2021年春夏の「やさしいタオル」は、
2か月連続で新作をおとどけします。
その第1弾が「ふたりの作家」シリーズ。
香川に住む画家の山口一郎さんと、
京都にあたらしく拠点をかまえた
現代美術作家の牡丹靖佳さんに絵を依頼、
それぞれの世界をタオルにしました。
花を一輪、それも根っこのついた状態で
大胆に描いた山口さん、
ある屋敷を舞台にした絵本とリンクする、
まるで謎解きみたいな図案の牡丹さん。
ふたりへのロングインタビューをお届けします。
山口一郎さんのプロフィール
山口一郎
やまぐち・いちろう
画家。
1969年静岡県生まれ、香川県在住。
セツ・モードセミナー卒。
在学中にマガジンハウスの雑誌『Olive』で
イラストレーターとしてデビュー。
卒業後はマガジンハウスの仕事を中心に
雑誌・広告でイラストレーターとして活躍。
2007年に東京・南青山のギャラリー
DEE'S HALLにて画家として初個展をひらく。
現在はDEE'S HALLでの定期的な絵の展示をメインに、
日本、海外の各地で絵の展示を続けている。
山口一郎さんのウェブサイト
雑誌のイラストレーションから。
- ──
- 山口さんは、東京を拠点に
随分長いことイラストレーションの仕事をなさっていて、
「今をときめく」ような活躍をなさっていたと思ったら、
いつの間にか香川に移住して画家になられていて。 - 山口
- はい、そうなんです。
浜松で生まれて、18で東京に出て、
在学中にイラストレーターになりました。
セツ・モードセミナーっていう学校だったんですけれど。 - ──
- あの「セツ」ですね。
ファッション・イラストレーターとしても知られた
長沢節さんが主宰なさっていた美術学校で、
ほんとうに面白い人を輩出してきたと聞きます。 - 山口
- はい、その「セツ」です。
長沢節さんには、
生き方というか、美意識っていうか、
人として大きな影響を受けました。
特に「教える」タイプの先生じゃないんです。
自由教育をうたっていて、
先生を見て学ぶ、というような感じなので、
デッサンも水彩も、誰も教えてくれない。
課題もありません。自分で考えるんです。
入学もくじ引きでしたし、成績表もない。
授業料もすごく安かったし、入学金はありませんでした。 - ──
- さぞ、面白い学校だったんでしょうね。
そこに2年間みっちり。 - 山口
- はい。そして在学中に
『Olive』でイラストレーターとしてデビューして、
その後、しばらくマガジンハウスの仕事を続けました。
- ──
- 在学中にデビューしたご縁は何だったんですか?
- 山口
- 僕は『Olive』が大好きで、
『Olive』でイラストを描きたいっていうのが、
最初からのイメージだったんです。
それで持ち込みをしたら、
いきなり、気に入ってもらえて。
僕が描いたイラストがはじめて載った号が、
宮沢りえちゃんの表紙だったのがすごく嬉しかった。
りえちゃんも見てるかもしれない! と思って。 - ──
- 『Olive』ではどんな絵を?
- 山口
- 今とは全然違うんですよ。
たとえば東京や神戸の地図を描いて、
そこにイラストを添える、とか。 - ──
- 「何でも描ける若者」として
編集部にやって来たわけですね。
大先生とは違って、
ある意味、雑なぐらいに無理も言える、みたいな。 - 山口
- ほんと、そうです!
「これ描ける?」「描けます!」みたいな。
説明するのにあるとわかりやすい絵が多かったですけれど、
「何でもいいから描いてくれ」ということもありました。
誌面のバランスとして必要なことがあるんですね。
そういうとき「あ、山口でいいじゃん!」って。
だから画風も画材もいろいろで、
『Olive』は女の子っぽく、
『POPEYE』は男の子っぽく描いたりしていました。
そうしていっぱい仕事をいただいていたので、
マガジンハウスの中に
住んでいたこともあるんですよ。 - ──
- 住んでいた!
- 山口
- その当時『ダカーポ』の編集部に
「山口くんの机だよ」と用意してくれたので、
とにかくそこにいたんです。
そこにいれば、『Olive』だけじゃなく
いろんな編集部からどんどん依頼がくる。
その当時ってネット社会じゃなかったので、
イラストレーターは編集者と毎回会っての
打ち合わせが必要だったんですね。
それを1回家に持ち帰って、
描いた原画をまた持って来て、
持って帰って手直しして、
という往復の時間がもったいなかったので、
一日、ほとんどその机にいたんです。
そこで絵を描いて、社員食堂でご飯食べて、
夜は誰かしらが近くの蕎麦屋さんに
連れて行ってくれるから、
そこでお酒飲みながら蕎麦食べて、
また会社に戻って
仮眠室でシャワーを借りて寝るんです。 - ──
- たしかに、住めますね!
- 山口
- 土日だけは部屋に戻って洗濯して、
月曜日にまた1週間分の着替えを持ってくるんです。 - ──
- そういう仕事を、どれくらい続けられたんですか。
- 山口
- 5年ぐらいかな。
30歳、9・11の前後までです。
そのあとは自宅をアトリエにして住んで、
イラストレーターとして独立しました。
引き続きマガジンハウスの仕事をしながら、
ポートフォリオ(作品サンプル)を持って、
いろいろなところに営業に行って、
仕事をとってくる。 - ──
- そこから、香川に移住して画家になる、
という決意にいたるまでは、
どんなことがあったんですか。 - 山口
- 独立して、メインの仕事になったのが、
大手化学メーカーの仕事でした。
広告製作会社を通して、
基礎化粧品のいちブランドの
メインビジュアルを担当していて、
そのお金が一番大きかったんです。
それが何年か続いて、安定した生活が送れるようになり、
でも契約が切れたとき、どうしようかなと。
当時の家賃や生活費を稼ぐのに、
もう1回、同じぐらいの規模のものがないと
大変だなってことになったんですが、
また持ち込みをして営業するとこから始めるのか、と、
なんだか面倒になっちゃったんですよ。
当時僕は30代後半になっていて、
好きなイラストの仕事はひととおりできたぞ、
という気持ちもあったんでしょうね、
「よし、じゃあ、イラストをやめて、
次にやりたかった仕事をしよう!」
と、実家に戻ることにしたんです。 - ──
- えっ、イラストをやめて?!
そこまで考えた仕事は何だったんですか。 - 山口
- パン屋さんです。
- ──
- ちょっと待って下さい(笑)。
パン屋さんになろう。
- 山口
- 次にやりたかった仕事がパン屋さんなんです。
30代後半なら、今からでも、
なればいいんじゃないかなと思って。 - ──
- ちなみに三番目、はあったんですか。
イラストレーター、パン屋さん、その次に。 - 山口
- そのふたつだけでした。
それで実家の近くのパン屋さんで働きました。 - ──
- 就職したんですね。
- 山口
- はい。店長ひとりでやっていた小さなところで、
僕が入ってもふたりきり。
ところがその店長がすごく短気な人で、
僕は怒られてばっかりでした。
3年ぐらいやったんですが、
しかも店長が担当しているパン作りのメインの仕事は、
いっこうに教えてもらえなかったんです。
僕はいずれパン屋さんとして独立したいのに、
偏った仕事だけがどんどん上手くなって、
肝心なパンづくりができなかった。 - ──
- けっこう、へこみますね‥‥。
- 山口
- それで、また、絵を描きはじめたんです。
当時、だんだんとパーソナル・コンピュータや
ネットというものが普及しはじめていたので、
自分でページを立ち上げて、
日記とともに、そこに添える絵を。
そしたらそれを読んでくれる方のなかに、
僕の絵がすごく好きだと言ってくださる方もいて。
イラストレーター時代に描いていた絵とは
違ってたんですけど、応援のメールを読んで、
「やっぱり僕は絵が描きたいな」と
思い始めちゃったんですよ。 - ──
- どんな絵を描いていたんですか。
以前のように、
頼まれて描く絵じゃないですよね。 - 山口
- いろんな絵です。自由な。
ペン画とか、
水彩絵の具でただ単に色を塗ってみるだけとか。
とくにパン屋で怒られた日は、腹が立って、
30枚ぐらい一気に描いたりとか。
もう描いて描いて、描かずにはいられなくなりました。
そうこうしているうちに、ある日、
あることで店長に怒られて、
「おまえはこの先どうしたいんだ」なんて言うから、
「辞めます!」って、あっさり辞めたんです。
それでそのことをページに書いたら、
香川の方と愛媛の方がメールをくださいました。
辞めたのならちょっと遊びに来ません? って。 - ──
- おお、ここでやっと四国とのご縁が!
お知りあいの方がいたんですね。 - 山口
- いや、全然知らない方なんですけど。
- ──
- えっ。
- 山口
- 今はすっかり仲よしですよ(笑)。
それも不思議な縁で、
たまたまその日の午前中、
猪熊弦一郎美術館のホームページで
大好きな猪熊弦一郎の絵を見ながら、
香川の丸亀かぁ、いつか行きたいな、
と思っていたんですよ。
そうしたら午後に香川の方からメールが来た。
そのあとに愛媛の方からも来た。
これは縁だなと思って、
1週間ぐらい四国に旅行に行こうと、
愛媛と香川で3日ずつぐらいの予定で遊びに来ました。
それが気づいたら半年経っていたんです。 - ──
- えっ、えっ?!
- 山口
- 最終的にそのまま住み着きました。
- ──
- じゃあ、画家になるぞ、と決意なさったのは、
そのときに。 - 山口
- はい、それからしばらくしてのことですね。
はじめての個展。
- 山口
- バッグの作家で有名な
江面旨美さんという方がいるんですが、
僕のことをすごく心配してくれたんです。
しかも僕の絵が好きだとおっしゃって、
「前々から山口くんに紹介したい
ギャラリーのオーナーさんがいる」と。
それがDEE'S HALLの土器典美さんでした。
でも「絵を見せに行きなさい」って言われても、
ずっと怖くて自信がなかったんです。
だけど四国でいっぱい描いたことで、
その絵を持って1回行ってみようと。
好きなように毎日いっぱい絵を描いていたんです。
それも、でっかい。 - ──
- 部屋を借りて?
- 山口
- 呼んでくれた方のお友達が持っている部屋が、
倉庫というか段ボール置き場みたいになっていて、
きれいに掃除したらただで住んでもいいと言うんです。
だったら、きれいにして住んじゃおっかなと思って。
そうして住み着いて、毎日絵を描いていくうちに、
そのアパートに住んでいる子たちとも
どんどん友達になりました。
建築家の卵の子とか、雑貨屋さんやってる子とか、
美容師さんとか、そういう子たち。
いろいろ助けてくれたんですね。
夜とか毎日ご飯一緒に食べたりとか。
僕はみんなが働いている時間に絵を描いていたから、
どんどん溜まっていったんですよ。 - ──
- それは、日記の時代と同じように、
いろんなテーマの絵だったんですか。 - 山口
- はっきりした絵もあるし、
コラージュみたいな作品もありました。 - ──
- それを、土器さんに持って行った?
- 山口
- はい、東京に行って、
DEE'Sの広い床に1枚1枚置いてったんです。
そうしたらギャラリーがいっぱいになっちゃったんで、
庭にもどんどん置いていった。
そうしたら庭もいっぱいになっちゃった。
こんどは道に出て並べはじめたら
「‥‥もういいわよ!」って言われて(笑)。
この子変わってるな、と思ったと思うんですけど。 - ──
- いろんなタイプの絵があるから、
「もうわかった」と
ならなかったのかもしれないですね。 - 山口
- それで土器さんから気に入ってもらえて、
個展を開くことになりました。
だから僕の画家デビューはDEE’Sです。
セツの頃からも、グループ展ですら
1回もやったことがなかったので、
ほんとうに初めての個展でした。 - ──
- 描くのが好きで、
大勢の人が見る雑誌に長く描いていた山口さんが、
初個展だったというのもおどろきです。 - 山口
- イラストレーター時代も、
個展をやりたくなかったわけじゃないんですよ。
ただ、そういうふうに見せるなら
ちゃんとしたことをやりたいと
ずっと思っていたんです。
だから学校時代のグループ展には参加しなかったし、
自分でお金払ってギャラリーを借りるということにも
興味がありませんでした。
オーナーに認められて
「うちでやってみませんか?」
って言われる状態でじゃないとダメだよな、って。 - ──
- そういう経緯だったんですね。
DEE'S HALLの初個展に向けては新作を? - 山口
- 新旧とりまぜてですね。
1年ぐらい準備をしました。
最初に持って行った絵も含めて、
あたらしく描いた絵も山盛り持っていき、
壁にかけるだけじゃなく、
机の上に平積みにしました。
お客さんが自分で自由に探して選んで
買って行くっていう感じです。 - ──
- きっとすごく面白い個展だったでしょうね。
それまで、そんな人いなかったでしょうし。 - 山口
- 僕の絵を見に来てくれる方に、
1回目が一番好きっていう声が
多かったりします。
熱量がすごかったんでしょうね。 - ──
- そこからずっと1年半ごとになさっている
DEE’S HALLの個展は、
毎回新しいテーマで、
1回も同じことやっていないそうですね。
個展にあたっては、土器さんと
コンセプトを一緒に考えるんですか。 - 山口
- いや、土器さんは、作家に全て任せてくれます。
でも、そうして毎回テーマを変えるのが
逆に申し訳なくて。
僕がやりたいことが、
必ずしも売り上げにつながるわけじゃないこともあるから。
たとえばお花の人気があっても、
DEE’S HALLでは1回やったっきり、
もうやってないんです。 - ──
- 山口さんは、同じことはやらないぞって
決めているんですね。 - 山口
- DEE’S HALLだけは決めています。
そろそろ1回戻ってもいいかなとか(笑)、
思うこともあるんですけど。
なぜ根っこがある花を描いたか。
- ──
- 今回のタオルについてですが、
花を描こう、というのは
スッキリ決まったんですか。 - 山口
- 動物もいいし、
魚がいっぱい泳いでる絵もいいのかなとか、
最初はいろいろ思ったんですけれど。
最終的に花で行こうと決めました。 - ──
- 山口さん、お花に根っこまで描かれたのは
はじめてじゃないでしょうか。 - 山口
- 初めて描きました。
なぜ根っこかというと、
今回、タオルということで、
「濡れたときに喜ぶ」
イメージでとらえたんです。
- ──
- そういうことでしたか!
タオルも水を吸うし、
花は根っこから水を吸いますものね。 - 山口
- タオルが濡れても、
そこに花があることで
水を吸って喜んでいる感じとか、
育っているようなイメージが
生まれたらいいなぁと思いました。
それでタイトルは「花に水」です。 - ──
- 実際このタオルのパイルの糸は、
LA加工というのをしていて、
それはコットンの細胞壁を形状記憶して、
生きているときのような
瑞々しさを保つ加工なんです。
使ううち、多少毛羽立ったり、
クタクタになってはいくけれど、
細胞自体がよみがえるので、
ぺちゃんこになりにくいんです。
水を吸うと生き返る、みたいな感じですね。 - 山口
- 僕の絵のアイデアと同じだ!
- ──
- ほんとうですね。
そして制作にあたっては、
サンプルの段階で、
「やさしい」印象になるように、
原画の黒からトーンダウンして
グレーでプリントした線画を、
やっぱり原画どおりに真っ黒に戻すことになりました。
これは山口さんがぜひ、と。
- 山口
- そうなんです。僕も最初はグレーで
オッケーを出してたんですけど、
グレーのサンプルを見たときに、
色の付いた部分だけが浮いて見えて、
やっぱり原画のままにしよう、と。
逆に色のところは、水彩のニュアンスを出さず、
ベタ(濃淡なし)にして下さいって言いましたね。 - ──
- はい、いいバランスになったと思います。
地色をハッキリした白にしたことで、
絵がグッと目立ちます。
おそらく、使って洗って乾かしていくと
色は少しずつ落ちていき、
そのニュアンスが出て行くのも、
きっといいはずですよ。 - 山口
- 僕もそれを思ったんですよ、
だんだん色が落ちていってくれるほうがいいなと。 - ──
- ありがとうございます。
ところで、このタオルの発売を記念して、
東京と京都のTOBICHIで展示をしましょう、
ということになりましたね。
さて、何をやりましょうか。 - 山口
- 原画を飾ってくださるということなので、
僕が初日に出向いて、
ライブペインティングをしましょう。 - ──
- わあ!
- 山口
- あとは‥‥販売できるグッズとして、
せっかくなのではがき大の
オリジナルの絵を描いて、持って行きますよ。 - ──
- プリントではなく手描きの!
- 山口
- はい、描きおろしで。
- ──
- ありがとうございます。
たのしい展示になりそうです。 - 山口
- こちらこそ楽しみにしています。
ありがとうございました!