「Hobonichi Love」2013年1月15日の記事
(リンジーが個人的に運営している、
tumblrのほぼ日手帳のページより)
It’s all about what you think when you’re alone.
How you spend time when you’re alone.
What your true colors are when you’re alone.
“I listen to music when I’m alone,”
he’ll say, but that still doesn’t take up all the time he spends alone.
“I read books,” she’ll say, but she isn’t reading non-stop.
When people are alone, they have this hazy,
blank period of time they can’t put a name to.
The nameless feelings experienced during those nameless times
make up a major element of a person.
And one day, like a bubble surfacing in water,
something will emerge in the form of words.
I hope the Hobonichi Techo can serve as a means to keep those words.
I’d like the Hobonichi Techo to be a fishing net
to catch all the things you think and feel during your unnameable times.
Of course you can use the techo as a scheduler,
but there are already other tools you can use for that.
I get the feeling there’s never been a container to keep things
that surface during unnameable times,
unimportant things that stick with you,
or things that resonate with you when you don’t know why.
It takes a Hobonichi Techo to hold them
because we created it as a group of people
who are neither stationary manufacturers nor professionals.
Even as the planners are all the same containers,
they have unique shapes as clay formed by hand.
There will be days when you couldn’t catch a fish,
and there will be days you won’t fish.
But with 365 days in a year,
over time your net will fill with plenty of minnows.
Such is the wealth of our thoughts.
ひとりでいるときに、なにを考えているのか。
その孤独な時間を、なにに使っているのか。
その人のほんとうのところは、
ひとりでいるときにどうしているか、ではないかと思う。
「ひとりのときには、音楽を聴いてます」と言っても、
ひとりでいるときのぜんぶの時間を使っているわけじゃない。
「本を読んでます」って言う人がいたとしても、
ずーっと本を読んでいるわけではないだろう。
人が、ひとりでいるときには、
もっとこう、ぼんやりした、なんでもない、
名前のつかないような時間があるものだ。
そういう、名づけようのない時間を、
名づけようのない気持ちを持っていることが、
その人をつくる大きな要素だと思う。
そしてある日、そういう中に、ぽこん、と泡みたいに、
ことばとして生まれちゃうものがある。
〈ほぼ日手帳〉がそういう名づけようのない
不定形の考えや感情をすくいあげる、
いちばん目の粗い網になれたらと思う。
そういうことばを書き留められる場所として
役に立てば、と思っている。
もちろんこの手帳はスケジュール管理にも役立つ。
でも、スケジュール管理だけなら、
いまはいろんなものでできる。
だけど、名づけようのない時間から生まれたもの、
大事そうじゃないけど引っかかったこととか、
理由はわからないけど心に響いたこととか、
そういうものを入れておける器は
これまでなかったような気がする。
〈ほぼ日手帳〉がどうしてその器になれるかというと、
文房具のメーカーや専門家とは違う人たちが
寄ってたかって作ったからという気がする。
いろいろな手帳が器だとしたら、
〈ほぼ日手帳〉は同じ器でも、粘土を手でこねて作った
独特のかたちをした器なのではないか。
魚が獲れなかった日もあるかもしれないけれど、
そういう「なにもなかった日」があったっていい。
「今日は魚を獲らない」と決めてのんびりしてもいい。
1年は365日もあるわけだし、
そうやってすぎた時間を、あとで振り返ると、
網にはだいぶ小魚が入っていることに気づく。
そういうことが、ぼくらの考える
「豊かさ」という気がしている。
(つづきます)
2016-11-09-WED