「すごい! としか言いようのない
デザイナーの女性がいるんです。
『ほぼ日』のみなさんに、ぜひ紹介させてください!」と、
「やさしいタオル」をつくっている「藤高」の
藤高小夜子さんが連絡をくださったのは、
2020年の秋のことでした。
藤高が創業100周年を迎えたその前年、
グラフィックから商品開発、空間ディレクションに及ぶ
藤高というブランドのイメージを刷新する大きな仕事で、
メインのデザイナーをつとめた「その人」は、
名前を西川 © 友美(にしかわ・ちょも・ともみ)さんと
いいました。
「西川さんのデザイン、アートワークの大ファンになり、
これはタオルもつくってもらわなくちゃ! と、
自由にデザインをしてくださいってお願いしたんです」
と、見せてくださった製品を見てびっくり。
タオルをカンバスに、元気なボールみたいに
デザインが跳ねまわっているような印象で、
それは「まるで見たことのないあたらしい表現」。
デザインした人の「ぜんぶ」が
そこにあふれているように思えました。
遠くから見ても、近くで見ても、
色と柄がすみずみまでがきちんとデザインされているのに、
大胆さ、奔放さ、自由がありました。
すぐにわたしたちは「やさしいタオル」でも、
西川 © 友美さんと一緒に
仕事をさせてほしいです、とお願いをしました。
技術的に、そのタオルは「ジャガード織り(※)」といい、
複雑な柄や模様を織るための特別な織り機を使う技術。
「やさしいタオル」のために考えられた
西川さんのデザインは、白黒の織り柄の上から
さらにカラープリントをするという複雑なもので。
彼女の世界を再現するのにジャガード織りが必須と考え、
今回にかぎり、いつもは平織りのガーゼとパイルの
三重織りである「やさしいタオル」を、
ジャガードとパイルの三重織りでつくることになりました。
そうして「やさしいタオル」のためのデザインが完成、
サンプルの制作もすすみ、
年内に発売ができそうだねと話していた2021年の春、
かなしいしらせが届きました。
とつぜんの、西川さんの訃報でした。
体調不良で救急搬送され、原因が特定できないまま、
検査中に帰らぬ人となったのでした。
それから1年。
いちどは「お蔵入り」を覚悟したタオルですが、
「彼女の作品を、ちゃんと世に出そう!」と、
西川さんが指示を出したまま未確認だった箇所を、
デザイン会社「10」(テン)の、
西川さんのボスである柿木原政広さん、
藤高小夜子さんがチームを組み、
「彼女だったらこうしたはず」というジャッジで、
スペシャルな「やさしいタオル」を完成させました。
わたしたちがお目にかかった西川さんの印象は、
「全力疾走のデザイナー」。
あふれ出るアイデアがかたちになるまでとにかく全力。
手綱をゆるめたら走り出しちゃう!
というような彼女の勢いを、
ほんわかしたムードで(手綱を握りつつ)
見守っていた柿木原さんと、
まるで姉妹のように「なんでも話す」間柄で
公私をこえてつきあってきた小夜子さん、
このコンテンツでは、そのふたりに、
西川 © 友美さんっていったいどんな人なのか、
たっぷり語っていただきます。
※「ジャガード」は、
英語圏の発音にならうと「ジャカード」ですが、
日本では発音のしやすさから
「ジャガード」が広く使われてきました。
西川 © 友美
にしかわ ちょも ともみ
デザイナー。
1987年青森県八戸市生まれ。
2009年日本女子体育大学健康スポーツ学科中退。
2011年バンタンデザイン研究所
グラフィックデザイン学科卒業。
同年8月、柿木原政広が代表を務めるデザイン事務所
「株式会社10」(テン)入社。
2018年第19回グラフィック
「1_WALL」グランプリ受賞。
2020年 JAGDA新人賞受賞。
2021年4月13日、34歳で急逝。
2022年絵本『いま めが あったよね?』
(おおたゆみこ/ぶん、にしかわ©ともみ/え)出版。
西川 © 友美さんのジャガード織りのタオル
「やさしいタオル」ではじめて挑戦する、
ジャガードとパイルの三重織りのタオル。
「貝殻に耳を寄せる少女」をテーマにした
いろんなモチーフが彩られています。
種類は、織りであらわしたモノトーンのベースに
カラフルなプリントをのせた「カラー」と、
プリントをのせていない「モノクロ」のふたつ。
ハンドよこなが、ハンド、キッチン、
フェイス、シャワー、バスと、サイズもフルラインナップ!
元気でたのしい「ちょもワールド」を、
このタオルで、実感してくださいね。
カラー
すべて税込・配送手数料別
モノクロ
すべて税込・配送手数料別
柿木原政広
かきのきはら まさひろ
グラフィックデザイナー/アートディレクター。
1970年広島県生まれ。
宮田識率いるドラフトを経て、2007年に10(テン)を設立。
主な仕事に、singingAEON、R.O.U、
藤高タオルのブランディング、
角川武蔵野ミュージアム、 静岡市美術館、
NEWoMan横浜、信毎メディアガーデンのCI、
カードゲーム「Rocca」、
絵本に『ぽんちんぱん』
『ひともじえほん』(福音館書店)などがある。
●株式会社10のウェブサイト
http://www.10inc.jp/
●柿木原さんのtwitter
https://twitter.com/kakinokihara
藤高小夜子
ふじたか さよこ
1981年愛媛県生まれ。
1919年(大正8年)に
愛媛県今治市で創業したタオルメーカー
「藤高タオル」(1967年「株式会社藤高」)に勤務。
「ほぼ日」の「やさしいタオル」担当を経て、
現在は直営店「FUJITAKA TOWEL GINZA」マネージャー。
●藤高のウェブサイト
https://fujitaka.co.jp/
●FUJITAKA TOWEL GINZA
https://fujitakatowel.jp/
チャーミングで、才気あふれる。
- ──
- 小夜子さん、
西川さんと「ほぼ日」をつなげてくださって、
ありがとうございました。
「やさしいタオル」は、
ずっと藤高さんにお世話になっているんですが、
そのショップマネージャーであり
営業も兼務なさっているのが小夜子さん。
それで「すごいデザイナーがいるんですよ」って。 - 小夜子
- 西川さんとわたしたちのそもそもの関係をひもとくと、
お店のデザインやディレクションをお願いしてるのが
柿木原さんが代表をされてる「10」(テン)で、
西川さんは、デザイナーとして所属され、
メインでうちを担当してくれていたんです。
ショップのデザインをしてくれたのも、西川さんです。 - ──
- 柿木原さんの会社のお仕事というのは。
- 柿木原
- デザイン会社で、ブランディングがメインです。
クライアントの会社と関わりながら、ロゴを作ったり、
いろいろなものを作っていくんですね。
藤高さんとは、100周年を迎えるっていうときに、
コーポレートサイトのリニューアルや
ロゴのデザインを担当しました。
そこに、西川がずっと関わってやっていたんです。
その頃、西川は、同時に、
アーティスト活動もどんどんやっていたんですよ。
高さが1m80cmぐらいあるような大きな絵を描いて、
リクルートがやっているグラフィックアートの公募展
「1_WALL」(ワンウォール)で
2018年に第19回グラフィック部門で
グランプリをとっているんです。
- 小夜子
- 「1_WALL」は、
若手アーティストの登竜門みたいな存在ですよね。 - 柿木原
- そうですね。
グラフィックデザインとも、ちょっと言い難い、
アート寄りなグラフィック。
- ──
- 西川さんにぴったりな表現ですね。
- 柿木原
- そうなんですよ。
小夜子さんは、そういう、デザインをやりながらの
アート活動みたいなものをずっと横で見てくれていて。
ちょも‥‥あ、ぼく、西川のことを「ちょも」って
呼んでいるので、ここでもそう呼んでいいでしょうか。 - ──
- もちろんです。
- 柿木原
- 小夜子さんは、ちょもの、いちファンとして、
受賞を一緒に喜んでくれていたんです。
そして途中から、ある意味パトロネージュ的に
サポートしてくださいました。 - ──
- 小夜子さんと西川さんの出会いは、
藤高の100周年のお仕事のときなんですね。 - 小夜子
-
コーポレートアイデンティティを
確立する際に出てきた
アイディアのなかで、
「これがいい!」となったのが、
西川さんのデザインだったのです。
やがて、それは銀座のお店を築く際の
アイコンになりました。
西川さんが手がけた
ロゴ・パッケージが見られるオンラインショップ - ──
- それは、完全にデザイナーのお仕事ですよね。
西川さんの芸術性、アーティスト性って、
そんなに強く、濃くは見えなかったのではないかと
思うんですけれど、
小夜子さんは、どんなところで
西川さんに惹かれたんですか?
- 小夜子
- キャラクターがほんとうにおもしろい方なんですよ。
チャーミングで。
お話ししても、歯に衣着せないというか、
ちょっとあけすけなくらいの性格で、
腹のうちを全部見せてくれるようなところがあって。
それで、二人で話していくうちに、どんどん、
「これもいい!」「そういうこともやってもいいかも?」
みたいな、大胆なアイデアがどんどん出てきて。
その過程で、アート活動もなさってることを知り、
俄然、ファンになった、という感じですね。 - ──
- お仕事でのお付き合いから始まって、
個人的にも大事な関係を築いてこられたんですね。 - 小夜子
- はい、そうですね。
- 柿木原
- ちょもは、2020年に、
JAGDA(公益社団法人日本グラフィックデザイン協会)の
新人賞をとったんです。
受賞すると、銀座で展覧会があるんですよ。
それで、同時開催で藤高さんのショップでも
「ちょも祭り」をやってくださったりして、
そこでちょもがデザインをしたタオルを売ったり。
それが2020年の9月のことでしたね。
- 小夜子
- そうです、そうです。
西川さんがJAGDA新人賞を受賞されたのを記念して
タオルを作っていただこうっていうので、
ショップ用にタオルをデザインしていただいて。
- ──
- その時に作ったタオルを持って、
西川さんを「ほぼ日」に紹介してくださった。 - 小夜子
- そうですね。
- ──
- びっくりしました。
すごい人がいたものだと。
「やさしいタオル」は
平織りのガーゼのパイルの三重織りなので、
そのときのタオルの作り方とはちがうんですよね。
違うんだけれど、そのデザインに驚いちゃって。
腰を抜かしたっていう印象です。
- 小夜子
- わが意を得たり、ですよ。ふふふ。
- 柿木原
- ほんとう! ははは。
- ──
- こんな繊細で、大胆なプロダクトができるんだって。
びっくりしました。 - 小夜子
- 良かったです。
- ──
- けれども「やさしいタオル」では
実現不可能だと思ったんです。
組織が違うので、ここまでの織りはできないだろう、
ましてやパイルとの三重織りなんて、と。
ところが、「できますよ」という話になって。
「え? できるんですか?」って、また驚いて、
じゃあ、作りましょう、と、進んでいった。 - 小夜子
- そうですね。
- ──
- と、ここまでお話ししてきましたけれど、
その西川さんは、ここにいらっしゃらないんです。
じつは、突然のご病気で、亡くなってしまった。
プロジェクトは止めない。
- ──
- みんながびっくりしたし、ショックでした。
そのあたりを少しだけ、おしえていただけますか?
去年、2021年の3月に
「ほぼ日」で打ち合わせをして‥‥。 - 柿木原
- そうですね。
それから少し経って体調を崩し、
3月の下旬に入院することになったんです。
でも、入院はしたものの、普通に元気で、
全然、しゃべることもできるし、
LINE電話でもやりとりをずっとしていたんですよ。
本人も一週間後には帰ってくるような感じでした。
それがもうほんとに急に、危篤になって、
4月13日に亡くなってしまったんです。 - ──
- 病名もはっきりしないとか。
- 柿木原
- いまだ、特定できていません。
おそらく、ですが、
それはとても気づきにくい病気で、
「生前にわかることはまれ」なものだったようです。
コロナだから、僕らも全然会えなかった。
入院の前からずっと会えていないままです。 - ──
- 西川さんがいなくなったこと、
なんだか、現実じゃないみたいですね。 - 柿木原
- 自分たちも、正直、どうすることもできなくて、
いろんなプロジェクトをストップさせざるをえなかった。
しばらく、そういう状態が続いたんですけれど、
少し経って、もし、ちょもが生きいてたとしたら、
動いてたプロジェクトを止めるのを嫌がりそうだな、
と思ったんです。
それが、どれくらい経ってからだろうな‥‥、
あまり覚えていないですけれど。
- 小夜子
- 藤高の社内も、このタオルに関しては、
一回、生産を止めようとしていたんです。
西川さんの「やさしいタオル」のデザインは、
織り生地の上からプリントをする重層的なもので、
その織り生地はあがっているけれど、
プリントはのせずに置いてある状態でした。
現場からは「ご本人がいないのに、
勝手にやっちゃいけないでしょう」と。
でもわたし、西川さんは絶対、
プリントがのった状態を見たいはずだ、と思って、
柿木原さんから指示をいただく前に、
「できることは、進めておきましょう」と。 - ──
- じつは「ほぼ日」でも、
途中まで進んでいたのはわかっていましたが、
みなさんが動かない限りは、
こちらも動くのはやめようと思っていました。
でも、あるとき、
「西川さんのタオルができました」って言われて、
「そうか、できたんだ‥‥!」と。
たしか、半年後くらいのことでしたね。 - 柿木原
- そうですね。
同時に進んでいた絵本もあったんです。
その絵本は、文章と、絵のデータは出来ていたのだけれど、
ちょもは「イタリアのボローニャ・ブックフェア」に向けて
あらためて原画を描きたいって言っていたんです。
それで、原画は描けなかったけど
現状のデータで絵本にしませんか?
って編集長にお願いしたんです。
ちょっとした思い違いでストップしかけたのですが、
何とかリスタートしました。
ぼくらのチームで判断が難しかったのが、
進めるとしても、ちょもの作ってきたものに、
手をかけるか、かけないかっていうところでした。 - ──
- なるほど、難しい判断ですね。
- 柿木原
- 自分としては手をかけたくない、っていうのが、
ベースとしてあったんですね。
だから自分はデザイナーとして関わろう、と。
たとえば木のテクスチャーがあるんですが、
ちょもだったら、ここにこういう感じで入れるだろうな、
みたいなことの判断までは、
ギリギリ許してくれるかもしれないと思って、
そこまでやって、絵本も出来上がりました。
- ──
- 『いま めが あったよね?』、
できたんですね。
かわいい本ですね。 - 柿木原
- ありがとうございます。これ以外にも、
ADC(東京アートディレクターズクラブ)っていう、
広告デザインの賞が毎年あるんですけど。
去年はコロナで審査が伸びたので、
今年、2年分の審査をやることになったんです。
そのほぼ2年の間に製作したちょもの作品が多くあったので、
これは出さないわけにはいかないなと思って、
本人がいないけど出したところ、
ADCの賞を戴きました(2020-2021年度ADC賞)。
そんな形で、ちょも本人はいないけれど、
いまも、いろんなものが動いている状態なんですよ。
彼女の故郷である青森の
ACAC(国際芸術センター青森)での展覧会も
ゴールデンウイークから始まる予定です。
この、ちょもが天才的に作りあげているものたちが
なかったことになるのは、
やっぱりおかしいなと思ったんですよね。
だからストップさせないようにがんばろうというか。
関わっているみんなが納得する形で
次のステップへ行けるようなことをやろうと。
そして、あんまり手を加えないように。
貝殻をほっぺにつけてる女の子。
- 柿木原
- そのなかでタオルも止めたくなくて、
やっぱりやるべきだなって思い、進めることにしたんです。
それで小夜子さんに「やさしいタオル、やりましょう」
と連絡をしたら、「もう準備してあります」って。 - 小夜子
- ふふふ。そうですね。
織りにプリントをして、
あとは西川さんにチェックいただくだけ、
という状態まで、つくって、待っていました。 - 柿木原
- もう(笑)。
- ──
- そこから、具体的には、細かいところを、
絵本と同じように調整していったんですか? - 小夜子
- いや、デザインは、出来ていたんですよね。
そのまま「生かし」というか、
全く問題がなかったですよね。 - 柿木原
- はい、ほぼ何もしてないです。
- 小夜子
- ただ、パイルの色だけは、
西川さんが3色、候補を出してくださっていて、
どれにするかが決まっていない状態でした。
今回、ピンクとイエローになりましたけど、
もう1色、じつはグレーもあって、
その色選びだけ、わたしたちがした感じですよね。 - 柿木原
- それも、なかなか大変だったね(笑)。
ちょもだったらどうするか?
みたいな感じで、議論をして。
みんな意見が変わるんですよ。 - 小夜子
- 「西川さんだったらどうする?」クイズ、
みたいになりましたね(笑)。
- ──
- 結果、すごく元気な印象のタオルになりましたね。
プリント面のモチーフは
「貝殻に頬を寄せる少女」なんですよね。 - 小夜子
- はい。最初、西川さんと、柿木原さんとわたしとで
「ほぼ日」の青山の事務所にお伺いしたんですよ。
そのときに、モチーフのことで、
「タオルだから、頬を寄せたいものであってほしい、
逆に、近づきたくないなあというイメージのものだけは、
やめてくださいね」と、そういうお話をいただいて。 - ──
- そうですね。
顔をうずめたくなるようなものであってほしいと。 - 小夜子
- あのあと西川さん、「え? ‥‥どうしよう」って、
頬を寄せたくなるものは何だろうかとずっと考えていました。
そして、出てきたアイデアが「貝殻」。
貝殻に耳を寄せるって、すごくロマンチストですよね。
- 柿木原
- デザインでは、女の子が顔を貝殻に顔を寄せていますが、
この女の子も、こうなる前の顔があったんです。
横顔で、ちょっとクセのある顔だった。
それは、ちょっと前のちょもの感覚だと思い、
自分はそれがちょっと気になっていたんです。
そうしたら自分でこの顔に修正していました。 - ──
- このタオルの明るい印象は、
この子の顔のおかげのように思えます。 - 柿木原
- ちなみに、「貝殻」というテーマは共通ですが、
サイズによって、モチーフが違うんですよ。
ハンドは、ポケットやバッグに入れるとき
四つ折りにすることが多いだろうと、
畳んでもデザインが成立するようになっています。
長いのは、二つ折りで掛けたとき、
天地が逆にならないように。 - ──
- デザイナーとして、細かいところまで、
徹底して気をつかってくださっている。
使ってるうちに、もっと発見がありそうです。
ヘムも、すごくかわいい織り柄が出ています。 - 小夜子
- そうなんです、
西川さん、ディテールにきびしいんです。
だからわたしたちもしっかりやろうと思いました。
いっしょに組む人の気持ちを
かなり意識するタイプでしたし、
「藤高の技術が見えてこないとやる意味はない」とも、
西川さん、はっきりと言っていたんですよね。 - ──
- 仕事へのきびしさがあるんですね。
西川さんは、このタオルの組織、つまり、
「やさしいタオル」としての作り方を前提に、
このデザインなさっているんですよね。 - 柿木原
- 最初の理解には、けっこう時間かかって、
何回も何回もやりとりがあったんです。
「こういうことはできる」
「こういうことはできない」と、
毎回、小夜子さんが丁寧に教えてくれました。 - ──
- 小夜子さんと共同作業のような‥‥。
- 柿木原
- そんな感じでしたね。
- 小夜子
- あたらしくて良いものをつくるためのやりとりは、
すごく楽しかったです。
西川さんの理解も、ほんとうに深く、
全然、難はなかったんですよ。
このやり方(ジャガードとパイルの三重織り)は
初めてのチャレンジだったので、
お互い、がんばって。
- 柿木原
- ちょもも、楽しかったと思います。
- ──
- ありがとうございます。
できあがって、よかったです。
‥‥ところで「ちょも」っていう愛称は、
仕事仲間、みんなから? - 柿木原
- そうですね。みんなが、「ちょも」って。
- ──
- なんで「ちょも」なんですか。
友美さんだから、ちょもみ、で、ちょも? - 柿木原
- 彼女、入社して最初の待ち合わせに遅れたんですよ。
反対側の電車に乗っちゃったりとかして、
そのミスの感じが「チョモランマ級だね」って。 - ──
- あ、その「ちょも」!
なるほど! - 柿木原
- あとから、チョモランマが
「母なる大地」っていう意味があることを知って、
本人もめっちゃ喜んでて。 - 小夜子
- わたしも友美が変化して
「ちょも」かと思ってました! - 柿木原
- それもちょっと、かかってはいるんだけれど、
でも、実は。 - 小夜子
- ミスがチョモランマ級。
おっちょこちょいだから、西川さん(笑)。 - 柿木原
- そうそう、おっちょこちょいでね!
- ──
- 西川さん本人から「こういうデザインなんですよ」と
説明が聞けないのは残念ですけれど、
なによりも、できあがったこと、
このタオルが使えることが嬉しいです。
柿木原さん、小夜子さん、
ほんとうにありがとうございました。 - 小夜子
- ありがとうございました。
- ──
- 青森の展覧会も行きたいです。
- 柿木原
- ありがとうございます!
ぜひいらしてくださいね。
2022-05-30-MON