にも、
海士町の記事を掲載しています。