- ――
- きょうはよろしくお願いします。
さっそくですが、テーブルに用意してくださったこれは‥‥?
- 河合
- これはファクシミリ版といいます。
写真製版とも言いますが、
本物のファースト・フォリオ(初版本)を
写真に撮ったものです。
このファースト・フォリオの目次を見ると、
36作品が収録されています。
でも現在シェイクスピアの作品とされているのは、
37作品。
- ――
- 1作品足りないですね。
- 河合
- はい。このファースト・フォリオに入っていない
『ペリクリーズ』という作品は、
クォート判というのが残っています。
- ――
- クォート判。
- 河合
- こちらはシェイクスピアではないのですが、
彼と同時代にいた
ベン・ジョンソンという劇作家の、
実物のクォート判です。
1668年に出版されたそのもの。
- ――
- 350年前のものですね。すごい。
- 河合
- ケンブリッジにいた頃に、
なんども古本屋さん通いをして見つけたものです。
クォートというのは、四つ折り本という意味です。
大きい紙を四つ折りにしてつくった本のこと。
ペーパーナイフってあるでしょう。
- ――
- はい。
- 河合
- クォートを読んでいると、四つ折りになったまま、
ページがきちんと切れていないことがあるんです。
そこで当時の人たちは、ペーパーナイフを使って
ページを切り離しながら読んだんです。
- ――
- クォートは、要は簡易版のようなものですか?
- 河合
- そうです。簡易版。
いまでいうと新書のような扱いでしょうか。
フォリオと呼ばれる大型の本は聖書とか歴史書とか、
保存版のためにつくられる立派なものだったんです。
一方で、クォートは劇場で売られているもの。
当時はプログラムなんてありませんから、
演劇のお土産として、台本を売ることがあったんです。
その時代は著作権なんてなかったので、
台本を売っちゃったらそれはどこで上演してもOK。
だから、劇団側が
「もうこの台本は上演しないね」というものを
金もうけのために刷って売ったんですよね。
- ――
- ということは、
シェイクスピアのクォートは
シェイクスピアが実際に生きている間に
販売されていたんですか?
- 河合
- そうです。
戯曲はシェイクスピアが書いたからといって
彼が自由にできるものではなく、
劇団の所有になります。
そうすると劇団が出版社に渡して、
お金をもらうわけです。
あとはもう出版社が刷れば刷っただけ儲かる。
売れなかったら出版社の負担になるという、
単純な時代でした。
- ――
- だから、生前から人気のあったシェイクスピアのクォートは
たくさん売られた。
- 河合
- そう。
だからシェイクスピアの戯曲に関しては
クォートとフォリオと、
両方残っているものがあるんです。
しかも、二つが微妙に違うところがある。
たとえば『ハムレット』では
「この汚れた体が溶けて崩れて露と……」
と書かれている部分が、
フォリオでは
「この固い固い肉体が溶けて‥‥」と、
「汚れた」が「固い」に変わっているんです。
それはsoiled(汚れた)とsolid(固い)という
ごく微妙な違い。
ほかにも片方にはある単語がもう片方にはないとか、
そういう違いがたくさんあって、
学者泣かせになっています。
われわれ研究者、翻訳者は
通常はクォートを底本として
「フォリオとはここが違いますよ」と
脚注をつけたりするということになりますね。
ただ最近では、
「フォリオでの変更点は
シェイクスピア自身が書き換えたのだろう」
という議論が出てきて、
フォリオを底本にすることもあります。
このフォリオにもいくつかあるんです。
- ――
- はい。
- 河合
- 先ほどから話している初版本、
「ファースト・フォリオ」というのは1623年。
そして「セカンド・フォリオ」が1632年に発行されています。
セカンドはファーストの再版で、
初版になかった絵が入っているくらいで、
収録されている作品数も36と変わらない。
そして、今回ほぼ日手帳のカバーになった
「サード・フォリオ」。
こちらは1664年に発行されたものですが、
このバージョンには、7作品追加されています。
- ――
- 7作品も?
- 河合
- はい。でもそのうち「ペリクリーズ」をのぞく6作は
現在ではシェイクスピア作とは認められていないもので、
「シェイクスピア外典(Shakespeare Apocrypha)」と
言われている作品です。
当時はなんらかの理由でこの6編が
シェイクスピア作だろうと思われていたということなんですよね。
サード・フォリオはそういう、おもしろい版なんですよ。
このあと、
1685年に第四版、「フォース・フォリオ」が出ています。
- ――
- じつは、手帳カバーをご覧になった読者の方から、
「シェイクスピア」のつづりが違うという
ご指摘がきたんです。
- 河合
- ああ、いまは「SHAKESPEARE」と表記されていますが、
このトビラでは「SHAKESPEAR」となっていますね。
つづりはいい加減な時代だったんですよ。
本人が「Shaxpere」と綴ることもあったくらい。
UとV、IとJが交換可能だったりもしたんです。
ミスじゃなくて、そういう時代だった。
日本語のやまと言葉と同じです。
たとえば「せ」と読む字には「世」の漢字をあてていますが、
万葉仮名の時代にさかのぼると、
「勢」という字をあてている場合もある。
音は同じでも、スペルが定着していなかった時代というのが
イギリスにも日本にもあったんです。
- ――
- もうひとつ、
「これはFなんじゃないか」というご連絡も
いただきました。
- 河合
- エリザベス朝のハンドライティング、
要は手書き文字ですね。
そのSがこの形です。
たとえば、Hっていうのは、これ。
- ――
- ええっ、読めない。
- 河合
- でも、これはこういう形と決まっているんです。
ケンブリッジ大学に入学して
まずこれを勉強します。
そうしないと当時の文献を読めないから。
- ――
- 河合先生もケンブリッジに留学されていますが、
この勉強を?
- 河合
- しましたよ。いや、ものすごく苦労しました。
ネイティブの人たちはほとんど苦労しないんですよ。
我々は日本語のくずし字をなんとなく理解できるけれど、
アメリカ人にくずし字を教えるのはたいへんでしょう。
それと同じ感覚だと思います。
- ――
- そもそも、河合先生がシェイクスピア研究の道に
進もうと思われたきっかけは?
- 河合
- 「ほぼ日の学校」でもお話していますが、
いちばん最初のきっかけに近いのは、
高校三年生の頃に文化放送『百万人の英語』というラジオ番組で
サタデーナイト・シアターというコーナーを聴いたことです。
シェイクスピア研究で高名な荒井良雄先生が
映画『ロミオとジュリエット』のサウンドトラックを流していた。
そこでオリヴィア・ハッセーが
「おお、ロミオ」と原語で語るのを聞いて
「すてきだな」と思ったのが、
初めてのシェイクスピア作品との出会いだと思います。
- ――
- ラジオで出会ったんですね。
- 河合
- でもその頃はまだ、シェイクスピア研究者になろうなんて
思ってもいませんでした。
大学に入ったとき、まったく経験はなかったけれど
「演劇って面白そうだなあ」と思ったんです。
東大劇研(東京大学演劇研究会)という
サークルの存在は知っていたので、
そこに入ろうかなと思ってパンフレットを見てみたら
東大劇研の名前はどこにもなく、
「夢の遊眠社」と名前が変わってしまっていた。
- ――
- 夢の遊眠社! 東大劇研を前身として
野田秀樹さんが設立された劇団ですね。
- 河合
- はい。
これがもし「新東大劇研」という名前だったら
入っていたと思います。
でも「夢の遊眠社」ってちょっとうさんくさいなあ、
と思ってしまった(笑)。
野田秀樹は私の6歳上ですから、
私が入学した年には彼はもう卒業していた。
けれど東大駒場寮の食堂を「駒場小劇場」と呼んで
そこで上演していたんです。
その芝居を観に行ってはいたので、
食堂で彼が演技してる姿はよく覚えてますよ。
それが紀伊國屋ホールに進出したときに
「裏切られた!」と思って、しばらく観なくなりました。
- ――
- ずっと応援していたちいさな劇団が
商業演劇のような大きな劇場で上演して、
がっかりしたわけですね。
- 河合
- そうそう。
しばらく経ってほとぼりが冷めてから
また観るようになりましたけど。
東大劇研に入らないかわりに僕は
ESSのドラマセクションというところに所属して、
英語劇をやってたんですよ。
先輩に現在は演劇評論家の内野儀という人がいて、
彼が演出して、私が役者みたいなことをしました。
駒場にいた2年間はそんなふうに過ごしたんです。
そのあと誘われて、演出家・鈴木忠志さんの主催する
演劇フェスティバルの手伝いをしていました。
世界中からやってくるメディアのインタビューを
同時通訳したり、海外の劇団を送り迎えしたり、
公演の客入れをしたり‥‥。
- ――
- そんなことまで?
- 河合
- いっぱい下働きをしましたよ。
そんなふうに課外活動に精を出していたせいで、
大学の授業にいっさい出てなかったんですね。
単位がぎりぎりで、
成績も非常によろしくない状況になっていたために、
進学振り分けの際、当時は「底なし」と言われていた
英文科に行くしかなかった。
いざ英文科で何をしようと考えたとき、
詩でも小説でもないな、
英語劇をやっていたし演劇かな、
やっぱりイギリスの演劇がいいな。
そしたらシェイクスピアかと。
- ――
- そこでいまに至る道がはじまったわけですね。
- 河合
- はい。
それ以来、このフォリオやクォートと
向き合う日々がはじまりました。
そうそう、フォリオを読むときにおもしろいのは、
作品に出演する主たる役者の名前のページ。
ここにウィリアム・シェイクスピアの名前が出ている。
次に書かれているリチャード・バーベッジというのが、
シェイクスピアの劇団の看板俳優で、
マクベスやリア王、オセローなんかの役をやった人。
その人より前に、シェイクスピアの名前が俳優として載っている。
- ――
- ということは、シェイクスピアも舞台に出演していたんですか?
- 河合
- そう、出てた。どの役をやったか、
書いておいてくれたらよかったのにね。
ただ、シェイクスピアが出演していたことはわかる。
1623年にはじめてシェイクスピアの全集が出たおかげで、
現在シェイクスピア作品がすべて読めるようになっている。
そのわずか7年前、1616年に
ベン・ジョンソンがはじめて、
フォリオで自分の戯曲を出版したんです。
- ――
- シェイクスピアがいた時代に
ちょうど世界ではじめて、
フォリオの戯曲集が出版されたということですか?
- 河合
- そう。クォートはいくらでも出ていたけれど、
フォリオの戯曲集はそのときがはじめて。
先ほども言いましたが、
フォリオは聖書や歴史書といった
立派なものを残すための本だったんですね。
いっぽう戯曲なんて、ごく軽い扱いのものだった。
貴族のなかには「戯曲本は焼却してくれ」と
遺書にわざわざ書き残す人もいたくらい。
だからベン・ジョンソンは
「フォリオで戯曲集を出すなんてバカじゃないの」
と相当言われたらしい。
でもね、その戯曲集がそれなりに売れたんですよ。
そこで、シェイクスピアの友達が
「ベン・ジョンソンがうまくいったなら
シェイクスピアのも出してあげようよ」と
彼の死後に戯曲集を発行した。
そのおかげで、いま私たちはシェイクスピアの戯曲を
全作品読めるわけです。
- ――
- ベン・ジョンソンがいなければ、
シェイクスピアの全戯曲は
残らなかったかもしれないわけですね。
でもフォリオはとっても貴重で、
なかなか目にすることはできませんよね。
- 河合
- ホンモノは確かに貴重ですが、
最初に紹介したファクシミリ版でしたら
Amazonでも買えますよ。
興味があればぜひ手にしてみてください。
- ――
- Amazonで!?
そんな気軽に手に入るとは‥‥。
探してみます!
(終わります)