京都から伊賀へ。
2022年の「生活のたのしみ展」に、
やまほんさんが出店してくださったとき、
元永紅子さんのブローチが並びました。
器など、どちらかというと渋みのある実用品の多い中。
鮮やかな色彩がぱっと目に入る紅子さんのブローチは、
壁面に花が咲いたようでした。
糸井重里も購入して、翌日にすぐつけていましたね。
うれしかったです。
その時は紅子さんがどんなかたなのか、
あまり存じ上げずにいたのですが、
はっきりと「これは、アートだ」という印象があって。
今回、こんなにたくさん、
紅子さんの作品を紹介できることを、
私たちもとてもうれしく思っています。
紅子さんは、伊賀のこのアトリエを
創作の拠点にしているんですね。
紅子さんにとって、伊賀は、
お父さまである画家・絵本作家の
元永定正さんの生地ですね。
そうですね。
よく来ていました。
というのも、そもそも、
私の住民票は伊賀にあったんです、
入籍して住民票を移動するまで、
伊賀市民だったんですよ。
でも‥‥住んではいなかったんですよね(笑)?
そうなんです、住んではいなかったんです。
だから土地勘も何もなかった。
祖父のお墓は伊賀にあったので、
お盆やお正月に来るぐらいでした。
ということは、同じ伊賀でも、
紅子さんと山本さんは、知り合いではなかった?
そうなんです。
どんなふうに繋がったんでしょう。
このアトリエにお風呂があるんですけど、
僕、そこの改修を担当したんですよ。
建築家として。
そうです。紅子さんが、
ぼくのギャラリー(やまほん)に
いらっしゃってくださって。
紅子さんのお父さんである
元永定正さんは伊賀出身ですし、
有名なかたですから知っていましたし、
一度だけお会いしたことがあったんですけれど、
紅子さんとはお目にかかったことがありませんでした。
最初の出会いはギャラリーですよね。
山本さんがやまほんを始めて間もないころでした。
私が住んでいる京都から車で伊賀に来るとき、
ちょうどやまほんさんの前を通って、
「何か出来てるんじゃない?」と、思い
ギャラリーに入ったのがきっかけです。
すると、山本さんが「このギャラリー、
全部自分で作ってるんですよ。」
と、気さくに声をかけて下さいました。
京都から伊賀は車なら1時間半くらい。
意外と近いんですよね。
そう。だからいつも日帰りで、
用事がすんだらすぐ帰っていたんです。
伊賀の家はあったけれど、
あまり泊まることはなかった。
というのも、建てた当時のままの
お風呂と家事室が、かなり古くなっていたんです。
「お風呂がきれいになったら、
もう少し来る様になるかもしれない」と思って、
山本さんにリフォームをお願いしました。
リフォームをきっかけに、
ここを拠点にするようになったんですか。
そうですね、それから、作品をつくる拠点を、
伊賀のこの家に移しました。
今は二拠点生活、というよりは、
ほとんど伊賀にいて、
たまに京都に帰るという感じです。
なにしろお風呂が良くなりすぎて、
帰れなくなっちゃったんですよ。
作家が拠点を移したくなるほど快適なお風呂を
山本さんが作ったんですね。
大切なんです、お風呂って(笑)。
誰だって親の影響を。
2022年の秋に、伊賀で、
元永定正さんの生誕100年記念イベントとして、
定正さんと、お母さまで美術家の中辻悦子さん、
そして紅子さんの3人、
それぞれの展覧会が開催されました。
史跡になっている建物や武家屋敷が会場で、
私たちも拝見し、とてもおもしろかったです。
その展覧会に、山本さんがかかわったとか。
はい、企画段階からかかわってます。
建築的なことを言えば、レイアウトから、
しつらえから、光から、
デザイン的なことを言うと案内状まで、ぜんぶ。
お父さまの定正さんは、
絵本の人という印象が強く、
また雑誌『芸術新潮』の表紙の人としても有名です。
お母さまも造形やグラフィックの仕事をされているので、
紅子さんはいわば芸術家一家のお生まれ。
すごくぶしつけな質問ですけれど、
そういうご両親の存在って、
紅子さんにとって、
どういうものだったんでしょうか。
私は、あんまり関係ないんじゃないかと思っています。
でもいろいろ言われるんですよ、
「なんでわざわざ親と同じことやるんや」って。
えっ、そんなこと??
ご両親の影響を受けていることを、
ネガティブにとらえる方が?
影響は受けているに決まっているんです(笑)。
こういうなかで育ってるので、
それが普通なんだ、と思っています。
誰でも、親の影響を受けてると思うんです。
私が「影響は受けたんですか」って言われやすいのは、
ジュエリーだけでなく、
絵を描いているからかもしれませんね。
(つづきます。)
元永紅子さんのかけらブローチとバレッタは、
2023年10月24日(火)販売開始です。
2023-10-19-THU